傲慢な救済
――コンコン。
昼休みのひっそりとしたビジルの部室にやって来たのは、一年の横沢だった。
ドアを閉めた彼は、窓際に立って外を見下ろしていた佐理に、躊躇いがちに声を掛ける。
「あの……篠宮先輩……」
佐理は振り返ると、横沢にソファーを勧めてから自分も向かい合わせに座り、静かに口を開いた。
「お母様の具合はどうだ?」
「あ、はい。今のところは順調です」
少し口角を上げ、そう答えた彼の顔にはホッとしたような色が滲んでいた。
「そうか、それは良かった。……で、チケットは持ってきたか?」
「はい。ここに」
横沢はポケットから封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。
佐理はそれを手に取ると、中身の枚数を確認してから、また封筒に収めてテーブルに戻す。
「このチケットは僕が買う」
今度は佐理が自分の内ポケットから取り出した封筒を、彼の前へ差し出した。
「え……」
横沢は佐理を真っ直ぐに見つめたまま、次の言葉を失った。
「代金だ。確認しろ」
彼は受け取った封筒から、中のお札を半分ほど覗かせて数え始める。
「一、二、三、四……二十九、三十、三十一」
数え終えると、千円札をもとに戻してテーブルの上に置き、佐理に視線を移した。
「確かに、三万一千円あります。……でも、いいんですか?」
「それが僕の返事だ。君は僕にチケットを売った。別に問題はないだろ?それを不可に渡せばいい。だが、このことは誰にも言うな。相談に乗ると言っても、僕にも限界がある。分かったな?」
「はい。分かりました」
横沢は小さく、しかし素直に頷いた。
「それから……」
佐理はまたポケットから別の封筒を取り出して、テーブルに置いた。今度は真っ白な封筒だ。
「何でしょうか?」
横沢が怪訝そうに視線をよこす。
「僕からのお見舞いだ」
「まさか、お世話になったうえに、お見舞いなんて受け取れません!」
横沢は慌てて首を振り、必死に固辞しようとした。
「そんなことは気にするな、ほんの気持だ。それよりお母様を大切にしろよ、たった一人の母親だろ……」
ぽつりと告げると、佐理はどこか遠い目をして視線を落とした。
「篠宮先輩……」
横沢は佐理の顔をまじまじと見つめた。
視線に気付いた佐理は、静かに目を細める。
穏やかな瞳が、真っ直ぐに彼に向けられた。
「僕の顔に何か付いてるのか?」
「あ、いえ、すみません。――その、噂で聞いていたこととずいぶん違うんだなと思って……」
横沢はもじもじと居心地悪そうに視線を外す。
「噂?僕のこと……何か聞いたのか?」
「え、ええ……冷たい人だって。それに、何をされるか分からないから、関わらないほうがいいって……先輩たちが……」
「その通りだよ」
バツが悪そうにしている横沢を見て、佐理はふっと皮肉な笑みを唇に浮かべた。
「そんなことありません! 現に今だってこうして……」
「君は僕のことをよく分かっていない」
佐理の声から全ての温度が消えた。
「僕は平気で笑って他人を傷付ける人間なんだ。君も酷い目に遭いたくなかったら、さっさとここから出ていくことだ。僕はコロコロ気が変わる質だからな」
抑揚のない淡々とした言葉を並べる佐理に、横沢は何と応えればいいのか分からず、ソファーに座ったまま、ただ彼を見つめていた。
「さっさと出ていけ。何度も言わせるな」
「あ、はっ、はい」
完全に表情をなくした佐理の凍りつくような低い声が、部室の空気をぴりりと引き裂く。
その冷徹な威圧感に恐怖を覚えたのか、横沢はテーブルの上の封筒を掴むと、慌てて部屋を飛び出していった。
一人になると、佐理はキャビネットの引き出しから大きな灰皿とライターを取り出して、テーブルに置いた。
それから、今しがた横沢が持ってきたチケットと、不可に預かった希恭のチケットを封筒から取り出して、一つの束にすると、その端にライターで火をつけた。
炎はまたたく間に燃え上がり、ユラユラと揺らめきながらチケットの束を包み込んでいく。
佐理はそれを灰皿に移すと、炎になぞられたチケットが黒い灰に変わっていくのを、ぼんやりと見つめていた。




