第10章 書かれていること
「私たちは、あなたがたが何を信じているかは知っています」
世界最大級の宗教連合の議長が言った。
「死者の状態。復活。神の王国。崇拝。あなたがたが根拠にしている聖句も調べました」
「はい」
「それでも、私たちとは結論が違う」
議長は少し間を置いた。
「問題は、あなたがたの教えが、本当に本文から導けるかどうかです」
「僕も、そこを確かめたいと思っています」
「第九で?」
「はい。ただし、僕たちの理解を証明してもらうためではありません」
「では?」
「完全な本文が与えられたら、僕たちの説明ではなく、本文と比べてください」
「あなたがた自身も?」
「もちろんです」
「食い違っていたら?」
「僕たちの方を直します」
通話の後も、エリックはしばらく画面を見ていた。
確信していることまで曖昧にしたくない。
人間の推測を、聖書そのもののようにも扱いたくない。
そして何より、
あなたたちは間違っている。私たちに従いなさい。
とは言いたくなかった。
第九は、神の民に従わせるためではない。全員が同じ本文を自分で確かめるためのものだった。
この連合は、主として旧約・新約聖書を正典としてきたキリスト教系の諸団体で構成されていた。だが、問い合わせてきたのはその宗教連合だけではなかった。第九の開始日が改めて公表されると、さまざまな宗教の指導者から連絡が届いた。自分たちが長く受け継いできた教えを、簡単には手放せない人もいた。大勢の信者に何を伝える責任があるのか、本気で悩む人もいた。九十六人は応答を分担し、その記録を共有した。
エルサレムの一人のラビは、エリックに言った。
「あなたがたがイエスをメシアと理解していることは知っています。根拠にしている聖句も読みました。それでも私たちは、イエスやその弟子たちについて書かれた書物を聖典として受け入れてきませんでした」
エリックは黙って聞いた。
「もし、第九の幸いで与えられる完全な本文に、それらの書物まで含まれていたら、私たちはどう考えるべきなのでしょう」
「何が含まれるかは、僕にもまだ分かりません」
「では、もし含まれていたら?」
「その時に、本文そのものを確かめるしかないと思います」
「受け入れろ、と言うのではなく?」
「僕が言ったから受け入れるなら、確かめたことになりません」
ラビはしばらく黙った。
「……それなら、少なくとも読む責任はあるでしょう」
中東のイスラム教の研究者たちからも連絡が来た。代表者は言った。
「あなたがたが現在の聖書をどう位置付け、その根拠をどの聖句に求めているかは調べました。それでも私たちは、モーセに律法が、イエスに福音が神から与えられ、コーランをその後に与えられた最後の啓示としてきました」
「はい」
「ですから、現在の聖書本文を最後の基準としてきたわけではありません」
エリックはうなずいた。
「もし、人間が復元したのではない形で、モーセやイエスに関わる本文が本当に与えられ、それが私たちの理解と食い違ったなら、私たちはそれを無視してよいのでしょうか」
エリックは少し考えた。
「それを僕に決めてもらわない方がいいと思います」
「では、何をすれば?」
「与えられたら、読んでください。僕たちもそうします」
インドのあるヒンズー教団体を率いる教師からの通話には、九十六人の別の一人が応じた。教師は言った。
「私たちには、自分たちが聖なるものとして受け継いできた文書と教えがあります。聖書を、全人類に対する唯一の神の言葉として扱ってきたわけではありません」
そして、少し間を置いた。
「ですが、これまでの八つの出来事が本当に同じ神から来ていて、今度はその神の言葉だという本文が全人類に与えられるのなら、調べもしないで拒むことが、私を信頼してきた人たちへの責任ある態度でしょうか」
九十六人の一人は答えた。
「一緒に調べる、と伝えることはできると思います」
教師は長く黙った後、うなずいた。
東南アジアの仏教僧から届いた質問は、さらに簡潔だった。
「私の伝統では、創造者である一人の神から啓示された書物を、信仰の中心にはしてきませんでした」
「はい」
「それでも、目の前で起きてきたことを、自分の教えに合わないという理由だけで見なかったことにしてよいのでしょうか」
応じた九十六人の一人は、しばらく考えてから言った。
「何が与えられるのか、まず確かめてください。僕たちも、それ以上のことはまだできません」
僧は少し笑った。
「あなたたちは、思ったより答えを持っていないのですね」
「持っていない答えを持っているふりは、しないようにしています」
その返事に、僧はもう一度笑った。
◇ ◇ ◇
第八の幸いから五十八日目。
第九の二日前、宗教連合との公開協議が始まった。世界各地の指導者と研究者をオンラインで結び、内容は清い言語で公開された。
一回目の協議で、宗教連合の議長が尋ねた。
「第九の幸いによって、あなたがたの聖書解釈が唯一正しいと証明されるのですか」
エリックは清い言語で答えた。
「そのようには告げられていません」
「では、何が起きるのですか」
「崇拝について調べるための完全な本文が、清い言語で全世界へ与えられると告げられています」
「どのような形で?」
「分かりません」
議長の表情が、わずかに硬くなった。
「完全な本文が、どのような形で与えられるかは分からないのですか」
「はい」
「それでは、協議の意味がない」
「意味はあります」
エリックは、自分の弱さが隠れない声で話したくて英語へ切り替えた。英語を理解しない参加者には、清い言語へ通訳された。
「す、少なくとも、僕たちが第九の幸いを、じ、自分たちの権威に使わないと、事前に確認できます」
「あなたがたは、すでに権威を持っています」
「その影響力を、宗教的な権威に変えるべきではないと思っています」
「世界中の政府が、あなたの災害警告に従っている。何億もの人々が、あなたの言葉を聞いている。あなたがたの生活圏には食料があり、水と土地が清められた。それを権威と呼ばずに何と呼ぶのですか」
エリックの言葉が止まった。
求めていなくても、自分の一言が市場や政治、人の移動に影響する。エリックはそれを否定できなかった。
「え、影響力は、あります」
エリックは認めた。
「だからこそ、こ、怖いんです」
会議の参加者たちが画面を見つめた。
「僕が、せ、聖書にこう書かれていると言えば、多くの人が自分で確認せず信じるようになりました。それは、正しい状態ではありません」
「では、あなたは何のために話しているのです?」
「僕の言葉を信じてもらうためではありません」
エリックは一度、息を整えた。
「自分で確かめてもらうためです」
◇ ◇ ◇
二回目の協議では、神の民が使用してきた聖書資料そのものが問題にされた。一人の聖書学者が、画面に大量の脚注を表示した。
「あなたがたは、本文と説明を分けると言います。しかし、あなたがたの出版物にも膨大な注釈があります」
「あります」
「原語についての判断もある。写本の選択もある。特定の語をどのように訳すかについて、明確な立場を取っている」
「その通りです」
「ならば、あなたがたも一つの翻訳伝統にすぎないのでは?」
「翻訳については、そうです」
学者は一瞬言葉を失った。
「認めるのですか」
「人間が別の言語へ訳したものなら、訳語を選んでいます」
エリックは続けた。
「でも、それは、聖書の教えが全部不確かだという意味ではありません」
「例えば?」
「死者についてなら、僕たちは普通の英語聖書を読んできました。復活についてもです。王国についてもそうです」
「それでも翻訳でしょう」
「はい。でも、読めないわけではありません」
エリックは画面に資料を表示した。
本文。翻訳。写本上の異読。語義の説明。
「僕たちは、これを同じものとして扱わないようにしてきました」
「完全にできましたか」
「いいえ」
「では第九の幸いは、あなたがたに完全な解釈能力を与えるのですか」
「そうは告げられていません」
エリックは即答した。
「むしろ、逆だと思っています」
「逆?」
「もし神から出たことを疑う余地のない本文が与えられるなら、それと僕たちが使ってきた聖書を直接比べられます」
「つまり?」
「どこが翻訳上の選択だったのか。どこに写本の違いがあったのか。何が本文にあり、何が人間の説明だったのか。それを、同じ基準で世界中の人が確かめられる」
学者はしばらく考えた。
「正しい解釈を頭へ入れてくれるのではない?」
「それなら、また別の注釈が一つ増えるだけです」
会議の一部から小さな笑いが起きた。エリックも少し笑った。
「第九は、僕たちが考えなくてよくなる幸いではないと思います」
エリックは清い言語に戻った。
「与えられるのは、出所を疑う余地のない完全な本文です。そこから何を理解するかは、なお調べなければなりません」
宗教連合の議長が尋ねた。
「それは、人間から解釈する自由を奪うのではありませんか」
「いいえ」
「なぜ言い切れるのです?」
「複数の可能性が残る箇所では、複数の可能性が残るからです」
エリックは画面を見た。
「本文を正しく理解するとは、すべての問いに一つの答えを作ることではありません。本文が答えていない問いについて、答えていないと正しく受け止めることも含まれます」
◇ ◇ ◇
三回目の協議では、質問はさらに直接的になった。
「あなたがたは、死者には意識がないと教えてきましたね」
「はい」
「神の王国は、単なる心の状態ではなく、実際の統治だとも」
「はい」
「その根拠にしている聖句も、すでに公開されている」
「そうです」
「なら、第九が自分たちの正しさを証明してくれるのを待っているだけでは?」
エリックは首を振った。
「基本的なことについて、僕たちに信仰がないわけではありません。第九まで、死者や復活について何も分からないという意味ではないんです。でも、僕たちの理解を証明してもらうことを待っているんじゃありません。写本が分かれている箇所や、原語の意味の幅、本文がどこまで特定しているか、慎重に考えるべき問題があります」
「あなたがたが正しかった問題については?」
「正しかったなら、本文と一致するでしょう」
「間違っていたなら?」
「直します」
「そんなに簡単に?」
「簡単ではないと思います」
エリックは一度言葉を止めた。
「でも、僕が今ここで全回答を発表して、第九の幸いをエリック・ウィルソンの信条を証明する出来事に変える方が、もっと間違っています」
◇ ◇ ◇
協議の後、世界中の宗教団体や企業は、それぞれ第九への準備を始めた。自分たちの信条が証明されると宣言する団体も、まだ存在しない「完全聖書」を予約販売する出版社も現れた。神の民の中にも、先に精密な復元版を作る案が出た。エリックは反対した。
「第九の幸いより先に完全版を名乗れば、私たちも同じことをしていることになります」
「では、何も準備しないのですか」
「記録する準備はします。与えられたものを、そのまま」
研究担当者が尋ねた。
「それは、新しい聖書になるということですか」
エリックは首を振った。
「新しい、という言い方は違うと思います」
机の聖書を開いた。
「モーセが最初の石板を砕いた後、神は別の十戒を与えませんでした。最初の書き板にあった言葉を、もう一度書くと言われました」
「僕たちの場合、聖書そのものが失われたわけではありません。父も僕も、この聖書で神の王国も復活も学びました。でも、原筆そのものは残っていない。写本が分かれている箇所も、訳す時に判断が必要な箇所もあります」
エリックは画面を見た。
「新しい言葉を足すんじゃない。最初に与えられた言葉を、もう推測しなくていい形で確かめられるようにする。そういう幸いなのかもしれません」
「二組目の石板のように?」
「同じ出来事だとは言いません。でも、別の言葉が与えられるんじゃなくて、最初の言葉が基準として置かれる。その点は似ていると思います」
研究担当者はうなずいた。
「なら、準備するのは翻訳ではなく、比較ですね」
「それと、直す準備です」
「何を?」
エリックは少し笑った。
「僕たちの側に、直すものがあれば」
◇ ◇ ◇
第九の幸いの前夜。
神の民の各拠点には、ネットワークから切り離した端末、新品の記憶装置、紙、印刷・音声記録設備が用意された。どんな形で現れても、そのまま保存するためだった。ただし、誰も「完全聖書」という表紙を事前に印刷しなかった。
空白のまま待った。
エリックは家族と共に、小さな会議室にいた。机の上には、父ジョシュアが使っていた古い聖書が置かれていた。ページの端は擦り切れ、あちこちに父の書き込みがある。
赤い線。青い線。疑問符。感嘆符。
そして、何十か所にも書かれた短い言葉。
ハレルヤ。
ジーンがページをめくった。
「これ、おじいちゃんが書いたの?」
「そうだ」
「聖書に書いていいの?」
「本文の上じゃなければ、父さんはいいと思ってた」
マイクが別の書き込みを見つけた。
「ここに、“分からない”って書いてある」
「父さんも、分からないことがあったからな」
「パパより?」
「父さんの方が、分からないって言うのは上手だったかもしれない」
母マリーが、聖書をのぞき込んだ。
「お父さんは、分からないことでも楽しそうに考えていたわ」
「僕は、胃が痛くなる」
「あなたは全部、自分が答えなければいけないと思うからよ」
マリーは、夫の書き込みを指でなぞった。
「この聖書は、完全じゃないの?」
マイクが尋ねた。
エリックは父の古い聖書を見た。
「神を知って、信じて、生きるのに必要なことは、ちゃんと書かれているよ」
マイクは少し考えた。
「じゃあ、明日のは何が違うの?」
「昔、この聖書を書いた人たちが最初に書いた言葉を、もっとはっきり確かめられるようになるんだと思う」
「間違ってるところがあるの?」
「大事なことが全部間違ってる、っていう意味じゃないよ」
エリックは父の書き込みを指でなぞった。
「おじいちゃんは、この聖書を読んで復活を信じてた。父さんもそうだ」
マイクは古い聖書を見た。
「じゃあ、これ、いらなくならない?」
「ならないよ」
「どうして?」
エリックは少し笑った。
「この聖書が、どれくらいちゃんと昔の言葉を伝えてきたのか、明日になれば比べられるからだよ」
◇ ◇ ◇
開始時刻の一時間前。
九十六人は一つのオンライン集会につながった。世界中でも、宗教施設、大学、図書館、家庭、新しい生活圏で、人々が聖書や端末を手元に置いて待っていた。
聖書をこれまで信仰の基準にしてこなかった人もいた。
第九は宗教上の争いを終わらせるのか。一つの宗教へ人類を強制するのか。それとも何も起きないのか。
開始三十分前、宗教指導者たちから異なる声明が出た。
「自分たちの伝統と食い違っても、まず本文を調べる」と言う者。「これまで八つの出来事が起きたとしても、出所と内容を検証する前に結論は出せない」と言う者。
開始十五分前。
エリックは父の聖書を開いた。何世代もの人が写し、訳し、印刷して、自分たちまで届けてきた本だった。父はこの聖書で、死者について、復活について、王国について読んだ。エリックも同じだった。
今日、新しい良い知らせが与えられるのではない。
問われるのは、最初から何と書かれていたかだった。
開始五分前。
エリックは清い言語で世界へ語った。
「第九の幸いによって明らかになるものを、神の民の所有物にしてはなりません」
「著作権を主張してはなりません」
「販売の独占権を求めてはなりません」
「人間の団体名を表紙へ付けてはなりません」
一分前。
「本文に反するものが私たちの中にあるなら、私たちも改めます」
残り三十秒。
「完全な言葉が与えられても、それを持つだけで正しい人になるわけではありません」
残り十秒。
最後は、誰も話さなかった。
第九の幸いが始まった。
何も聞こえなかった。
光も現れなかった。
空から本が降ることもなかった。
父の聖書は、英語のままだった。
エリックは時計を見た。
五秒。
十秒。
画面の中の九十五人も、手元の聖書や端末を確認していた。
十五秒。
一人の技術担当者が、顔を上げた。
「端末に文書があります」
「どこから?」
「分かりません」
世界各地から、同じ報告が届いた。ネットワークにつながった端末にも、切り離されていた端末にも、新品の記憶装置にも、同じ一つの文書が現れていた。通信記録も、外部から書き込まれた痕跡もない。作成者名も、出版社も、団体名も、著作権表示もなかった。清い言語による、短い表題だけがあった。
聖なる書
文書を開いた瞬間、エリックは息を止めた。創造の始まりから記述が始まっていた。清い言語。第一の幸い以後に広まった共通表記法で記されていた。エリックには、そのまま読むことができた。
エリックが最初にしたのは、新しい教えを探すことではなかった。
父の英語聖書を引き寄せた。
伝道の書九章。
英語で読む。
次に、清い言語で同じ箇所を読む。
死者は何も知らない。
死者には、働きも、考えることもない。
知っていた。
何度も読んできた。
エリックはもう一度、父の聖書へ戻った。語順は違う。英語として文を成立させるために補われた語もある。
だが、言っていることは変わらない。
エリックはさらに、復活や王国についての箇所を見比べた。細かな語順や訳語は違っても、基本的な意味は変わらなかった。
新しい答えを探していたのではない。父が読んできた聖書が、どれほど忠実に言葉を伝えてきたかを確かめていた。
異読や訳語の選択、完全版によって初めて確定する箇所はあった。だが、父が読んだ聖書は別の本になっていなかった。
エリックは、二組目の石板のことを思った。
そこに別の十戒が書かれたわけではなかった。
今、目の前にある二つの本文も、別の良い知らせを語ってはいなかった。
聖書そのものは失われていなかった。人間が直接確かめられない細部は残っていても、父が信じた希望を支える言葉は残されていた。
マリーが横から尋ねた。
「何をそんなに見比べてるの?」
エリックは二冊を並べた。
「死者のこと。王国」
「違ってた?」
「いや」
エリックは首を振った。
「だから、少なくともここは『翻訳の違いで決められない』とは言えない」
マリーは完全版へ目を落とした。
「これから調べる人には、大きいわね」
「うん」
◇ ◇ ◇
世界中で、同じ確認が行われた。どの端末に現れた文書も、一文字も違わなかった。ネットワークにつながっていたか、新品だったか、何年も使われていなかったかも関係ない。
人間が複製し、注釈し、編集することはできた。
だが、最初に与えられた本文と、人間が手を加えたものを混同することはできなかった。
神の民も急いで「自分たちの完全版」を出版しようとはしなかった。本文はすでに全人類へ与えられている。紙で読みたい人のために作られた最初の印刷物にも、団体名や著作権表示は付けなかった。表紙には、清い言語で一つだけ記された。
聖なる書
写本研究者たちは、数時間で異読、後代の追加、失われた語、書物の範囲を確認した。そして注目されたのは、訂正箇所以上に、訂正する必要のなかった部分の多さだった。一語ずつ同じではなくても、人類が読んできた聖書は別の宗教文書へ変質していなかった。
死者、復活、神の王国、崇拝についての基本的な言葉は、すでに残されていた。
人間が後から加えた章番号や節番号、見出しは本文にはなかった。検索や参照のために外側へ加えることはできるが、本文そのものとは明確に区別された。
そして、長い年月の中で本文から失われていた神の名も、本来記されていた箇所へ戻されていた。古代から四文字で伝えられてきたその名は、清い言語では一つの確かな発音を持っていた。地域差も、推測もなかった。
すべての人が、同じ名を同じように読んだ。
宗教上の争点についても検証が始まった。完全版によって本文上の不確かさが整理され、「失われた原文では違ったかもしれない」という可能性に頼る余地は大きく狭まった。ユダヤ教の研究者たちは、これまで聖典としてこなかったイエスと弟子たちについての書物まで含まれていることを確認した。イスラム教の学者たちは、モーセの律法やイエスについての記録を完全版と照らし始めた。ヒンズー教や仏教の指導者たちは、そもそもこの文書を神から与えられたものとして扱うのかという、さらに根本的な問いに向き合った。
受け入れた者もいた。拒んだ者もいた。判断を保留し、読み続ける者もいた。
宗教連合も緊急協議を開いた。「慎重な判断には時間が必要だ」とする団体がある一方、「世界的な欺きだ」と断じる団体もあった。だが、完全版が既存の聖書と無関係な別の文書ではないことは、読む本人にも分かった。
◇ ◇ ◇
その夜。
エリックは一人で、父の聖書と完全版を机に並べていた。
同じ箇所を何度も行き来した。
詩編。
足のためのランプ。
道のための光。
昔から知っている言葉だった。
その時、背後が明るくなった。
振り返ると、白い衣を着た者が立っていた。
「第十ですか」
――まだである。
天使は机の二冊へ目を向けた。
――第九の災厄は、闇だった。
イスラエル人の住む所にだけ、光があった。
「これは、その逆なんですか」
――そうである。
「光を与える?」
――光は、すでに与えられていた。
エリックは父の聖書へ目を落とした。父も自分も、この書から王国と復活を信じてきた。
「じゃあ、第九の幸いで、何が変わったんです?」
――聖なる書は、人の手から失われたのではない。
天使は完全版を見た。
――人の歩みから失われていた。
エリックは息を止めた。
別の言葉がつながった。
益となることを教え、歩むべき道へ導く方。
その戒めに注意を払っていたなら、平和は川のようになっていた。
聖書は読まれ、訳され、何世代にもわたって手渡されてきた。人間が、その前に自分たちの伝統や説明を置くことができた。
完全版は、新しい光を作ったのではない。
光を遮っていたものを、取り除いたのだ。
「でも、同じ本文を読んでも、従わない人はいます」
――光が道を照らすことと、その道を歩くことは同じではない。
背後の光が薄くなった。
「第十は?」
返答はなかった。
光が消えた。
机の上には二冊が残った。
完全版と、父が何年も読んだ英語の聖書。
エリックは古い方を閉じなかった。




