第102話 数えるな
翌朝、俺は納屋へ行った。
『明日は来るな』と書いてあった。読んで、行った。
シャルを屋根に上げ、ミルカを坂の中ほどに置いた。リィナは俺の後ろ、フィーネは納屋の中だ。フィーネには石板を持たせて、字を教える者の顔をしていろと言った。
彼女は石板を受け取って、その表を指の腹で撫でた。粉が指についた。
「……わたし、人にものを教えたことがございませんの」
「教えなくていい」
「では、何をいたしますの?」
「11人、数えるな」
『あんたが来ると、あの子たちが数えられる』
その1行を、俺は3度読んだ。
数えるのは、向こうだ。こちらが子供の方へ目をやった瞬間に、何人を守っているかが向こうに渡る。
前世で、俺はそれをやる側だった。
子供は、9人しか来なかった。テオがいない。いちばん小さい子もいない。莚の上に9人が座って、互いに顔を見合わせていた。
フィーネが石板を配りながら、1人にだけ声を落として訊いた。
「あの大きい子は、どちらですの」
「……朝、網を引きに行った」
「いつも、この時刻に戻りますの」
「戻る」
その子は、そう言って、戸口を見た。
戸口に、人が立った。テオではなかった。男が2人だ。黒い長衣は着ていない。漁師の胴着を着て、荷縄を肩に掛けている。掛け方が下手だった。荷を担いだことのない掛け方だ。
背の高い方が中を見て、口の中で何か数えた。唇が、9まで動いた。
「昨日は11人だった。今日は9人だな。2人、足りない」
男の声は、思ったより明るかった。人に道を訊くときの声だ。
フィーネが、石板を膝に置いた。
「11人でしたかしら。わたし、昨日はおりませんでしたの」
「あんたは昨日いた。北の窓から見た」
俺は、莚の端に座ったまま動かなかった。男の目が一度こちらへ来て、また子供へ戻った。
「おい、そこの。お前、名前は書けるか。書けるなら、ここに書け。菓子をやるぞ」
低い方の男が、懐から袋を出しながら、9人のうちの1人を指した。中身が、確かに菓子の音を立てた。子供は、答えなかった。
俺はそこで立って、男と子供の間に入った。背は向こうの方が少し高く、見上げる形になった。
「名前は、後でいい」
「なぜだ?」
「まだ習ってねえからだ」
「習ってないのに、ここに座ってるのか」
「座らせてる」
男は、俺の顔を見て、初めて笑った。前歯が1本無かった。
「あんた、教える側か」
「そうだ」
「じゃあ、あんたの名を書いてくれ」
彼は、石板を1枚、俺に差し出した。受け取る理由が無い。受け取らない理由も無い。俺はそれを受け取って、指で1文字書いた。
ゼノの「ゼ」ではなかった。谷の壁で見た円の、外周の線だ。
男の目が止まった。
次の瞬間、男の手が石板を叩き落とした。石板は莚に落ちて、割れなかった。男の顔から明るさが消えた。
「——あんた、どこでそれを見た」
「北だ」
「北のどこだ」
「谷だ」
低い方の男が後ろへ下がって、戸口の外へ手を伸ばした。何も無いところで、指が輪を描く。その内側が、色を失った。
その色の中から、男は棒を1本引き出した。鉄の棒だ。長さは腕ほど。先が鉤になっている。
——物を、別の場所に置いてある。
屋根が鳴った。シャルが、ずれた板の隙間から落ちざまに、低い方の男の首を狙う。狙いは正しい。ただ、刃が届く前に、男の足元に丸い線が走った。
シャルの刃が、また消えた。今度は柄ごとだ。落ちてきたのはシャルの体だけで、莚の上で1度転がって、すぐ立った。手には、何も無い。
「嬢ちゃん。昨日の続きか」
高い方が、そう言った。
俺は、そいつの言い方に引っかかった。昨日、刃を切ったのはリディアで、この男ではなかった。
「昨日、見てたな」
「見ていた。あの女の使い方は、俺たちのより古い」
彼は、鉤の付いた棒を受け取った。
9人の子供が、莚の上で固まっていた。
俺は闇を2枚組んだ。1枚目を、子供と男たちの間に、床から天井まで壁のように立てる。2枚目を納屋の戸口に伏せると、外で音がした。何かが闇に当たって落ちた音だ。
外から、3人目が入ろうとしていた。
「3人目だ」
リィナが、そちらへ走って外へ出た。木が折れるような音が2度した。戻ってきたとき、彼女の木剣の先が欠けていた。
「1人、倒しました」
「殺したか」
「殺していません。両膝を折りました」
高い方の男が、俺の背の後ろを見た。
闇の壁の向こうに、子供が9人いる。壁は透けない。こちらから壁の向こうは見えないのに、男の唇がまた9まで動いた。
「……9人だな」
「数えるな」
「数える」
彼は、鉤を肩に担いだ。
「1人ずつ消せば、あの女は必ず出てくる。12年、それで釣ってきた」
俺は、一歩前へ出た。背中側でフィーネが息を吸うのが分かった。彼女は石板を持ったまま、子供の前に立っている。立ち方が、審問庁の扉の前に立ったエリシアと同じだった。
「あんたら、何人でここに来た」
「4人だ」
「正直だな」
「隠しても、そっちの女が数える」
4人目は、納屋の中にいた。莚の端、9人から半歩離れたところに、石板を持っていない子供がもう1人いる。背は低い。膝が、他の子より汚れていなかった。
そいつが立ち上がりながら、右手で自分の足元に輪を描いた。
輪が開いたのは、闇の壁の内側——子供たちの並びの、真ん中だった。
俺は闇の壁を落として、代わりに、その輪の縁へ闇を1枚差し込んだ。石の谷で覚えた形だ。外周に流すと、閉じる動きが一瞬遅れる。
その輪の中に、俺は腕を突っ込んだ。掴んだのは、向こう側の何かだ。布と、骨と、髪。引き抜くと、低い方の男が、輪ごと納屋の床に転がり出た。
——別の場所に置いてあるのは、物だけじゃねえ。
転がり出た男の腕が、肩の途中から無かった。輪が閉じるとき、そこで切れたらしい。血が莚に広がった。男は声を上げずに、自分の無い腕の先を見ていた。
俺は、そいつの傷口に光を2枚流した。血が止まった。腕は戻らない。
「……なぜ止めた」
「死なれると、数が減る」
子供に化けていた4人目が、戸口へ走った。その先に、リィナが立っていた。木剣が上がって、止まった。
止めたのはリィナ自身だ。相手の背が、本物の子供と同じ高さだったからだ。その一瞬で、4人目の足元に輪が開いた。
輪は、開ききらなかった。外から別の輪が重なった。1尺の小さいやつだ。重なった場所で、2つの円が食い合って、両方とも消えた。
戸口の外に、女が立っていた。栗色の髪。左の頬に痣。右手を外套の中に入れている。
リディア・ネイアは、納屋の中を見た。
「……なんで来た」
「来るなと書いてあった。読んだ」
「読んで、来たのか」
「来た」
彼女はそれ以上訊かずに、莚の上の9人を、目で数えた。自分でも気づいたらしい。途中で口を閉じて、それから俺を見た。
「2人、足りない」
「テオと、いちばん小さいのだ」
高い方の男が、鉤を下ろした。降参した者の下ろし方ではない。仕事を終えた者の下ろし方だった。
「出てきたな。2人は、港の3番倉庫にいる。船が出るのは、日が沈んでからだ。……嬢ちゃん、あんたが来れば、2人は返す」
リディアは、返事をしなかった。
「あの子たちに、《《名前を書かせたな》》」




