54 殺意
「根本さんを見殺しには出来ません。一応……友だちなので」
俺が虫除けスプレーを取り出して立ち上がると、津田美子は回転椅子に座ったままシダ箒を握った。
「秋月先生がどこに隠れているのか分からないが、我々が外に出るのを待ち構えている可能性もある。馬鹿正直にドアから出るのは愚策だろうな。一体どうするつもりだ?」
「宿舎の床下――コンクリート製の倉庫以外は、支柱の合間を縫って移動できるようでした。根本さんはそこに潜んで宿舎内の様子を窺っているかも知れません。気づかれないように床下へ潜り込めば、彼女を発見できるかも」
俺の返答に、津田美子は呆れた表情を浮かべて腕を組んだ。
「なぜそんな事を……いや、今はそれどころじゃない。硬い床板を引き剥がす手間と時間を考えると、多少のリスクはあってもドアか窓から出る方が早い。
覚悟を決めて表へ出るか? 根本遥が先に見つかれば、彼女を保護して情報を共有し、今後の対策を練るという手もある。
もし秋月先生と鉢合わせたら――応戦するか、逃げるか……あわよくば拘束して、事情を訊くことが出来るかも知れない」
「一先ず俺が様子を見て来ます。床下に潜り込めば、いくら殺人鬼に豹変した秋月先生に追いかけられても、派手な動きは出来ないと思います」
「確かに……動きの取りにくい床下で、二対一の優位性はあまり見いだせないな」
津田美子はシダ箒を離して再び腕を組んだ。
「津田先生はドアと窓の鍵を締めて休息を取っていてください。帰還の合図はノックを続けて五回。とりあえず今から三十分を目安に探索して来ます」
俺は腕時計と壁掛け時計の時刻を確認し、津田美子と目を合わせた。
「危なくなったら迷わず逃げろ。明日の正午まで無事だったら、必ず迎えの船が来るからな」
俺は津田美子にペンライトと護身用の医療用はさみを借りてトイレへ向かった。トイレタンクの上に、曇り硝子の上げ下げ窓がある。
根本遥が脱走した時と同じ道筋。窓の両サイドには遮るものが無く、見通しは良いはずだった。俺は音が鳴らないように慎重に窓を上げ、息を潜めて左右を確認する。
ウッドデッキに人影は無く、しんと静まり返っている。反対側にある勝手口は閉まったまま。突然ドアが開いて襲って来たとしても、対処できるだけの距離はある。
俺は意を決してタンクに足を乗せ、窓から外に出た。後ろで待機していた津田美子が、静かに窓を下ろして施錠した。
俺は念のため医療用はさみを逆手に持って縁の下を覗き込んだ。左手に持ったペンライトをつけて周囲に目を走らせる。急いで床下に潜り込み、呼吸を整えながら匍匐前進で先へ進んだ。
前回床下は暗闇だったが、今は配管や支柱の切れ間から外の光が朧気に差し込んでいる。中央に向かうほど漆黒の闇が広がっていて、配管を通る水や発電機の鈍い音が間近で響いていた。共鳴するように心拍数が上がり、不安の渦に飲み込まれそうになる。
周囲に根本遥の気配は無い。すでに秋月令子に見つかっていたとしたら……。
無惨な最期を遂げた参加者たちの亡骸と、無邪気な根本遥の姿が重なる。同時に不安は急速に冷めていき、徐々に落ち着きを取り戻した。
そして――秋月令子に対する殺意にも似た攻撃的な感情が沸々と湧いてくる。
俺は医療用はさみを握り締めたまま、高ぶる気持ちを抑えることが出来そうになかった。




