36 夜の闇
医務室のドアを開け廊下に出ると、捜索に出ていた田中忠が、タオルで顔を拭きながら歩いて来た。一人で帰って来たので、根本遥を発見できなかったのだろう。
吐瀉物の処理を終えた秋月令子は遊戯室のドアを開けたまま、廊下に出てきた津田美子に黒いポリ袋を渡した。
俺は目立たないように入口前の座卓に腰を下ろし、聞き耳を立てた。
神妙な顔つきで目を合わせる二人の職員に、田中忠が報告する。
「宿舎周りと森の中、砂浜周辺を一通り見て回ったが……暗闇の中、土砂降りの雨と霧でまともな捜索が出来なかった。せめて小雨になるか霧が晴れてから、もう一度捜索を再開したいんだが」
田中忠の報告を聞いた津田美子が秋月令子に目配せし、言葉を返す。
「根本遥は恐らく一時的に身を隠しているだけだろう。それよりも――田中先生が出掛けている間に、突然曽我部が嘔吐した。断定はできないが、症状から毒茸の毒を摂取した可能性が高い。
曽我部が被害に遭ったのは二度目だ。これが誰かの仕業だったとしたら……参加者たちの見張りを秋月先生一人だけに任せるのは、少し酷じゃないか?」
秋月令子は窓辺の馳久美子をチラリと見た後、溜息を吐き出した。
「畳は綺麗に清掃して消毒しましたが、参加者の皆さんはこの部屋で一夜を過ごしたくないそうです。当初の予定通り、男子は寝室Aで田中先生、女子は寝室Bで私が監視するのはどうでしょう? 医務室の金田くんと曽我部くんは津田先生にお任せして」
「本当に根本遥を放ったらかしにしておいても……いいんですかねぇ」
田中忠は同意しつつも、横目で俺の様子を窺っていた。
職員たちの協議が纏まり、参加者たちは自分の敷布団とタオルケットを抱えて遊戯室を出た。
瀬野賢児と俺は寝室A、馳久美子と布引真子は寝室Bへ。参加者が怪しい動きをすればすぐに対処できるように、男子の部屋には田中忠、女子の部屋には秋月令子がベッドの向かいに鎮座して、夜通し監視する手筈となった。
時刻は午後十一時を回った。窓辺から聞こえる土砂降りの雨音は一向に止む気配がない。相部屋の瀬野賢児は隣りのベッドの上段で寝息を立てている。
寝返りを打つフリをして田中忠の様子を確認すると、気まずい事に、思い切り視線がかち合った。
「どうした佐藤? 寝付けないのか?」
田中忠は壁際に座り腕を組んだまま、静かに言った。
俺は瀬野賢児を起こさないように、そっと床に足をつけて田中忠の隣りに座った。
「今朝根本さんの家に迎えに行った時、彼女のお母さんに『くれぐれもよろしく』って頼まれたんです。彼女を放ったらかしにしたままぐっすり眠れるほど、俺の神経は太くないですよ」
俺は捜索を中断した田中忠を少し牽制しながら、心にも無い事を言った。
「……心配になる気持ちはわかるが、この状況で探すのは無理があると思わないか?」
田中忠はバツの悪そうな顔をして息を吐く。
「俺に今から三十分ほど捜索の時間をくれませんか? 危険な場所には行かず、必ず時間通りにここへ戻って来ると約束しますので」
俺はあえて田中忠に責めるような眼差しを向け、強引に了承を促した。
「……仕方がない。オレは持ち場を離れるわけにはいかないから、何が遭っても自己責任だぞ。必ず午前零時に、ここに戻って来ると約束するなら、許可を出す」
田中忠は渋い顔を浮かべながらも、手元にあった懐中電灯を俺に渡した。
「雨合羽は玄関の引き戸の前に掛けてある。無理だと思ったら危険な場所には行かず、早めに帰って来るんだぞ」
俺は忍び足で廊下を進み、ロビーを抜けて玄関に辿りつく。ハンガーに掛かった濡れた雨合羽を羽織って、そっと夜の闇に駆け出した。




