黄金の鐘が灰色の都市街で鳴る。耳を閉じてもそれは聴こえる。まるで罰のように。
店外に出ると当然、寒風が僕を襲う。体温は急激に下がる。熱は奪われた。奥で手を振る男がいる。あの男だった。
「こっちだ。」
それきり男は黙り込む。僕はその背中に付き従って街を歩いた。雑踏は僕の耳を支配した。信号のある道路で待っていた時のこと。僕は一人の時、孤独の際、いつも考えるように独白をしてみる。してみた、結果論だろうか。考えてするものだろうか独白は。思い出して独白だったとしみじみと思うようなものではなかろうか。それでも結局どんな導入だったとしても今僕が独り言を言っていることに違いはない。目の前でただ信号の色を見つめるあの男は口を動かさず、機械のように、さもめんどくさそうのに信号待ちをしていた。
風が僕の耳を裂く。冷たい風は乾燥していて水気を奪う。故に裂ける。頬が裂けるから、今度は僕が風を避ける。そしてまた考える。考えることに没頭する。
信号。僕の目の前に広がる車道をくるまが通り過ぎる。瞬きする前と後で車が変わる。低い駆動音は僕の耳をいじめる。
危険だ…信号が赤のままなら僕は傷つかない。信号が緑になって車道を進む時、僕は事故の危険を背負う。信号違反の車が突っ込めば絶命する。だから信号は赤のままがいい。赤のままで、そのまま。
僕は死にたくない…死を避けられるなら停滞すら心地いい。根本的な目的と矛盾していても。そう言う人間だから、だからこそ緑になった時、その緑のネオンライトをこの目に映した時、視界が緑に包まれた時。
身の毛がよだった。
そして逃げ出した。
背中を向けるあの男が振り向くことはなかった。歩道を走って信号の光から怯えるように走った。腕を大きく振って足を振り上げて走る。走る。走る。
あの男は声をかけてこない。僕は逃げられる。目的から逃げた僕に何が待っているだろう。
待っている必要はない。ただ逃げる、逃げたいだけ。だから僕は逃げる。どうしてか。来るべき未来を感じ取って決断を曲げた。それだけ。糾弾はされても改心はしない。僕は逃げる。それだけだ。
「甘ったれたことを言うな小僧。」
脅迫めいた巨大な声が僕の脳を貫いた。横一線に突き刺された音の圧力は僕を床に倒す。もう逃げることも何もできない。コツコツと足音が近づいてくる。あの男の…音か。
「逃げて逃げて、どこに逃げる。それはお前のためになるのか?衝動的な感情で論理的筋道から逃げるな。呆れるぞ小僧。」
その罵倒も、僕に近づく足の音も、どうやら心地が良かった、良いと感じた。逃げたことを罵る大人。僕はどこまで行っても行きすぎることはない。それが確認できた時点で、自分が保護下にいると悟るだけで、心の神経質な軋みはするすると解ける。だから僕は服の奥で隠れて笑う。この卑屈な感情が決して漏れ出ることのないように。
あぁ。
「甘ったれるな。」
小さな炸裂音が爆ぜる。僕の頬が爆ぜた。衝撃の方向に体ごと吹き飛ばされる。宙に浮いた体は硬い歩道の上にもう一度叩き落ちる。鈍い音の後、胸ぐらを掴まれた僕がそこにいた。
そして狂気、鬼の形相の男が一人。僕を見つめて笑って言った。
「人外が人真似をするな。早く常世へ戻れ。戻って己の語りの罪を償え。」
声が出なかった。
「人外には責任を。違反には償いを。逃亡には制裁を。暗黒の世でその身を焦がすまで我に乞えこの人外が。」
そのまま物理的にも精神的にも真っ暗になる。視界に暗い点がポツポツと湧き出て暗くなる。指の感覚も胸ぐらを掴まれたその感覚も冷風の痛みも全て。雪がしんしんと降るようにゆるやかに感覚が消えていく。消えて隠れる。それは泡沫のまほろばで、さしずめ地獄の開幕合図だった。




