第10話 迎え
城門は、呆気なく通れた。
列に並び、荷を見せ、銅貨を2枚払う。門番は俺の顔を見もしなかった。1日に何百人と通るのだろう。1人ずつ覚えていられるはずがない。
(……これが人間の街か)
壁の外から見たときは、要塞のように見えた。中に入ってみれば、要塞というより、ただの口だった。誰でも入れる。入ったあとで、初めて監視される。そういう仕組みなのだと理解するのに、少しかかった。
街は、うるさかった。これが一番こたえた。あの穴で俺が聞いていたのは、自分の足音と、魔物の関節が鳴る音と、水の滴る音だけだ。道中でだいぶ慣れたつもりでいたが、甘かった。
車輪。蹄。金槌。呼び声。値切る声。子供が泣く声。犬。鶏。歌。喧嘩。全部が同時に来る。
俺は思わず足を止めた。
「ゼノ様?」
「……いや」
俺は歩き出した。
(うるせえな)
エリシアは頭巾を被ったままだった。リィナが半歩前を歩き、人混みを割る。王都の道を知っている。大通りを避け、細い道を選び、それでいて遠回りにならない道を選んでいた。
「ゼノ様」
リィナが低く言った。
「見られています」
「あぁ」
城門をくぐってすぐからだ。3人。距離を取って、交代しながらついてきている。
「撒きますか」
「必要ない」
「見せておけばいい。こちらが着いたことは、どうせすぐ知れる」
◆
王宮は、街の北の高台にあった。白い石を積んだ壁が、街の壁とは別にもう1枚。その内側に建物が幾つも重なり、中央に細く高い塔が立っている。遠くから見えた白い塔だ。
門の前に、人が並んでいた。20人ほど。全員が同じ意匠の外套を着ている。あの岩場で死んでいた4人と、同じ紋だった。
エリシアの足が止まった。
「……迎えが」
「知らせたのか?」
「いいえ」
列の中央から、1人の男が進み出た。50かそこらだろう。背は高くない。痩せてもいない。上等な布を着ているが、目立つ色は使っていない。目立つことに何の利益もないと知っている人間の服だった。
男は片膝をつき、深く頭を下げた。
「エリシア殿下」
声は、よく通った。
「ご無事のお戻り、なによりに存じます」
エリシアは頭巾を外した。その途端、顔から表情が消えた。道中で一度も見せなかった顔だ。俺の後ろで眠っていた娘とも、俺に「誰と話せばよいのか分かりません」と言った娘とも、まるで違う。
「出迎え、痛み入ります」
声も違った。
「わたくしが今日、この時刻に着くと、どなたからお聞きになりましたか」
「聞いてはおりません」
男は顔を上げずに答えた。
「6日前より、毎日この時刻に、ここで待っておりました」
(——ほう)
俺は口の端が動くのを、止めなかった。
6日前。俺たちが追手を返り討ちにした翌日から、ここに立っていたことになる。
「殿下がお戻りになるなら、日暮れ前に南の街道から。そう見当をつけておりました。外れておりましたら、明日も参るつもりでございました」
「よくお分かりになりましたね」
「王家に仕えて30年になりますゆえ」
俺は男を見ていた。こいつは、俺を一度も見ていない。王女の隣に、素性の知れない男が立っている。汚れた旅装で、剣も持たず、王宮の門前まで来ている。普通なら真っ先に確かめる相手だ。
見ない。もう知っている、ということだ。
風向きが変わった。俺は鼻を鳴らした。
布。汗。香。それから——油。武具の手入れに使う油だ。この距離で、この濃さで匂うということは、この男は今日、鎧か刃物に触れている。上等な布を着て、王宮の門前で王女を出迎える男が。
俺は7日前の夜を思い出していた。12人。逃げ道を1本だけ残す寄せ方。中級が2人。依頼主を末端に知らせない手際。
あの連中の身体からも、同じ匂いがした。
(……こいつか)
証拠にはならない。王宮に仕える人間が油に触れる理由など、いくらでもある。
だが、俺は証拠で動く生き物ではなかった。
俺は1歩、前に出た。
「はじめまして」
男の視線が、初めてこちらへ動いた。
「エリシア殿下の護衛を務めております。ゼノと申します」
俺は言った。できる限り、丁寧に。
「6日間、ずいぶんと退屈しませんでした。どなたのお心遣いか存じませんが、礼を申し上げたい」
男の表情は、動かなかった。動かなかったが、瞬きがひとつ遅れた。
それで足りる。
◇
——ゼノ様が「はじめまして」と仰ったとき、わたくしは袖を引こうとして、手を上げかけておりました。何か粗相をなさる前に、と。
上げかけた手は、そのまま宙に残りました。
退屈しませんでした、と。この国の宰相に、王宮の門前で、20人の前で。何を仰っているのか、すぐには分かりませんでした。分からないうちに、膝の裏が冷たくなりました。
何か言わなければと思いました。この方は礼を知らない田舎の者で、と。口を開けたら、出てきたのは息だけでした。
6日前から毎日ここで待っていた、と聞いたとき、わたくしは嬉しかったのです。ほんの、今しがたまで。
「……ご苦労なことでございました」
男は言った。
「王都は物騒でございます。護衛の方には、これからも殿下をお守りいただきたく」
「ええ」
俺は頷いた。
「そのつもりです」
門が開いた。
エリシアが先に入った。入る前に一度だけ、俺の袖を掴んで、すぐに離した。何か言うのかと思ったが、何も言わずに歩いていった。リィナが続いた。俺は最後に門をくぐりながら、上を見た。白い塔が、真上にあった。あの下のどこかに書庫がある。2000年前の記録が、誰にも読まれないまま埃をかぶっている。
ここまで、18年かかった。
(——さて)
俺は塔を見上げたまま、腹の底で笑った。
(人間の国ってのは、面白いじゃねえか)
◆
書庫を覗いて、用が済んだら出て行く。俺はそのつもりで、この門をくぐった。
——この石の街が、俺に《《退屈しない日々》》を寄越すことになるとは、この時はまるで思っていなかった。




