池に飛び込めば転生できるのは周知の事実
世界が導いたこの古池で僕は語りを取り戻した。償うかどうか、それは僕の罪だ。けれど世界が停止するかどうか。これは世界が僕に預けた使命だ。だから僕は語る。そうでないと世界は止まるから。そう世界は僕に義務を与えた。だから使命が義務である限り僕は語りが出来る。だから今は語ろうじゃないか、この世界の物語を僕が。
「僕が怪異譚を歌おう。」
古池から影が現れた。それは木の幹の影でも、月の反射でもない。古池に映る未来の僕の影だ。
「久しぶりだな。未来の僕、なぜ助けた?」
語りはただの独白では進まない。ある種、外界の蠢きが必要なのだ。
「久しぶり、過去の俺…まあ、俺にとっても世界が止まるのは辛いからな。」
…それは嘘だ。猫又によるとあいつは俺を殺そうとしていた。不死鳥という死んだ種に僕を成り下げることで。やつは死なないその脆弱な体を呪っているのであろう、けれど成仏できない影であり本体が生きているうちは。だから過去の僕を殺したい。そうだったはずだ影の本心は。僕の味方ではなく、敵…
「勘違いするなよ。お前が不死鳥だと言ったのはお前を殺すためだった。けれどこの世界が止まるのは困るんだよ。」
それは…なぜ?
「停滞するということは動きがないということだ。成仏も出来ない俺が永遠に弱々しいこの体で何も出来ずに過ごせというのか?お前を殺せなくても俺にはまだ希望があるからな。みすみすその希望を捨てたくないんだよ。」
希望…か。こんな闇を纏った暗い影が希望とほざくのか…それほどまでこの世界は狂っているのか。
「あまり良くない過去が俺とお前にはあるからな。全面的に信用することを俺は求めない。けれど今の、世界が止まることを避けたいのは俺とお前で一緒であろう。」
風が木々の間から吹き抜ける。古池の湖面は揺れて影はそのたびに存在が揺らいでいる。その様子を眺めながら僕は言う。
「正直、悪鬼が剥がれ落ちた僕は語ること以外、能がなかった。怪異である存在が協力してくれるだけで心強い、そこに嘘はない。」
影は僕が言葉を言ってから数秒だまり、それから月が雲から顔を見せて風がもう一度湖面を揺らした後、つまり長身が数回回った後、影はゆらめきながらこう言った。
「俺とお前が最初に出会ったあの世界をまず訪れよう。その世界をまず救うのだ。それが物語が自発的に進み出すための最初の難関だ。」
猫又のいる世界…か。けれど文脈がおかしい、なぜその結論に至った?
「世界は違っても全て深く関わり合っている。あの世界は今滅びそうなのだ。複数の世界を結ぶ鎖がその世界だけ切られる。そうなれば世界が滅ぶことの異常性がより薄れる。世界が滅んだと言う事実があれば世界が滅ぶことへの異常性、危機感は弱まると言う意味だ。」
影は僕に説明する。そのだれだけが正しいのだろう。影は湖面で揺らぎながら説明を続けた。
「怪異は世界における異常や危機を抑制する役割がある。特に悪鬼や精霊は世界の管理側として大きく干渉している。だから世界が滅ぶと言うのが異常であるうちは管理側の怪異が事前に防いでくれるのだ。けれど一度世界が滅べば、その事実が知れ渡れば世界破滅への異常性は薄れる。そのため他の世界でも世界破滅が多発する可能性がある。そうなれば物語以前に世界は無くなる、死んでしまう。」
彼の論法は正しいであろう。悪鬼という管理側であったくせに、蘇生という禁忌を行った僕が言える立場ではない
が。
「そのためあの世界は救わなければならない。救われなければならない。けれどあの世界はすでに怪異に見捨てられた。助けてくれる因子がいない。だから我々がいかないといけない。」
僕は影による少し飛躍した部分を追求する。
「その事実、異常性が薄れるとか世界壊滅が多発する可能性が生まれるとか、そう言った類の考えを知っている怪異はどれくらいいるんだ?まさか僕たちだけではないであろう。」
僕の追求に影は静かに黙ってから応える。影の大きさは依然同じくらいのサイズ、僕の身長と同じ位であった。
「知っている怪異は多い。俺が今いるお前にとって未来の世界では世界学が発展してな。そう言った概念が怪異の中で浸透しているんだ。けれど誰も行かないし行けない。世界を横断するには向かえる側の存在が必須だ。けれどあの世界は怪異に見捨てられている。本来あの世界はもう閉ざされている。誰も行けない。うえ
故に滅びるのは必須。」
なら僕も行けないでないか…
「お前は一度あの世界に渡航した。それが重要なんだ。」
…というと?
「お前にはあの世界に行くことの異常性が薄い。一度捨てられたあの世界を渡航したことがあるから。故に横断できる可能性が我々より明らかに高い。それに人間であることも重要だ。」
人間であること…そこに何の意味が?
「あの世界はもう余力がないと言っても良いくらい、薄い。滅び行く世界だから保有する活力が底を尽きているんだ。怪異の上級種やまして怪異自体でさえあの世界に行くのはコストが高すぎる。データ残量を超えるコストは受け入れられないという意味で理解できるか?」
人間はコストが低い。まあそれは納得できる。とりわけ能力が高いわけでもないしな。
「お前ならあの世界に行ける。横断さえできればそのあとは何をしても良い。渡航できるかどうかが重要なのだ。」
…それはわかる。けれどそもそも怪異が見捨てた世界なのであるならば怪異が恐れる何か要素があるのだろう?
「ああ、月浪マーガナルム。あの世界の月はくり抜かれている。ドーナツ上に。いわゆる怪異同士の均衡が崩れ独裁ほど形式的ではないが均衡が崩れた。滅びゆく世界に居続けたい怪異などそういない。危険ではある。」
世界を救えなかった時、世界が救われなかった時、渡航した僕もろとも世界が滅びる…と。
「けれど今のお前ならできるはずだ。マーガナルムにとってもせっかく覇権をとった世界と共に自滅するのは良策ではなかろう。ある程度有効的に処理できるはずだ。」
影の声に僕はある程度頷いたと言えた。まあつまり納得したというわけだ。そもそも僕が影の求めを拒否してもこの世界で、この古池で人間と堕ちた僕に何ができるであろう。ただ野垂れ死ぬだけだ。それに猫又にあの世界を救うことを誓った身でもある。だから僕は…
「僕の進み道に目的と手段を与えてくれて感謝する。影、本当にお前は僕を殺そうとしているのか?」
影は即答する。
「君を死に行く世界に誘うんだ。僕にとって利がちゃんとあるだろうよ。」
僕は口角を上げて声を出して笑った。まったくこいつは…善人よりもはるかの優しいでないか。
「では過去の俺よ。この古池に飛び込め。この湖面があの世界とのゲートに繋がっているはずだから。」
このただの小さな古池が、か…僕は依然笑いながら勢いよく飛び込む。風景描写なんかいらないし最低限の情報だけでいい。死に行く世界を救うのは急務であるから。
友達に会いに行くのに躊躇はいらない。怪異も人間も全世界共通の、当たり前の常識だ。




