第11話 王宮
人間の国というのは、込み入った場所だった。
殺してはいけない相手が、多すぎる。
王宮は、静かだった。
石の廊下に、俺の足音だけが響いている。窓の外に庭が見え、庭の向こうにまた建物が見える。人は歩いているが、誰も走っていない。誰も声を張っていない。魔界の城は、こうではなかった。誰かが常に何かを叫んでいて、誰かが常に誰かを殺そうとしていた。
(静かだな)
悪い意味で、そう思った。静かな場所ほど、床下で何かが動いている。
通されたのは、東棟の一室だった。ベッドが1つ。机が1つ。窓が1つ。それだけの部屋だ。
「殿下の護衛の方には、こちらを」
案内した侍従は、俺の顔を見ずにそう言った。
文句はない。ダンジョンの巣穴に比べれば、上等すぎる。だが、東棟という場所の意味は、記憶の中にあった。王族の居館は西棟。近衛の詰所は南。東棟は、客とも従者ともつかない者を置く場所だ。つまり——
(どこにも属さない扱い、か)
どこにも属さねえ奴は、どこへでも行ける。
「ご不便でしたら、お申し付けください」
「浴場は一階、食事は西の広間で。武具をお持ちでしたら、南の武器庫へお預けいただきます」
「持っていない」
「……失礼いたしました」
侍従は、そこで初めて俺の顔を見た。剣も、杖も、鎧も持たない男が、王女の護衛として王宮に入っている。
「ひとつ訊いていいか?」
「はい」
「王ってのはどこにいる?」
侍従の背筋が、わずかに伸びた。
「……申し訳ございませんが、お答えいたしかねます」
「そうか」
俺は頷いた。
(ふむ)
訊いたのは、礼儀のつもりだった。答えねえなら、それでいい。俺は腰の横に下げたままの手で、指を2本だけ動かした。
感知。
陣が2枚、袖の内側で回った。王城が、頭の中に開いた。
石の厚み。廊下の折れ方。階段の段数。人の輪郭が、灯りの数よりずっと多く浮かび上がる。厨房に11人。南の詰所に34人。西棟の2階に1人、その扉の外に2人。人間の建物は、こういうとき便利だ。誰も遮蔽を張らねえ。魔界の城なら、この程度の術は玄関で焼き潰される。
西棟の、最上階。そこに1人いた。
(——薄えな)
輪郭が、他の連中と違った。人の形はしている。だが、眠りより深いところに沈んでいて、中身が減っている。蝋燭の最後の一寸まで削れて、それでもまだ燃えている、という燃え方だ。人間の医者に何が分かるかは知らねえが、2か月というのは正しい見立てだろう。むしろ、よく保っている方だ。
(——治せるな)
復元は、削られたものを戻す術だ。腹の穴も、腕の中で破れた血管も、これで塞いだ。病に食われた分だって、戻せる。人ひとり起き上がらせるくらい、造作もねえ。
(それで?)
治して、俺に何が入る。意識のねえ相手と、取引はできねえ。
俺は指を下ろした。侍従が、こちらを見ていた。
「……あの」
「なんでもねえ」
「教えてくれなくていい。もう分かった」
俺の探し物には関係のない話だ。
関係のない話のはずだった。
3日が過ぎた。書庫には、まだ入れていない。
「申し訳ございません」
エリシアは、3日目の朝にそう言った。王宮に戻ってからは、髪を結い、絹を着て、背筋を伸ばして歩いている。道中で俺の後ろに寄りかかって眠った娘と、同じ人間には見えなかった。
「王宮の書庫は、3つに分かれております。開架、閉架、そして——」
「そして?」
「王家の書庫です」
「開架と閉架は、今日にでもお通しできます。ですが、貴方様がお探しのものがあるとすれば、たぶん3つ目です」
「そこは」
「王の許可が要ります。陛下の——父の、署名が」
(……なるほど)
俺は天井を見た。王の許可。その王は、2か月で死ぬ。死ねば兄が王になり、兄は妹を殺したがっている。つまり俺は、2か月以内に、エリシアを王座の隣まで押し上げるか、あるいは病床の王に直接会うしかない。
「なら、あんたの父親に会わせてくれ」
「会えません」
答えが速すぎた。エリシアは自分でもそれに気づいたらしく、手元の目録の角を指で揃え直した。揃っているのに、2度揃えた。
「……3日前から、意識がございません。申し上げるつもりでおりました。今朝、申し上げるつもりで」
◆
その日の午後、俺は演習場を見に行った。することがなかったからだ。書庫が開かないなら、この国の底を測っておくくらいしか、やることがない。
南棟の裏に、砂を敷いた広場があった。20人ほどが打ち合っている。剣。槍。盾。掛け声。汗の匂い。
俺は柵に肘をついて、それを眺めた。あの中で一番動ける男でも、ダンジョンの3階層目で死ぬ。だが、動きそのものは鍛えられている。
「おい」
声がかかった。
振り返ると、男が立っていた。30かそこら。背が高い。肩幅がある。磨いた胸当てに、金の縁取りの入った外套。死んだ護衛から借りた記憶によれば、それは近衛の、それも上の方の意匠だった。
男は俺を上から下まで見た。時間をかけて、丁寧に。
「貴様が、殿下の拾ってきた男か」
俺は返事をしなかった。名乗りもしない相手に、返事をする気は無い。前世では、名乗らない者は俺の前に立てなかった。
男は俺の沈黙を、別の意味に取ったらしい。口の端が上がった。
「近衛騎士団副長、ガイル・ドランだ」
「以後、覚えておけ」
(……ガイル)
俺は名前を頭に入れた。たぶん明日には忘れるだろうな、と思った。
「それで」
「近衛の副長殿が、俺に何の用だ」
「言葉を知らんのか。目上には敬語を使え」
「目上、ねぇ」
俺は男を見た。俺より10以上年上だ。この国では上の立場にいて、部下がいて、名前がある。
その全部が、俺の知ったことではなかった。
「生憎だが、俺の目の上に立てる奴は、そう多くねえんだ」
男の顔から、笑いが消えた。周りで打ち合っていた音が、いくつか止まった。柵の内側で、若い騎士が2人、こちらを見ている。副長が誰かに絡んでいるのは、たぶん珍しい光景ではない。だが返された方は珍しいのだろう。
「……3日後だ。この場所で近衛の定例演習がある。陛下の御前試合の予行を兼ねる」
ガイルは、俺の返事を待たなかった。
「貴様も出ろ」
「断る」
「殿下の護衛だと名乗るなら、腕を見せる義務がある」
「素性の知れぬ男を王宮に置いている。それだけで殿下の評判に傷がつく。分かるか。俺は殿下のためを思って言っている」
この言い方は上手い。断れば俺がエリシアの足を引っ張ることになる。受ければ、ガイルの土俵に上がることになる。
どちらに転んでも、ガイルは損をしない。
(——なるほどな)
ただ、前提をひとつ間違えてやがる。
「いいだろう」
「3日後だな」
ガイルが、目を細めた。拍子抜けした顔だった。
「言っておくが、手加減はせん」
「そうしてくれ」
俺は柵から肘を離した。
「俺の方も、そうする」
背を向けて歩き出したとき、後ろで誰かが笑った。若い騎士だ。
俺は振り返らなかった。




