夏
世界は一方通行だと言う者がいる。観察者は無造作に走り去るものを眺めているだけだ。そこに勝手な解釈をして意味づけを行なっているだけだ。物語も同じだ、と言う者がいる。
けれどだからといってその者はそれを拒まない。受け入れているのだ。
どうしてお前は、世界の無情さに嘆く。いや、嘆くことはない、と。
だからやっぱりお前は嘆かなくても良い、と。
太陽はその輝きを増して車のボンネットは熱される。アスファルトは熱を吸収すると同時に熱を放出する。ああ、ヒートアイランド現象。都市部自体がそのまま熱の反射板となるこの現象は人間にとって暑さを強調させる悪魔のような現象。
ジメジメとした暑さは脳を焼く。怒りっぽくなる。だから人はこれを嫌う。暑さだけでなくヒートアイランド現象さえも嫌う。田舎は良いと嘆いて都会を悲観する。けれどそんなことはやはり仕方のないことだと認める。どうしようもないことだと理解する。それは世界が一方通行だと言うことを示しているようで、本当につまらないと思わせてくれる。
語りが下手か?
最初から上手なものはいない。これでも上手になった方だ。語り手だもの、成長する。それでもプロと比べるのは違うことだ。比較対象がおかしい、理不尽だ。
それでも、つまらないことに変わりはない。ああそうだ、つまらない。
そう、仕方がない。故につまらない。けれど一方通行だから逆らえない。君たちは僕の語りを聞くだけだ。そう、聴くだけだ。だから語りはこのままでいい。
妖怪殺しの異名を抱えるカフェには今日も今日とて物好きが集まっていた。夏なのにコートを羽織る彼らは温かなコーヒーを片手に愛読書を拝読している。それは季節に逆らっているようで、それは時間と世界という強敵に反逆しているようで、故に季節の風物詩として語られることはあまりない。それは反逆の代償であるが、同時に反逆の功績でもある。
キリマンジャロを口に運ぶ男。結局この見慣れた男は今日もあの日から変わらない服装で、髪型で、様子で居座っていた。それはこの世界に逆らっているようで、それこそがこの男の信念を物語っているようでもあった。
俺は世界に屈しない、と。
そこになんの意味があるのか。いや、何もないだろう。けれど意味がなくてもそこに存在することはある。世界は嫌うけれど、そういう行動も存在する。何者かがそれを世界に認めさせたおかげだ、とその男は言う。
ああ、そうだった私は最初からこの男と話しているのだった。
この男は眉を顰めて言う。男の目はカップの内側にしか向いていなかった。
「お前の語りは聞いていて面白くない。俺は怪異譚が好きなのだ。お前のは、まるで幼児の日記だ。」
ひどい言われようだった。
「あるいは、いや、最初の方は機械が提出した無機質なデータですらあったが。どちらにせよつまらなかった。」
でも仕方ないだろう?
「ああ、仕方のないことだ。特にお前は。けれど俺はその仕方のない事が嫌いだ。どうにも出来ないことなど存在しない、この世の全てはどうにか出来ることだ。どうにかしないといけないものだ。」
いいや、僕にはどうにも出来ないことで、それにどうにかする必要もない。語りには連続性が大切だから。
「そうだ、お前にはどうでも出来ないことだ。だからお前でない奴がどうにかするのだ。」
この役目は僕にしか出来ないことだ。お前はそう言ったでないか。
「それでもお前は役不足だ。つまらない。お前に怪異譚を歌う資格はない。」
経験を積めば歌える様になる。怪異を語れる日がいつか来る。
「それでは駄目なのだ。俺はお前を待っていない。お前は俺に取ってどうでも良すぎる存在だ。」
なら、誰を待っているのだ。僕が物語を進めているのに。
「俺が待っているのは何者か、それを知りたいと?」
ああ、そうだ。
「問いにすらならない。」
彼はカップを手に取って一口で煽る。
「俺はお前から語りの資格を奪う。語りの剥奪は不可能としておきたかったがこの際仕方ない。」
何をお前は言っている。
「お前は消えろ。語りから消えろ。世界はお前を必要としない。」
なぜ…?
「いや、違うな。お前は消える。語りから消える。世界はお前を捨てる。」
僕が消えれば語る存在がいなくなる。僕を捨てることはできないのだ。
「俺は世界そのものだ。俺はお前を必要としない。他の者を必要とする。だからお前は世界に捨てられる。」
嫌だ。おかしい。
「仕方のないことなのだよ、これも。お前は今のままでは世界になされるがまま、そんなものに価値はない。」
それは、嫌だ。
「でもそれが世界だ。」
彼は席を立った。躊躇わずそのまま去っていく。まるで決められた道を進む様に、最短距離で出口に向かう。彼は影がないままだった。
彼は出入り口の引き戸で振り向かずにそのまま作業の一環のように吐き捨てる。僕に、顔も合わせずそっぽを向いたまま。僕は席に座ったまま彼を見つめることしかできない。
「…。やはりそれが、お前だ。何も出来ないから」
「お前なのだ。」
過ちに気付いても、もう遅かった。冷え切った言葉は簡単にこの胸を砕く。静かに砕いて静かに散る。
「あいつの方が何倍も面白かった。」
あいつって。お前はさっきから僕を誰と比べているのだ。
「さぁな、問いにすらならない。」
また、これだ。
「さあ、消えろ。」
ああ
ああ…
お前は…つまらない。




