第117話 名簿にない指揮官
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500人を集めるのに、ヴィントは2日を使った。
集まったのは380人だ。足りない分を、将たちが出さなかった。理由は、全員が同じだった。
「誰が率いる」
ヴィントは、そのたびに同じ答えを返した。
「リィナという者です」
「家名は?」
「ありません」
「官位は?」
「ありません」
3人目の将のところで、ヴィントは言い方を変えた。
「大学の防衛戦で、北棟の階段を1人で塞いだ者です」
「聞いておらん」
「教団の刻印を抜いた者を、37人、担いで運び出した者です」
「聞いておらんな」
将は、書類に印を押す手を止めずに答えた。
公邸に戻ったのは、夜だった。広間の卓に、エリシアが座っていた。久しぶりに見る姿だった。それでも外套は着たままで、襟の毛が首の後ろで潰れていた。
「120人、足りません」
「そうですか」
「……エリシア様。僕の言い方が悪いのだと思います」
「いいえ」
彼女は、地図から目を上げなかった。
「あの方々は、名簿に載っている者しか動かしません。そこに無い者は、居ないことになっておりますから」
その言葉を、ヴィントは前にも聞いた気がした。
どこでだったかは、思い出せなかった。
ただ、エリシアが「居ないことになっている」と言ったとき、地図を押さえていた指が一度だけ強く曲がった。その曲がり方の方を、ヴィントは覚えた。
◆
翌朝、庭の井戸に紙が落ちた。侍女が持ってきたそれは、折り目が乱暴で、端が破れていた。開くと、字が2行あった。
下手な字だった。
『わたしが いきます
三日 かかります』
平仮名が多い。「三日」だけが漢字で、その3画目が長く突き抜けている。書き慣れていない者の書き方だ。
ヴィントは、その紙を持って広間を出ると、廊下を走り、階段を下りて、大学へ向かう馬に飛び乗った。
自分が何をしようとしているのか、答えが出ないまま、馬を走らせた。
◆
大学の東棟に、人が集まっていた。兵ではない。学生と、厨房の者と、掃除の者と、教団の刻印を抜いた連中だ。全部で60人ほどいる。
中心に、ユーリカが立っていた。
「遅い」
彼女は、ヴィントを見るなり、そう言った。
「どこ行ってたの」
「……将軍のところだ」
「無駄でしょ、あれ」
「なぜ、ここに集まっている?」
「わたしが呼んだ」
ユーリカは、腕を組んだ。今日は髪を結んでいる。結び方が雑で、後れ毛が首に落ちていた。
「リィナが来るって、フィーネから紙が来たから」
「……その紙は、どこから?」
「井戸」
彼女は、そう言って、指で下を指した。
トバイアスが、前に出てきた。
「ヴィントさん。僕、陣を4000回描きました」
「知っている」
「4000回描いて、まだ戦場に出たことがありません」
彼は、少し笑った。大学が焼けかけた日にも、この男は同じ顔で笑っていた。
「出ます。数に入れてください」
ドルガが、裏の門から入ってきた。
後ろに、男が40人ほどいる。全員が腕を出していて、刻印のある者と、無い者がいる。
ユーリカが、口を開いた。
「教主。あんたのところは、契約が——」
「契約は、主と交わしたものでございます」
ドルガは、そう言った。
「主が東の砦におられます。砦の兵を1人も減らさぬために、娘御が3日歩いておられる。……うちの者が動かぬ理由は、思いつきませぬ」
ポーラが、厨房の戸から顔を出した。
「あたしも行く」
「駄目です」
「なんで?」
「ポーラさんは、剣が振れません」
「振れないけど、あんたら、3日歩いたら飯食うでしょ」
ヴィントが、口を開きかけたところへ、ポーラが鍋の縁を杓子で叩いた。
「決まり。あたしは後ろから行く」
数えると、480人になった。
20人足りない。ヴィントは、その数を3度数え直した。3度とも480だった。
「あと20人です」
「20人くらい、どうにかなんないの?」
「なりません。谷の道幅で、450人が最低です。予備が要ります」
そのとき、東棟の扉が開いた。
入ってきたのは、エリシアだった。
「20人、連れてまいりました」
後ろに、女が20人いた。
侍女だ。公邸の侍女が、全員、旅装をしている。先頭の1人は、あの朝、井戸の紙を持ってきた侍女だった。
「エリシア様。侍女の方々は——」
「この者たちは、剣を持ちません。持ちませんが、水を運びます。運ぶ者がいれば、剣を持つ者は剣だけを持てます。……500のうち20人に桶を持たせるより、20を足した方が、数が合いますでしょう」
ヴィントは、その場で紙に書いた。
『総勢500。うち近接380、魔法60、運搬60』
書いてから、指が止まった。
指揮官の欄が、空いている。
「……エリシア様。指揮官の名を、どう書けばいいですか」
「そのまま、お書きなさいまし」
『指揮官——リィナ』
家名が無い。官位が無い。そう書いた紙を、ヴィントは将軍府へ回した。
翌日の昼に、差し戻しが来た。
『名簿の形式に合わず。家名を記せ』
ヴィントは、その紙を握り潰しかけて、やめた。書き直すときに、また要る。
そのとき、中庭の石畳に、円が1つ開いた。
リディアが、砦から開けた穴だ。
物が出てきた。紙ではない。
木剣だった。
柄の巻きが解けかけていて、刃の部分に、浅い傷が無数に入っている。傷の入り方が、片側に偏っていた。同じ振り方を、何千回もした者の剣だ。
◆
中庭にいた480人が、それを見ていた。
最初に動いたのは、刻印を抜いた男の1人だった。
その男は、木剣の前まで歩いてしゃがみ、柄の巻きを直した。それから立ち上がり、後ろを向いて言った。
「俺は、これで担がれた」
2人目が出てきて、「俺もだ」と言った。3人目は、何も言わずに剣の横へ立った。
4人目が、ユーリカを押しのけて前に出た。押しのけられたユーリカが「痛い」と言いながら、自分も前に出た。
ヴィントは、その様子を見ながら、差し戻された紙の裏に、もう一度書いた。
『指揮官——リィナ。家名、無し。
この者の名を知る兵が、480人おります。
名簿にございませんので、こちらに書き記しました』
その下に、480人の名前を全部書いた。
書き終わるまでに、夜が明けた。途中で3度、手が攣った。そのたびに、トバイアスが代わりに書こうと言った。3度とも断った。
明け方、エリシアが東棟に入ってきて、書き終えた紙の束を見た。いちばん上の1枚を手に取って、そこに自分の名を足した。
『ヴァリス王家第一王女 エリシア・ヴァリス』
「これで、将軍府は受けます。わたくしの名は、名簿にございますので」
「……エリシア様」
「なんですの」
「あなたは、これで、責を負われます」
エリシアは、羽根ペンを置いて、窓の方を向いた。庭の東側に、聖国の使節の天幕がある。窓を開ければ見える位置だ。彼女は、この数日、一度も窓を開けていない。
「ヴィント様。わたくし、もう1つ、名を書いた紙がございますの」
「……はい」
「そちらは、まだ誰にも見せておりません」
彼女は、そこで言葉を切り、言い直さなかった。
◇
同じ朝、旧道の入口に、若い男が1人いた。
ラウルは、足元の石を確かめていた。敷石だ。3年前に迷い込んだときと、石の数が違う。20歩分、新しい石が足されている。
どれも、角が立っていた。
この1月のうちに、誰かが荷車を通すために道を広げた。
彼は、草の中に腰を下ろして、待った。
自分で決めたことだ。
誰にも頼まれていない。教団は辞めた。刻印は無い。契約も無い。ここで待って、来た者に道を教えたら、たぶん巻き込まれる。
それが嫌だから、彼は二度、教団を辞めた。
それでも、ここに座っている。
理由を自分でも整理できないまま、彼は道の向こうを見ていた。
◆
昼過ぎに、東から人影が来た。
1人だ。歩き方が速い。荷を持たず、鉄の剣を1本だけ腰に差している。歳は、たぶん自分と同じくらいだ。
近づいてきて、その娘は、ラウルの2歩手前で止まって、こう訊いた。
「旧道は、ここですか?」
「……ここです」
「あなたは?」
「ラウルです。……たぶん、あなたを待ってました」




