48 硬直
カチッ――
微かな音が聞こえた。俺と津田美子は目を合わせ息を殺した。突き上げるような緊張感が心臓を圧迫する。
胸を押さえて立ち上がると、津田美子がシダ箒を廊下側のドアに向け、俺を庇うように前に出た。
一瞬の間をおいて、ガチャガチャとドアノブが小刻みに動いた。津田美子はゆっくりと深呼吸をしながら後退る。俺も必死に鼓動を鎮め、虫除けスプレーのボタンに指をのせた。
ドン! ドン! ドン! ドン!
激しい衝撃音が部屋中に響きわたる。ノックのような生やさしいものではない。ドアノブ付近を踵で蹴破ろうとしているのが否応なく伝わってきた。
「佐藤、仮眠室のドアを開けてウッドデッキへ逃げる準備をしておけ」
俺は急いで仮眠室のドアを開け、そのままウッドデッキに続くドアを開放した。断続的に続いていた衝撃音が止み、不気味な静寂が続く。
「津田先生、外に出るなら今しかないです。食堂から回り込まれたら――」
ガラス戸が乱暴に開いた。テーブルセットの横から、何とも言えない冷酷な表情を浮かべた曽我部太が顔を出した。
俺は絶句し、金縛りにあったように体が動かない。曽我部の虚弱そうに見えた風貌は消え、手には黒いフライパンを握っていた。
曽我部は僅かに口角を上げ、テーブルセットを蹴飛ばした。手摺の格子が弾け跳んで、椅子とテーブルが広場に転がり落ちた。
曽我部は硬さを確認するようにフライパンの側面の角を撫でる。そして視線は俺の左側頭部へと移った。
フライパンを振り上げた瞬間、シダ箒が曽我部の顎を襲った。意表を突かれた曽我部は仰向けに倒れ、後頭部を激しく床に打ちつけた。
津田美子は曽我部の両肩を膝で押さえ込み、ポケットから注射器を取り出した。
「鎮静剤を打っておく。落ち着いたら後でちゃんと話を聞くから、しばらく休め」
曽我部は弛緩したのか、ぐったりと倒れたまま、握っていたフライパンを手放した。
「佐藤、ずっと固まっているようだが、動けるか?」
「はい……何とか」
絶体絶命の危機が去り、固まっていた指先がようやく動いた。俺は溜息を吐き出して、虫除けスプレーをポケットに仕舞った。
「津田先生のおかげで助かりました。自分の不甲斐なさにショックを受けてます」
正直な感想を述べると、津田美子は朦朧とする曽我部の顔を眺めながら言った。
「私は君の一言があったから冷静に行動できた。体が動かなくなるのは正常な防衛反応だから気に病む必要はない」
津田美子は医務室から担架を持ち出して、俺と二人で曽我部を仮眠室のベッドに運び込んだ。
「やれやれ……話の途中だったが、とりあえず当面の危機は乗り越えたと言っていいだろう。曽我部は私が見ておくから、一応瀬野の様子を見に行ってくれ。それと、根本遥が見つかればここへ連れて来ること。彼女と情報交換をしておきたいからな」
「わかりました。遊戯室を確認した後、一通り部屋を回ってみます」
俺は仮眠室を出て医務室に入った。閉められたカーテンの向こうに、秋月令子と金田龍人の遺体がある。そして寝室Cには田中忠、倉庫には馳久美子と布引真子の遺体が安置されているという。
俺は滅入りそうになる気持ちを奮い立たせて遊戯室のドアを開けた。静まり返った室内で、瀬野賢児は以前と変わらず、本棚の前で俯せになっていた。
俺は高ぶる鼓動を抑えながら恐る恐る近づいていく。
「瀬野くん……」
側に寄って呼び掛けたが反応は無い。俺は意を決して強引に襟を捲った。
首筋には紐で締められた痕――そして畳には、電極パッドが付いたケーブルが残されていた。




