45 右往左往
津田美子は背中をドアに張り付け、ゆっくりとドアを開いた。俺は虫除けスプレーの底をしっかりと固定して、確実に噴射できる態勢を整える。
「真っ暗闇だな。仮眠するには最適な環境だ」
津田美子は軽口を叩きながらも、ペンライトの明かりを素早く周囲に走らせる。
「……怪しい人影は無いな。金田たちの様子も気になるから、さっさとベッドを確認して戻ろう」
肩の力を抜いた津田美子は、落ち着いた足取りでベッドに歩いて行く。俺はドアの側で静かに様子を見守った。
「ふふっ、やはり仮眠していたな。眠っているのは……田中先生だ」
津田美子は下段ベッドの枕元にライトを当て、田中忠の後頭部を確認したようだ。
「息をしていますか? 一応確認してみてください」
俺は息を殺して返答を待った。
「……佐藤、部屋の電気をつけろ」
津田美子の低く抑制した声を聞き、俺は目に止まった手元のスイッチを押す。シーリングライトが部屋一面を眩しく照らし出した。
津田美子は布団を乱暴に引き剥がして、両手で田中忠の上体を仰向けに転がした。
「脈も無い。名札のストラップで、首を強く締められたようだ。急いで医務室のAEDを持って来てくれ!」
俺は急いで廊下を引き返し、医務室のドアを開けた。すぐ左の壁にあるはずのAEDが――見当たらない。
津田美子が医務室を離れた隙に田中忠の首を絞めた犯人が侵入し、AEDを壁から外したのかも知れない。突き刺すような冷たい汗が背中を伝う。まだこの部屋のどこかに、凶器を持った犯人が潜んでいる可能性もある。
『不意打ちに気をつけて』
根本遥の言葉が脳裏を掠めた。俺は警戒しながら周囲に目を走らせる。
微かな物音が、締め切ったカーテンレールの向こうから聞こえてくる。しゃがんでカーテンの下を覗き込んだが、金田の他に人がいる気配は無かった。
俺は虫除けスプレーのボタンに指をのせ、意を決してカーテンを開いた。
白い布団から顔だけを出した金田龍人が、口から白い泡を吹いて小刻みに痙攣していた。
「つ、つっ津田先生!」
俺は思わず叫んで廊下に飛び出した。息切れを起こすほど鼓動が激しく波打ち、抑えが効かない。
職員室の角を曲がり、息も絶え絶えに寝室Cに辿り着く。馬乗りになって心臓マッサージを続ける津田美子が振り向いた。
「AEDをここへ!」
「金田くんが泡を吹いて痙攣、急いで医務室へ!」
俺は出来るだけ簡潔に伝えた。
「……迷ってる時間は無さそうだな」
俺は廊下を疾走する津田美子の背中を追い、医務室に駆け込んだ。
「チアノーゼ……血液に異常が?」
津田美子は金田龍人の容態を確認し、吊り下げられた点滴袋をつかみ取る。
「注射針の跡――何者かが点滴に異物を混入したようだ。静脈を通って全身に毒が回り、金田はアナフィラキシーショックを起こした。無駄な足掻きかも知れないが、エビペンを打っておこう」
津田美子は無駄のない動作で点滴を外し、エビペンを太腿に注射した。
金田龍人は目を天井に向けたまま、ピクリとも動かなかった。
津田美子はふうっと息を吐いて、段ボールから缶コーヒーを二本取り出し、診察机の上に置いた。俺に目を向けた後、もう一つの締め切ったカーテンを眺めた。
「曽我部のベッドを確かめる前に気持ちを切り替えておこう。何があっても――取り乱さないようにな」




