第118話 いちばん前
◇
旧道は、思っていたより暗かった。
両側の斜面に木が生えていて、上で枝が組み合っている。昼なのに、足元の石がよく見えない。リィナは、その石を靴の先で探りながら歩いた。
「幅は?」
「いちばん狭いところで、4歩です」
ラウルが答えた。
「4歩の場所が、220歩続きます。その先が広がって、谷の出口に出ます」
「220歩の、どこで止めますか?」
「……俺に訊くんですか」
「あなたが、3年前に歩いています」
ラウルは、少し考えた。
「入口じゃなく、出口寄りがいいです。入口で止めると、向こうは引き返せます。引き返されると、また別の道を探されます」
リィナは、頷いた。自分が頷いたことに、驚いた。
500人が着いたのは、その夜だった。
先頭にユーリカ。中ほどにヴィントとトバイアス。後ろにドルガの40人と、荷車が4台。荷車の上に、ポーラが鍋を抱えて座っていた。
リィナは、その500人の前に立って、何を言えばいいのか分からなくなった。
500人が、彼女を見ている。
500人分の目だ。木剣を持っていない手が、汗で冷たくなった。鉄の剣は重い。柄の巻きが手に合っていないことに、歩いている3日の間、ずっと気づいていた。
口を開いた。
「……あの」
「わたし、指揮をしたことがありません」
誰も、口を開かなかった。
「作戦は、ヴィントさんが立てます。道のことは、ラウルさんが知っています。風は、ユーリカさんです」
リィナは、一度、息を吸った。
「わたしがやるのは、1つだけです。——いちばん前に立ちます」
ユーリカが、後ろで舌打ちをした。
「先に言っといて」
「言いました」
「そうじゃなくて。……あんたが前に立つなら、わたしは後ろに回れないでしょ」
「回ってください」
「回らないよ」
ユーリカは、そう言って、前へ出てきて、リィナの隣に並んだ。それから、小さい声で付け足した。
「……わたし、兄貴に似てきた」
聖国の別働隊が入ってきたのは、翌日の明け方だ。
2000いた。ヴィントの読みより500多い。狭い道を、4列で進んでくる。先頭は盾ではなく、斧を持った兵だった。道を広げながら来る兵だ。
ヴィントが、リィナの横で紙を広げた。
「火魔法は使えません。使うと、僕らの方に来ます」
「じゃあ、何を使いますか?」
「石です」
斜面の上に、380人が石を積んでいた。
夜のうちに積んだものだ。ヴィントの指示ではない。ポーラが「あたし、石なら運べる」と言い出して、侍女20人と、荷運びと、手の空いた兵が加わった。
石は、全部で4000近い。
「落とします」
ヴィントが手を上げ、下ろした。
石が落ちた。
音が、思っていたのと違った。もっと派手なものを想像していた。実際には、低く、短く、続けざまに鳴った。人の悲鳴は、石の音の後から来た。
先頭の40人ほどが、埋まった。
道が塞がり、後ろの兵が詰まって、列が縮んだ。
「ユーリカさん」
「わかってる」
風が来た。
上級の風魔法だ。ユーリカは、それを敵に向けなかった。斜面の上に置いた藁と生木の山へ向けた。
火は、トバイアスが点けた。
生木は燃えずに、煙を出す。その煙を、風が道へ押し込んだ。
220歩の道が、白くなった。
煙の中で、聖国の兵が咳き込んだ。
その音が、220歩分、重なって聞こえた。光の陣が、煙の中で点いたが、何も照らさない。光は煙を通らない。
リィナは、前へ出た。
ヴィントの「まだです」は、背中で聞いた。
煙の中で、最初に斬ったのは、斧を持った兵だった。
相手の手首を打った。鉄の剣は重く、当たったあとが長かった。手首が、へし折れた音がした。
2人目は、肩を打った。3人目は、膝。
4人目で、剣が止まった。
相手の盾に止められたわけでもない。
相手が、若かった。
煙の中で、顔が近い。15か16だ。白い外套の下に、継ぎの当たった服を着ている。その子供が、光の陣を1枚だけ組んで、震えていた。
リィナの剣は、止まったままだった。
その剣の脇から、別の刃が伸びた。
ラウルだった。
彼は、短刀で、その子供の陣の中心を叩いた。陣が割れて、子供が尻餅をついた。ラウルは、その襟を掴んで、後ろへ放り投げた。そこに、ドルガの部下が2人いた。
「縛れ」
ラウルは、そう言った。
「殺さないんですか?」
「殺しません」
彼は、煙を吸って咳をしながら答えた。
「俺、数えてるんです。何人捕まえたか。……殺した数は数えたくないので」
リィナは、剣を握り直して、また前へ出た。
◆
その日の戦いは、4時間続いた。
聖国の別働隊2000のうち、800が倒れ、600が捕まり、600が引き返した。それは、追わなかった。追えば、狭い道の利が消える。
こちらの死者は、67人だった。
そのうち、11人は刻印を抜いた者だ。5人は侍女だった。水を運んでいて、崩れた石の下敷きになった。
リィナは、その5人を自分で運んだ。
1人ずつ、道の外へ運んで、並べた。名前を訊ける相手は、もういない。
ヴィントが、紙を持ってきた。
「出発の前に、エリシア様が全員の名を書かせました」
彼は、その紙を開いて、5つの名を読み上げた。
リィナは、5つとも、声に出して繰り返した。
ポーラが、鍋を火にかけた。
戦いが終わって、まだ煙が残っている道で、鍋の蓋が鳴った。匂いが、煙の匂いを押しのけた。塩と、脂の匂いだ。
「食べな」
「……はい」
「あんたが食べないと、誰も食べないんだよ」
リィナは、椀を受け取った。一口飲んで、それから、椀を持ったまま、声を出さずに泣いた。
ポーラは、何も言わずに、2杯目を杓子ですくって、鍋の縁で待っていた。その間に、鍋の火を弱くした。弱くしないと、底が焦げる。
ユーリカが、少し離れたところに座って、自分の手を見ていた。風で煙を送るのは、人を斬るのとは違う。それでも、彼女の手は震えていた。
ヴィントは、捕虜の列を見ていた。
600人だ。600人を、どこへ入れるかを、彼はまだ決めていない。自分の仕事だと分かっているのに、頭が動かない。
「ヴィントさん」
トバイアスが、横に来た。
「陣、1回も描きませんでしたね、僕」
「……すまない」
「いえ。描かなくても、石は落ちました」
◆
夕方、捕虜の1人が口を開いた。
縛られたまま、地面に座って、こちらを見上げて、こう言った。
「浄めは、済みましたか?」
「何のことだ?」
「砦です」
ヴィントの背中が、そこで固くなった。
「我々は、囮でございます。……本隊は、昨日の朝から、砦を灼いております」
リィナは、椀を落とした。
椀が石の上で2度跳ねて、中身が地面に広がった。ポーラが何か言ったが、聞こえなかった。
彼女は、南東の空を見た。
木の枝の間から、空が見える。
その空の低いところが、灰色に濁っていた。雲ではない。雲は、あんなに真っ直ぐには上がらない。
「ヴィントさん。わたし、戻ります」
「3日かかります」
「2日で行きます」
リィナは、鉄の剣を捨てて、荷車の上から自分の木剣を取った。王都から、ポーラが運んできたものだ。
握ると、手に合った。
ラウルが、道の端から声をかけた。
「1つ、いいですか?」
「なんですか」
「砦まで、近道があります。3年前に迷ったとき、もう1本、細いのを見ました。……地図には、たぶん載ってません」
彼は、そこで少しだけ笑った。自分でも慣れていない笑い方だった。
「案内します。……知らせに来ただけのつもりだったんですけど」




