第104話 忘れました
倉庫の扉は、人足が開けた。荷を積むためだ。板を渡して、箱を運び出す。箱は2つ。縄で縛ってあって、上の板に小さな穴が4つ開いていた。息をするための穴だ。
その穴の1つから、指が1本出ていた。
俺は、桟橋を歩いた。走らずに歩いた。走れば、向こうが数える。歩いていれば、荷を見に来た商人に見える。板の継ぎ目から、下の水の匂いが上がってきた。
人足の1人が、こちらに気づいた。
「どいてくれ。積むところだ」
「その箱は、何が入ってる?」
「知らん。開けるなと言われてる」
「開けるぞ」
人足は、縄を握ったまま動かなかった。止めるためではない。関わらないためだ。そういう手の力の抜き方をしていた。
俺は、上の箱の縄に闇を通した。縄は切らない。縄の内側だけを細く落とす。落ちた縄が、自分の重さで解けた。蓋が持ち上がって、中に、いちばん小さい子がいた。
子供は、目を開けたまま動かなかった。口に布が入っている。布の端が、顎の下で結ばれていた。
俺が布を取ると、子供はまず息を吸って、それから、泣かずに俺の顔を見た。
「……せんせいは」
「来てる」
下の箱には、テオが入っていた。こちらは目を閉じている。頬が腫れていて、腫れ方が片側だけだ。手を縛られた縄の下で、掌が血で汚れていた。爪が2枚、剥がれている。自分で引っ掻いた跡だ。板の内側を、何度も。
「テオ」
返事は無かった。俺は、光を3枚組んで、首の後ろから流した。
少年の睫毛が動いて、目が開いて、俺を見て、それから自分の手を見た。
「……銀貨」
「なんだ」
「銀貨、受け取っときゃよかった」
彼はそう言ってから、自分で笑おうとして、頬の腫れたところが痛んだらしく、顔を歪めた。
倉庫の中から、男が3人出てきて、俺を見て、それから箱を見た。
3人とも、同じ動きをした。腰の後ろに手を回して、そこから何かを引き出す手つきで、何も無いところに指が輪を描く。輪が3つ、同時に開いた。
俺は闇を5枚組んだ。1枚をテオと子供の上に伏せ、残り4枚を自分の足元に敷いて、その内側に光魔法の陣を1枚重ねる。石の谷の組み方だ。外周に闇、内周に光。
3つの輪から出てきた鉄の棒は、3本とも俺の敷いた闇の上で滑って、桟橋の板に落ちた。音が、3つ重なった。
「……開く場所を、ずらされてる」
真ん中の男が、そう言った。
「もう1度」
「もう1度でも同じだ」
「じゃあ、手で行け」
3人が、同時に走った。
1人目は、リィナが止めた。木剣が鳩尾に入って、男が膝をつくところへ、もう1度。今度は肩の骨の折れる音がした。
リィナは止まらずに、2人目へ向かった。
「リィナ」
呼んだが、返事をしなかった。
2人目は、シャルが横から取った。刃は無い。素手で男の手首を掴んで、輪を描かせないようにする。掴んだまま自分の体を捻って、男を桟橋から落とした。水音がした。
「ゼノ様。刃が無いので、落としました」
「それでいい」
「……次からは、刃を2本持ちます」
3人目は、倉庫の中へ戻って、扉を閉めた。その前に、リディアが立っていた。いつの間に回ったのか、俺にも見えていない。
彼女は、包帯の方の手を扉に当てた。
「開ける」
「中に6人いるんだろうが」
「4人になった」
扉の板に、円が浮いた。直径は、人が1人通れるほどだ。円の内側が、色を失った。
リディアは、その中へ手を入れて、引き抜いた。その手に、閂の木が握られている。扉が、内側から開いた。
倉庫の中は、暗かった。窓が無く、天井の高いところに換気の穴が2つ開いているだけだ。床に木箱が並んでいるが、荷の並べ方とは違う。真ん中が、四角く空いていた。
そこに、石の円が1つ彫ってある。床の石を削った円だ。直径は6尺。谷の壁の円と、線の組み方が同じだった。
「これが、棚の口か」
「口だ」
リディアは、その円の手前で止まった。
「わたしは、ここから先へ入らない」
「なぜだ?」
「入ると、閉められる。4年、それをやられた」
彼女は、そう言って、俺を見た。
「あんたが入れ。わたしが外で開けておく」
俺は円の中へ足を入れかけて、一度だけ振り返ると、リィナが立っていた。木剣を持ったまま、こちらへ来ようとしている。
「来るな」
「……嫌です」
「リィナ」
「嫌です」
俺は、そこで止まって、言い方を選んだ。
「外で、この女を見てろ」
リィナの足が、止まった。
「この女が閉めたら、俺は出られねえ」
「……はい」
「見てて、閉めなかったら、それでいい」
リディアが、鼻で笑ったが、否定はしなかった。
円を踏んだ瞬間、足の裏が消えた。痛みは無い。重さが無くなる。次に膝から下が無くなって、腰から下が無くなって、それから、全部が無くなった。その先に、床があった。
そこは、部屋だった。広さは大学の講堂ほど。天井が無い。壁も無い。床だけがあって、床の縁から先は、何も無い色が続いている。音がしない。自分の足音すらしなかった。
床の上に、木で組んだ棚が並んでいた。5段のものが、12列。その上に、物が並んでいる。
いちばん手前の棚に、木の板が1枚あった。11人の名の板だ。石の谷の記録庫から奪われた、あの板だった。
俺がそれを取ると、下にもう1枚ある。新しい板だ。まだ削り跡が白い。そこに、名前が7つ彫ってあった。
7つのうち、4つは読めた。ラセルの子供の名前だ。納屋で石板に書かせた、あの7人のうちの4人。残る3つは削りかけで、彫っている途中で手が止まっていた。
——まだ、間に合う。
俺は、その板を割ろうとした。割れなかった。闇を通しても、光を通しても、板は割れない。指で押しても、撓みもしない。
俺は板を2枚とも抱えて、振り返った。
振り返った先に、女がいた。床の上に膝を抱えて座っている。背はリディアより低い。髪が長すぎて、床に広がっていた。服は聖国の修道服だが、裾が擦り切れて、色が抜けている。
その女が、顔を上げた。顔が、リディアに似ていた。
「……あなた、外の人?」
俺は答えずに、その顔を見ていた。左の頬に痣がある。リディアと同じ位置だ。
女は床に手をついて、少しだけ身を起こした。
「わたし、ここで、何年待ちました?」
俺は板を抱え直して、その女に近づきながら闇を1枚、指の上で回す。この場所で闇が回るかどうかを試した。回った。
「あんた、名は」
女は、少しの間考えてから、こう答えた。
「《《忘れました》》」




