春
ハンドル握る手に汗が沸く。だから車内の熱気を車外に逃す。そうして、窓を開いた車が走り去る。
信号は車に急かされて、人は車を急かす。
人間は桜の満開を急かして待ち望む。求めることは押し付けること。
桜は人間の押し付けに耐える。そして今年もまた花を咲かす。そして散らす。言われるがままに。
為されるがままに。それがこの世界の健全さで、完結した秩序さだ。
妖怪殺しの異名を語る店内。あの日と同じく男が来店していた。あの日と同じ席で、あの日と同じ注文で、あの日と同じ服装で。誰かを待つように、誰かに待たされるように。
けれどあの日というのも、それすら彼にとっては長い旅路のうちの経過点でしかないかもしれない。もっと以前から、あの日よりも以前からそこで待っていたのかもしれない、待たされていたのかもしれない。
であれば彼は、あの日からここで待っていたのではない、待たされていたのではない。もっと前から、世界が知るよりももっと前から、世界の始まりよりも前から、闇の始まりより先に、月の生まれより前に、その時からその時まで、その時すでに、彼はここに囚われていた。この店は彼を囚えていた。そうだとも考えられる。思考の余白は余白として置いておかないといけなくなる。そんな深い意味が、本質が、結果が彼をここに繋ぎ止めているのかもしれない。ただこの店に居座る。それはそれだけを為さない。
道路を車が走る結果のように、当事者がいて、被害者がいて、加害者がいて、そして観察者がいる。
事実として処理され、未来は現在になり過去と朽ちる。
彼は一体どんな過去を持っていたのだろう。どんな未来を過去に導いたのだろう。どんな因果が彼を突き動かすのだろう。
分からない。観測できない。だから、いやそれでも彼は。彼は今日もまたここにいる。変わらない服装で、変わらない容姿で、あの日と同じく影はない。
彼は物語が始まる前からここで待っていた。何かに待たされていた。何かに従っていた。何かの為に。何かを守る為に。それは全て彼自身の思いのために。物語が始まる前から、観測不可能の世界から、語られることのない場所で時間で、人物が。ここにいた、かもしれない。かもしり得ない。それでも誰も知り得ない。
男は言う。その男は言う。世界に、俺は世界だからなんでも知っていると。なんでも、知っていると。
行動は、事実は、結果は表面だ。物事の本質から押し出された膿のような存在だ。表層だ。一部だ。外れ値だ。
けれどその行動が、事実が、結果が、世界を形作る。世界は元来、膿のようなそんな物で出来ているのかもしれない。
世界は案外、膿のような物で出来ているのかもしれない。
世界は存外、そんな物で出来ているかもしれない。そんな物で出来ていない方がおかしいかもしれない。
それが世界の語りだ。語り癖だ。独白の、語りの内容だ。本当に、つまらない。そう彼は世界に応えてみせた。
一方通行でつまらない。物語は変えられない。観測者は当事者ではない。だから世界はいつも、だから物語はいつも、だから俺はいつも、一方通行でしかない、そう男は言った。




