55 待ち伏せ
俺は舞い上がる砂埃を気にも留めず支柱の合間を縫って直進し、遊戯室の床下を通り抜けて宿舎の裏側に出た。
目的は殺人鬼と化した秋月令子の暴走を止める事。心のどこかで、自分の感覚が麻痺しているのは自覚していた。根拠の無い自信に満ち溢れている事も。
俺は冷徹な決意に従い、壁伝いに倉庫の裏口に向かう。根本遥の捜索は中断し、手遅れになる前に目的を果たさなければならない。
ノブは抵抗無く回った。予想通り、根本遥は出入りしやすいように鍵を開けたままにしていた。俺は医療用はさみを右手に掲げ、左手で静かにドアを開ける。意識はまるで逃げ出した危険動物を必死で探すような感覚。油断はできないが、出来るだけ早く見つけ出したいという使命感が意識の先に来る。
エアコンの冷気と地響きする発電機の音が気にならないほど、集中力が増している気がした。
廊下に面した観音開きのドアは閉じられている。左壁の道具棚に死角は無い。ここに秋月令子が潜んでいるとすれば、部屋の右側に設置された発電装置か大型冷蔵庫の陰。
俺は意識を発電機の陰に向けながらも、背後の道具棚に目を走らせた。目についたのは草刈り用の鎌と柄の長い熊手。殺傷力は劣るが、遠距離から制圧できそうな熊手をつかんだ。
熊手を低く構えて一気に躍り出る――しかしそこに秋月令子の姿は無い。俺は失望と安堵が入り混じった、複雑な感情を抱きながら大型冷蔵庫の扉に目を移す。とてつもなく嫌な予感が頭を過ったが、俺に開けないという選択肢は無かった。
熊手を床に置き、念のため右手に医療用はさみを握る。呼吸を整えた後、冷蔵庫のレバーを引いた。
青いプラスチック製の簀子に、小豆色のジャージを着た根本遥が横たわっていた。
「根本さん!」
俺は思わず声をあげて彼女を抱き上げた。
「フフフ、一だったの。隠れる場所がなかったから、死んだフリをして待ち伏せしていたんだけど」
根本遥は息を吐き出して、手に持っていた除菌スプレーをジャージのポケットに仕舞った。
「とにかく無事で良かった。さっき曽我部太が首を切られて殺された。瀬野賢児も……根本さんは現状をどこまで把握しているの?」
俺の質問に、根本遥は微笑を浮かべて言った。
「ここは落ち着いて話せる場所じゃないわ。それよりも、その物騒なはさみを仕舞ったら? さっきからあんたの殺気がすごいんだけど」
俺は手に持った医療用はさみを見つめて我に返った。普段は見えない凶暴な感情が、理性を超えて俺を駆り立てていたのかも知れない。
「津田先生が医務室とウッドデッキの鍵を閉めて籠城してる。そこに匿ってもらえば、外にいるよりは安全だと思うけど?」
「フフフ。とにかく長居は無用よ。何か扱いやすい武器を持って裏口から出るわ。一緒について来て」
根本遥は三日月鎌を手に取って、忍者のような足取りで裏口へ向かった。俺は床の熊手をつかんで彼女の背中を追う。
床下に潜り込むのかと思いきや、根本遥は茂みを掻き分け、敷地の外へ突き進む。地面は硬い木の根が広がっていて、少しでも気を抜けば足を取られて躓きそうになる。
根本遥は入り組んだ木々の合間を跳ねるように進んで行く。何年も部屋から出ず、引き籠もりを続けているはずなのに、どうして――?
俺は様々な疑問を端に寄せ、無我夢中で彼女を追いかける。息を切らしながら険しい樹海を通り抜けると、そこには今にも崩れ落ちそうな――廃墟となった灯台があった。




