37 食わせ者
土砂降りの雨の中、俺はウッドデッキの前を通って、医務室のトイレの窓の前で立ち止まる。田中忠と約束した時刻まで、道草を食っている余裕は無い。
俺は予め狡猾な根本遥の思考を辿り、脱走の道筋を思索していた。小柄な根本遥が雨を凌いで身を潜める場所。それは恐らく――縁の下。
俺は俯せになり、高さ三十センチにも満たない暗闇にライトを当てた。低い床板と支柱に遮られ、光は奥まで届かない。しかし注意深く見ると、地面に均された跡――根本遥が残した匍匐前進の痕跡が消えずに残っていた。
俺は地面に光を当て、その痕跡を辿りながら、砂埃が舞う床下を腹這いに進んで行く。距離的に廊下の下まで来た辺りで、突然視界に眩しい光が当てられた。
「一にしては中々やるじゃない」
不織布マスクをつけた根本遥が、ギョッとした俺にライトを向けて言った。
「……根本さん、お腹は空いてないの?」
「フフフ。くすねた鍵で倉庫の裏口を開けて、必要なものは手に入れてあるわ。あんたこそ、約束した時間までに戻らないといけないんでしょ?」
暗い床下に潜んで抜け目なく情報をつかんでいる根本遥に、俺は得体の知れない冷たさを感じた。
「とりあえず無事で良かった。隠れている事――内緒にしておいた方がいいよね?」
俺がさりげなく貸しを作るように言うと、根本遥はニヤリと笑って言葉を返す。
「フフフ。その方が利口かもね。ああ見えて、田中忠は食わせ者かも知れないから」
「食わせ者って……一体どういう事?」
俺が問い返すと、根本遥はボソリと言った。
「ピンクの靴は確認した?」
俺は頷き、インソールの下に画鋲を隠していた跡と、もう一つ、中身の無い凹みがあった事を報告した。
「それが誰の靴か――覚えてる?」
根本遥は俺の観察力を試すように言った。
「女子の靴で、ピンクと言えば――布引さん……かな?」
俺が自信なさげに答えると、根本遥は溜息を吐き出して言った。
「当てずっぽうのようだけど、正解。カレーの鍋に画鋲を入れたのは、布引真子の可能性が高い。そしてあの状況で、彼女が一の班の鍋に画鋲を入れるのは距離的にも不可能よ」
「つまり……画鋲は、本当は二班の鍋に入っていたってこと?」
俺が驚きを隠せずに言うと、根本遥は慌てて目を塞いだ。
「ちょっと、埃が舞うから気をつけて。鍋に画鋲を入れたのが布引真子本人だとしたら、そういう事。そしてその後、誰もいない食堂に残って一班と二班の鍋を入れ替えることが出来たのは――田中忠しかいないわ」
俺はライトを地面に置き、両手で鼻と口を覆って大きく息を吐き出した。それが本当なら、どうして田中忠はそんな事を?
「左足の靴にあった凹みには何が入っていたと思う?」
俺が尋ねると、根本遥はライトを消して静かに答えた。
「状況から考えると言うまでもないでしょ? 布引真子が単なる愉快犯なのか、曽我部太を狙い撃ちにしているのかは分からないけど。
あたしには職員も参加者たちもみんな、どす黒い宿痾を抱えているように見える。巻き添えを食うのは嫌だけど――フフフ。サスペンスドラマを楽しむとしたら、中々面白そうな【物語】じゃない?」
暗闇の中で、移動し始めた根本遥の表情は見えなかった。




