鬼一行は月を嫌う
「だからお前にこの世界の語り、その主導権を全て移譲させたい。」
荊芥爺は僕にその皺だらけの目で告げたのだった。
土壁に、天井を支えるための木の柱、床には上質な畳が引かれている十畳の和室。けれども古臭くはなく、それは土壁の裂け目に見える安山岩の仕業だろう。和室というより、横穴の中の部屋という印象、仮拠点という感想が僕にはあった。そんな空間で一段高い座に座る伊吹童子。僕のすぐ横で足を組む蛾厭。蛾厭は口を開けて荊芥爺に尋ねた。伊吹童子は依然として盃を煽る。
「荊芥爺よ。語りの主導権とやらは、いかにして移譲できるのであろうか。」
その問いに僕ではなくやはり荊芥爺自身が答えた。
「分からん。」
荊芥爺はそう言った。その応えに鬼神達だけでなく僕自身ものけぞってしまう。手持ち無沙汰の両手は空を弄んで視線は自然と天井に向く。どうしたらいいんだろう、本気で絶望する。そんな中で動じもしない奥に居座る伊吹童子は片手を揺らした。縦に二回、横に三回。何かの合図のようだと感じた刹那、そばに潜んでいた黒い巨体が口を開けた。
「心当たりが無いわけでもない。聴きたいか。」
その巨体は足を組み直した後、立ち上がった。部屋の隅に置かれた行燈に照らされて姿が露わになる。
「大江山に住まう頭領に会いに行く。彼ならば知っておるかもしれん。」
そいつは右腕が無かった。というより右腕の像がなかった。頭に生えた二つの角も片方が砕け割れていた。眉間に刻んだ刃の傷跡。それらが彼の過酷な背景を彷彿とさせた。故に恐れる。目を合わしたくなかった。
「そう恐れるな。怖れても良いことなど無かろう。」
そう立ち上がった鬼神に言われる。俯いていた鬼どもは顔を上げ、盃を煽りながら笑い出した。
「アイツなら確かにまあ知っておろうよ。けれどもこの小僧がちびらなければよいが。」
蛾厭がそう吐き捨てた。それからハッハッハと甲高く笑う。鬼どもは僕を見返してニヤリと口角を上げる。その様子が先ほどとは少し違ってそれが不自然のように思えた。大江山の鬼という単語が出てから彼らは明確に陽気になった、本来の僕の思い描いた鬼のようになった。
…考えすぎだろうか。
だから僕は言う。
「色々ありがとうございました。それでは僕は明朝から大江山に向かいます。」
新しい目的ができた、僕は求められていた。その認識が僕を一歩先に進めてくれる。だから鬼神がおどろ恐ろしくても僕は動じない。そう決めて立ち上がる。洞窟に建てられた和室を抜け、僕は月光が降りかかる外に出た。
「鬼、正直怖い印象があったけれど、それでもあれは現役というよりご隠居様だよな。現役はもっと…こう、凄いんだろうな。」
僕はそう皮肉でも感想でも似つかない言葉を残して歩き出す。今日も今日とて夜空が綺麗だった。北斗七星を見つけて方角を認知する。偏差値71の実力だろうか。歩き出した。
「おい、ちょっと待たんか小僧。」
蛾厭が呼び止めた。僕を乗せてきてくれた大きな赤い鬼。
「ワシらも行くんじゃ、待て。」
鬼神達が列をなして横穴から出てくる。僕の後ろに集まってくる。
「お前が一人先行しても、森に潜む怪異に殺められるだけだぞ。もう少し己の身を案じろ。」
先ほどの片腕のない巨鬼がニヤリと言う。僕はお辞儀とも何とも言えない様子で顔を下げる。そして顔を上げる、すると見える。その巨鬼の後ろにいるさらに巨大な鬼。伊吹童子だ。三メートルはあるに違いない。伊吹が言った。
「茨木、お前は先頭だ。顔の効きが良いからな。」
茨城と呼ばれた片腕落ちの鬼が、伊吹童子のすぐそばで背中を丸めたかと思った刹那、彼はその大層大きな体で跳躍した。一飛びで二十尺先の僕を超え、飄々と着地する。
「今宵は鬼の進軍じゃ。たいそうな人数で押しかけてやろうぞ。」
ずっと無愛想で俯いていたために期待はしていなかったが、なるほどこれが鬼の本質なのかもしれない。陽気と言うよりも世界を見透かした上で笑うような感じ。僕の前で先導する茨木は、大きく息を吸って肺の辺りを膨張させた。
皆が続々と続いていく中、先頭の茨木は先ほどから吸っていた息を吐き出した、大音量の声と共に。その声のせいで僕の耳がはち切れた、鼓膜は破れた。咄嗟にしゃがみ、耳を抑える。目の前の片腕落ちの鬼は飄々と歩き始める。後続もまた動じず動いていた。僕は耳を押さえながら垂れてくる血を服の袖で拭き取りながら歩き出す。目には炎が宿っていた。許せなかった。
「やりすぎだ、茨木。大江山に届くほどじゃぞ。」
鬼の誰かが揶揄した。血が垂れるほどに傷めたはずの僕の耳は幾ばくか歩き続けていると次第に止まり、音が聞こえるようになってくる。やはり僕は人間ではない、怪異の類だ。そう感じながらも先導するその鬼を睨む。
「まあそうカッカするな。怒っても良いことなぞ無いぞ。」
お前のせいだが、そう言いたくなるが慌てて止める。楽々としていても奴は数千年生きた鬼神なのだ。すると後方から忠告が飛ぶ。
「茨木は調子者だが戦闘は極めて強く、顔の利きは一番でな。あの一声で森の怪異はみな逃げて行ったよ。」
荊芥爺はそう言った。茨木…茨城県…?いや違う。茨木…童子…。
僕はようやく先頭で導く片腕なしの鬼について思い出したようだった。茨木…そうだ、合点が行った。茨木童子のことだろう。僕は民間伝承にあまり詳しくない。そんな僕でも知っていたくらいには彼は知られている。それはやはり事実のようであった。獣は確かに消えていた、茨木童子のおかげで。
相変わらずの声だな、と大きな口で後続の鬼が笑うのを聞いた。後ろを振り向き確認する。
「すごい数だな。」
続々と集まった鬼神は、30、40、数え切れないほどに多く、皆、藍色の布で巨躯を隠していた。黒い集団、それはまさに語られるのを避けるかのようであった。絶賛厨二病オタクだったころの僕なら本気でかっこいいと思ったかもしれない、けれども今こうして実際に見てみるとカッコいいよりも怖いが勝つようであった。単純に鳥肌が立つくらいには怖い、それが正直な感想だった。
横穴を抜け、森を歩く鬼の一団。月明かりは煌々とその団を照らすが彼らはそれを喜んでいるようではなかった。先導する茨木童子が僕に言った。
「大江山にはとんでもない鬼がおる。伝説の鬼、酒呑童子がな。」
これまた聞き覚えのある怪異だった。




