38 盗み聞き
土砂降りの雨で土を洗い落とし、俺は急いで玄関に戻った。田中忠に訊かれそうな質問を頭の中でシミュレーションしながら、びしょ濡れの雨合羽をハンガーに掛ける。時刻は間もなく午前零時。数秒の遅れを、田中忠は大目に見てくれるだろうか。
そっと寝室Aのドアを開けると、腕時計を確認した田中忠が溜息を吐き出して言った。
「ぎりぎりセーフだな。……それで、根本遥の足取りは、何かつかめたのか?」
「いいえ。何も」
俺は疑惑を持たれないように、あえて短く答えた。
「まぁ雨の中、この暗闇で探すのは効率が悪い。彼女も馬鹿じゃないだろうから……どこかで雨宿りでもしているんだろう。とりあえず夜が明けるまでは、楽観的に考えよう」
俺は頷いて、余計な質問をされる前にベッドへ向かう。隣りのベッドの上段からは、瀬野賢児の鼾が聞こえていた。
目を瞑ると、堰を切ったように睡魔が襲ってきた。俺は抗うことができずに、眠りに落ちていった。
翌朝。死んだように眠っていた俺は、窓から差す穏やかな日差しで目覚める。寝返りを打って田中忠の様子を窺うと、昨夜監視していた場所にはいなかった。
立ち上がって隣りのベッドを確認する。瀬野賢児がタオルケットを足元に蹴り出して、だらしなく口を開けたまま眠っていた。
時刻は午前五時を少し回ったところ。何か不自然な空気を感じ取った俺は、息を潜めて静かにドアを開けた。
廊下はしんと静まり返っている。人が話している気配を感じて、医務室の前へ向かう。ドアに耳を当てると、聞き取りにくいが、津田美子の籠った声が聞こえてきた。
「さて、今更だが……とんでもない事態になってしまったな。参加者たちには……一体どう説明するつもりなんだ?」
少しの沈黙の後、田中忠の低い声が答える。
「誤魔化しようがないし、事実をありのままに話すしかないでしょう。警察や保護者たちへの説明も、今の内にきちんと纏めておかないと――事態の収拾がつかなくなってしまう。
秋月先生、現場にいたあなたの証言が全てなんです。辛い役目を負わせるようですが……参加者たちが起床したら、昨晩に起こった事件を、どうか隠さずに伝えてください」
「……わかりました。それでは、午前七時に食堂で説明会を開きます。田中先生には改めて詳しい状況を話しますので、私と一緒に説明の内容を精査してください。
津田先生は、引き続き金田くんと曽我部くんの容態の観察を続けてください」
秋月令子の毅然とした受け答えを聞いた後、俺は摺り足で寝室Aに戻り、音を立てずにドアを閉めた。そっとベッドに潜り込んで、眠っているフリをしながら耳を澄ます。
静かに医務室のドアが開く音がして、二人の職員の足音がこちらに近づいて来る。向かいの部屋のドアが開き、すぐに閉まる音がした。秋月令子と田中忠は、職員室で説明会の打ち合わせをするようだ。
俺が寝落ちしている間に、またもや深刻な事件が起こった。盗み聞きしたやり取りを整理すると――俺が寝室Aに戻った後の深夜に、隣りの寝室Bの部屋で何かが起こった。
部屋にいたのは二人の女子と、監視役の秋月令子。馳久美子と布引真子の間に、一体何があったのか……。
なぜか身震いするような胸騒ぎが、俺の全身を駆け巡った。
説明会まで、まだ時間は十分にある。俺は不吉な憶測を無理やり心の隅に寄せ、ポケットから黒表紙の手帳を取り出した。
これまでの経緯と根本遥の動向を振り返り、時系列で纏めていく。クールな白川の面影を思い浮かべると、自然と自分の気持ちが落ち着いていくのが分かった。




