スコットランドにつき。
僕は猫又との作戦会議から翌日、猫又作成の時空ゲートを潜って、夜中のスコットランドの森林にやってきていた。
夜空が見えない、それくらいに背の高い木が聳え立っている。針葉樹林、とでもいうのだろう。ざっと40メートルはある。くり抜かれているであろう月は見えなかった。太陽はスコルとやらに飲まれているはずなので、見ることもできない。今は本来の夜なのか朝なのか、僕にはわからなかった。僕は猫又の警告を思い出す。
妖怪に見捨てられた世界と一口に言っても全ての妖怪、怪異が逃亡したわけではないと猫又は警告した、その猫の顔で。それゆえ人間である僕は常に臨戦体制でいないといけないそうだ。
風が僕の肩を撫でる。冷たくて乾燥した冷風は僕の肩を触れたのち皮膚を裂く。痛いというよりも気付かないが正しそうだ。
「偏差値71。結構盛っているんだが。」
僕はそう独白する。久しぶりの独り言。それだから僕は久しぶりにあの日を思い出した。
僕が怪異に足を救われた日。そう、大事件と名付けた11月22日だ。あの日僕は男女に声を聞くのと同時に地震に巻き込まれて…気づけば世界を移動していた、のだ。
お前は怪異譚を歌えるか?
聞き覚えのあるその問いがまた僕の脳を反芻する。誰に言われたか。男、だったはずだ。
深い森林の大地は下草に覆われていて僕の足を止める。ただの人間、ただのぼっち。忘れかけた自己像を前に僕はひどく己の無力さを痛感する。鬼だった頃が懐かしいな、と。
「それにしても寒いな。」
澄んだ森の空気は僕の思考を研ぎ澄ます。僕は右足と左足を交互に前に出して獣道をかき分けながら進む。
払へ給へ清め給へ神ながら守り給へ幸い給へ。
懐かしい響きだ。結局あれが何だったのか僕にはわからないがいつか僕を救うのかもしれない。過去を思い出しながら僕は歩く。木々の隙間、その奥に灯りが見えた。
恐る恐る進む。じきにささやきが聞こえてきた。
…。
淡い黄緑色の光がぼうっと湧き出る。背の高い針葉樹林の下。ツルが木の幹を覆い夜空は満天の星が煌めいている。そこに淡い光が生まれた。輪郭はない。淡い、光の玉だ。ホタル、ではない。僕は話しかけた。
「よろしくたのんます、ワイー、信州の蕎麦屋でござんすわー。」
…。
笑い声が聞こえた…少女の幼声のようでも、熊の猛々しい雄叫びのようでもある。つまるところ様々な声が生まれていた。淡い光の玉の数が増える。暗い空も、先の見通せない林の奥も、うっすらと見えるように、それくらい輝いていた。僕は続ける。
「おいどんの蕎麦屋は火事で燃えマスター。萌え萌えマスターでござんす。あんたは萌えですか?」
…。
反応は良さそうであった。だから続ける、何回も、何度も。この中身の薄い面白くないスピーチはいつまで続くのだろう。木が遠くなる。けれど必要事項だ。理由は守秘義務で語れない。とまあ、ある有力者を誘っているのであるが。
はや1時間…か。けれど、もしかすると半日が経ったかもしれないし、もしかすると数分かもしれない。とりあえず時が経った、それは事実だった。だって僕の喉は乾燥していたから。
「そんでわけでよろしくなさいますわー。」
僕の公演は一通り終える。計画は成功したのだろうか。僕は真偽を悟れず頬を汗が伝った。
淡い光の群れの奥。林の隙間の宵闇の裂け目。ツルの門。星空の行き着く歪み。その歪曲した方向。そんな境界から一柱の女神が歩み寄って来る。女神。そう思わざるを得ないくらいの美貌。
身長は高く、耳は長く、肌は白く、髪は黄金を湛えその長髪は星を写していた。俗世間で言う、僕の記憶から辿れば、そう。…エルフであった。彼女は言った。
「ごきげんよう、異界の道化師。」
彼女の僕への反応は良好だった。




