42 葛藤
遊戯室で漫画の続きを読んでくると言って、瀬野賢児は一人で食堂を出て行った。目星をつけていた布引真子が自ら命を断った事で、警戒心が薄れているのかも知れない。
俺は澱んだ空気から逃れるように食堂のガラス戸を開けた。涼しい潮風が吹き抜ける。ウッドデッキの床は僅かに湿っていたが、あえて倒したままにしてあったテーブルセットは、すっかり乾いていた。
俺は円いテーブルと椅子を元に戻して、黒表紙の手帳を開いた。
手帳には根本遥の動向に加え、合宿の内容を白川に理解りやすく伝えるため――これまでに起こった事件、そして参加者や職員たちの言動を、メモや記憶を頼りに可能な限り整理して纏めていた。
俺は改めて手帳を目で追いながら、食堂で田中忠が言った言葉を思い浮かべた。
『きっと真実は別のところにある』
『今のオレには、さっぱりわからない』
裏を返せば――
『犯人は布引真子ではなく別にいる』
『自分で調べる気はないが、いずれ真相は明らかになるだろう』
……という意味にも取れなくもない。
なぜ田中忠はそんな言葉を発したのか? 説明会で話が進むにつれ、田中忠の表情が徐々に曇っていくのを、俺は敏感に感じ取っていた。そしてその表情を必死に隠そうとしていた事も。
昨夜起こった事件の詳細は、すべてその場にいた秋月令子の供述に頼っている。
目を離した僅かな隙に、眠っていた馳久美子を側にいた布引真子が腰紐で絞殺した。タオルケットを被って自分の心臓に刃物を突き立て、俯せにのしかかって自殺した。それが現場の状況から推測される彼女の説明だった。
だが――目を離す前、寝室Bのドアは閉まっていて、外からその状況は分からなかった。閉ざされた部屋の中には、眠っている二人の参加者と監視している職員が一人。
俺は周囲を警戒しながら、当時の寝室Bの状況を思い浮かべてみた。
秋月令子は静かに馳久美子のベッドに近づいて行き、俯せに眠っていた彼女の首を用意していたピンクの紐で一気に締め上げる。馳久美子は声を上げることも出来ずに息絶えた。
続いて、隣りで眠っている布引真子の心臓の位置を慎重に見定めて……用意していた刃物で一突きに。もちろん口を塞いで、返り血を浴びないように工夫をしていたのだろう。突き刺した刃物を両手に持たせて俯せにし、自殺を演出。
そして布引真子に絞殺の罪を被せるため、ズボンの腰紐を抜き取って、替わりに犯行に使ったピンクの紐を床に落とした。
すべての準備が整った上で田中忠を呼びに行った。それが事実としたら――金田龍人の絞殺未遂……第一発見者は秋月令子。カレーの鍋に画鋲が混入していた件についても、一度は田中忠による鍋の入れ替えを疑っていたが、一班の鍋の側にいて食材を準備していた秋月令子なら犯行は可能だったかも知れない。
そして船上での御当地弁当の喪失。後に起こったカレーの事件を誘発する上でも、秋月令子が海に捨てた可能性が高くなる。
『これで一連の事件が一本の線で繋がった』
瀬野賢児の言った言葉が脳裏に浮かぶ。ただし――田中忠の疑いの目は布引真子ではなく、秋月令子に注がれていったのかも知れない。
もちろん何の確証もなく彼女を犯人扱いするわけにはいかない。ましてや教育者である同僚の職員を疑っていいものか、葛藤もあるのだろう。
俺は田中忠の矛盾した発言の真意を自分勝手に結論づけた。同時に、秋月令子への警戒心も高まっていく。
一連の犯行がすべて彼女の計画だったとすると――その動機は一体何か? 俺は頭に浮かんだ憂鬱な想像を、心の片隅に寄せた。
今は迎えの船が来るまで、この状況を無事に乗り切らねばならない。根本遥が言った通りだが、俺だって巻き添えを食うわけにはいかない。




