第119話 下から来る
3日目の朝、丘の香が消えた。
焚くのをやめたのとは違う。焚くための天幕を畳んだのだ。その下から、別のものが出てきた。
塔だ。
木を組んだ攻城塔が、5つ。1晩で組んだにしては、高い。壁より2尺高い。あれを寄せられたら、壁の上を見下ろされる。
「1晩で組めるものか?」
「組める。組む者が3000おれば、な」
グレイグは、そう言った。声が嗄れていた。
◆
砦の残りは、198人だった。
1日目に30、2日目に43。死んだ者は中庭に並べきれなくなって、貯蔵庫の階段の下の、冷たい土間へ運んでいる。腐らせないためとは違う。運ぶ兵が、そう決めた。
水は、あと2日分。
「2日で終わる」
「終わらせるのは向こうだ」
グレイグが壁の縁に置いた手の爪が、2枚割れていた。
俺は、手首を見た。
昨日、輪を抜いたときに剥がれた皮は、光魔法で塞いだが、下の色は戻らない。黒い。人間の皮膚の下に、俺の元の色がある。
器が、3割減っている。
輪のせいだ。あれは、魔力量を奪うのではない。器の底に蓋をする。その分だけ、汲めなくなる。
「ミルカ」
「はい」
「あの輪の陣、写せたか」
「写しました。昨日、ゼノが暴れている間に、遠眼鏡で見ました」
ミルカは、紙を広げた。
輪の陣が描いてある。3重だ。外側が光で、内側が2つ、光ではない。
「この内側の2枚、光魔法の記号ではありません」
「じゃあ、何だ?」
「谷の壁の、二重線の内側と、同じ形です」
彼女は、そこで一度、俺の顔を見た。
「ゼノ。この陣、人間の手によるものではありません」
分かっていた。
18年前に俺を刺したものと同じ冷たさだ。それを、聖国の兵が手に持っている。持たせた者がいる。ザリエルという名の男が、神託で受け取ったと言うのだろう。
出所は、天界だ。
天界の誰かが、俺がここに転生していることを知ったうえで、人間に道具を配っている。
——顔を、まだ見ていない。
塔が動き出した。
5つのうち、3つが西へ回った。西は、蝶番の歪んだ門がある方だ。歪みは俺が塞いだが、外からは分からないはずだ。それでも、向こうは西を選んだ。
「……図面が漏れとるな」
グレイグは、そう言った。驚いていない声だった。
「20年前の改修の図面だ。宰相府に写しがある」
「宰相府から漏れたのか?」
「さあな。あそこには、もう誰も残っておらん」
俺は、壁を蹴って飛び、闇を足の下に敷いて、いちばん西の塔の上へ落ちた。兵が12人いて、一斉に陣を組んだ。中級の光魔法が12枚。
12枚は、俺には届かない。
ただ、その動きの中に、1人だけ違う者がいた。
陣を組まずに、腰の袋に手を入れた男だ。
輪が来た。
俺は、そいつの手首を先に取って、折った。それでも、輪は出た。手から離れて、空中で3つに分かれて、俺の首と両腕へ飛んだ。
首だけ、外した。
両腕に掛かり、また底に蓋がされた。今度は2割だ。残りが、5割になった。
「……くだらねえ道具を」
塔の上で12人を落とし、塔そのものを内側から抜いた。闇を柱の継ぎ目へ流し込んで木の繊維を断てば、塔は自分の重さで折れる。
折れた塔が、後ろの2つ目を巻き込んだ。2つ目は倒れずに、傾いたまま止まり、そこから兵が壁へ飛び移り始めた。
数が、多い。
壁の上で、カイが陣を組んでいた。
中級の火魔法だ。陣は2枚。3枚目は組まずに、彼は火を放った。火は、飛び移ってくる兵の足元で開いた。
5人が落ちた。
6人目が、カイの前に着地した。
カイは、3枚目を組もうとした。たまに崩れると自分で言っていた3枚目だ。
組めた。
そして、崩れた。火が、内側に開いた。その先に、カイ自身がいた。
俺が壁へ戻ったとき、あの若い兵は、もう立っていなかった。
顔の左半分が無かった。右半分は、指の腹に焼け跡のある兵の顔のままだった。
グレイグが、その横に膝をついた。手を組むでもなく、目を閉じさせるでもなく、ただ、膝をついていた。
「……あんた、治せるか?」
「治せねえ」
「そうか」
「脳が無えものは、戻らねえ」
グレイグは、頷いて立ち上がり、膝の砂を払わずに、壁の向こうへ声を上げた。
「第2隊、東へ。油はもう無い。石を使え」
◆
昼過ぎに、南から抜かれた。
壁でも門でもなかった。壁の下の、排水の穴だ。人が這って通れる太さがある。そこを、細い者ばかり20人が通ってきた。
中庭の敷石の上に、敵が出た。
俺は中庭へ下りた。リディアが先に立っていて、地面に円を1つ、もう彫り終えていた。
「ゼノ。動かないで」
言われた通りに止まった。
その脇を、敵が2人抜けて、剣を振り上げた。腕が、途中で軽くなった。
刃が、無い。
柄だけが残っている。刃は、床の円の中へ落ちて、そのまま消えた。
リディアは、20本の刃を、そうやって順に取った。
「あんた、それを戦で使ったことは?」
「初めて」
「12年、何に使ってた」
「逃げるのに」
彼女は、そう言って、包帯の手で汗を拭いた。包帯が、赤い。掌の中が、また切れている。開けるたびに、この女の手は自分で切れる。
「……ゼノ。わたし、あと20回」
「20回でどうなる?」
「手が使えなくなる。たぶん、当分」
俺は、そこで判断を1つした。
砦は、明日までは持たない。それを持たせるために全部使うのは、勘定に合わない。
「リディアは、地下へ下りろ。20回を残せ」
「残して、何に使う?」
「逃がすのに使う」
リディアは、少しの間、何も言わずに俺を見ていた。
それから、こう言った。
「あんた、ここを捨てる気がある」
「無え」
「嘘」
「無え」
「じゃあ、なんで逃がす道を作らせるの」
俺は、答えなかった。
リディアは、それを見届けてから、階段の方へ歩き出し、5歩で止まって、振り返らずに言った。
「わたしの祖父も、同じ嘘をついた。壁を写させる前に」
◆
夕方、グレイグが俺を呼んだ。
呼ばれた場所は、壁の上ではなく、貯蔵庫の階段だった。死んだ兵が並んでいる場所だ。81人いた。
「ゼノ。1つ、頼みがある」
「あぁ」
「明日、俺が死んだら、この81人と、俺を、砦ごと焼いてくれんか」
「敵に、数えられたくない」
グレイグは、そう言った。
「向こうは、浄めと言っとる。あれは、数えることだ。名を書いて、板にして、どこかへ入れるらしい。……そういう話を、聞いた」
ラセルの棚が頭に浮かんだ。11人の名の板と、削りかけの3つ。
「グレイグ」
「なんだ」
「あんた、死ぬ前提で喋るな」
◆
砦将は、初めて笑った。
下手な笑い方だった。笑い慣れていない男の顔だ。左のこめかみの白いところが、夕日で赤く見えた。
「俺は、17でここへ来た。41年おる」
「長えな」
「長い。……門の蝶番を3度替えた。3度目が、今の歪んだやつだ。掛けたときに、失敗したと思ったが、言わんかった」
彼は、俺を見た。
「あんたが塞いでくれた」
◆
その夜、地下の線が光った。
貯蔵庫の床だ。焼かれて溶けた古い線が、内側から青白く光っている。光り方が、井戸の光と同じだった。
ミルカが、灯りも持たずにその前に立っていた。
「ゼノ。この線、外から光っているのではありません」
「じゃあ、何だ」
「下からです」
彼女は、床に膝をついて耳をつけ、しばらく動かなかった。
「音がします」
「何の音だ?」
「水ではありません。……足音です」
俺は、その床に手を当てた。
冷たい。昨日より冷たい。それが、こちらへ向かって近づいてくる。
《《下から来る》》。
俺は、階段を駆け上がって、壁の上のグレイグに叫んだ。
「地下だ。壁じゃねえ。地下から来る」
グレイグは、こちらを見た。1拍だけ考えて、壁の向こうへ目を戻した。
その先で、攻城塔が4つとも動き出していた。
「……両方だな」




