58 迂回
津田美子は雑木林に囲まれた小道を淡々と歩いて行く。石積の階段を下りたタイミングで俺は護岸に身を潜め、桟橋に目を向けた。
すでに漁船の姿は見えない。黒いジャージを着た白川が、ボストンバッグを片手に佇んでいた。
津田美子は白衣を靡かせ、右手で日差しを遮りながら白川に近づいて行く。俺は二人が対峙する寸前で砂浜へ飛び出した。
「津田先生!」
俺が呼び止めると、津田美子はゆっくりと振り返り、動揺を隠せない様子で言った。
「佐藤か。話は後だ。突然の来客のようだからな」
「彼女は知り合いなんです。なぜここへ来たのか分かりませんが……今はそれどころじゃないですよね? 俺が事情を話しておくので、津田先生は先に宿舎へ戻っていてください」
俺が有無を言わせない態度で言うと、津田美子は溜息を吐いて渋々踵を返す。石積の階段を上り切るまで、俺は注意深く目で追い続けた。
「清楚で豊満な女性ね。合宿の先生?」
白川はそう言って探るような目を俺に向けた。
「まぁそんなところだけど……とにかく今はそれどころじゃなくて、この合宿が大変な事になってる」
「どういうこと?」
白川はボストンバッグを護岸の側の木陰に置いて帽子を脱いだ。艶のある黒髪は後ろで一つ結びにしていた。
「驚かないで聞いてほしいんだけど、俺と根本さん以外の参加者が全員殺された。それと田中っていう男性職員も」
「……本当に? 冗談じゃなくて?」
白川は眉間に皺を寄せて息を呑んだ。
「宿舎の中に、生き残った二人の職員がいる。秋月令子っていう指導主任の先生と、さっき引き返して行った保健担当の津田美子。津田先生は猫を被っているようだけど……実行犯の秋月先生と共犯の可能性もある」
「根本遥が裏で糸を引いてるって事は――無い?」
白川は冷たい表情を浮かべて言った。
「この合宿に関しては……無いと思う。根本さんと密かに宿舎を抜け出して、高台から宿舎の様子を監視していたんだ。
しばらくして島に向かってくる漁船を見つけて――瞳が乗って来たと分かって、急いでこの危険な状況を伝えに来た」
「ふうん。この短い間に、根本遥と随分仲が良くなったようね?」
白川は訝しげな表情で俺を見つめた。
今頃、秋月令子と津田美子は宿舎の中で、今後の対応を話し合っているかも知れない。宿舎に近いこの場所で、じっとしているわけにはいかない。
「とにかく秋月先生と津田先生に見つからないように、身を隠した方がいい。どうして瞳が単身ここへ来たのか気になるけど、話は後だ」
俺は白川のボストンバックを持ち上げた。予想以上に重い。
「ふふっ。寝袋や食材が一杯入ってるから、無理をしないで」
俺の表情を見た白川が、ボストンバックを背中に背負って言った。
石積の階段を上り、宿舎の裏手を通る廃灯台までの道筋は、宿舎の窓から職員たちに追跡される恐れがある。
俺は砂浜を東に進んで一旦宿舎から距離を取った後、茂みの中を迂回して廃灯台へ向かう事にした。たとえ根本遥が茶封筒であっても――この危機を乗り越えようとする気概は同じだと思いたい。
島の東端はコンクリートの桟橋になっていて、見晴らしが良く絶好の釣りスポットに見えた。白川はボストンバッグから水筒を取り出して、ゴクゴクと喉を鳴らした。
「この島へ来た理由だけど、深い意味は無いから。急に無人島でソロキャンプがしたくなっただけ」
海を見ながらそう言った白川に、俺はそれ以上追求する事が出来なかった。




