苛立ち
北校舎の昇降口で靴に履き替えた佐理は、玄関を出てしとしとと雨の降る中へ歩き出した。
校門を過ぎたところで、不意に赤い傘が頭上へ差しかけられた。
立ち止まって振り返ると、そこにはにっこりと笑う雛子が立っていた。
「君は……」
そう呟いたが、すぐに視線を外して歩き始める。
「あ、待って!濡れちゃう」
急ぎ足で追いついてきた雛子が、もう一度傘を差しかけてくる。
「僕に構わないでくれないか」
佐理は眉間に皺を寄せ、あからさまに雛子を睨みつけた。
「あら、どうして?」
彼女は佐理の不機嫌など気にも留めない様子で、平然と聞き返した。
「君に理由を言う必要はない」
そう言って、足早に離れようとするが、雛子も置いていかれまいと、必死に速度を合わせてついてくる。
「せっかく知り合いになったんだもの、仲良くしてくれてもいいでしょ?」
「言っとくけど、僕は君と仲良くする気はない」
佐理は相変わらず素っ気ない態度を崩さない。
「そんなんだから友達ができないのよ?」
皮肉ではなく、雛子は本当に佐理のことを心配していた。
「それが何だ、僕に友達がいようといまいと、君に関係ないだろ? お節介は止めろ」
佐理は眉を顰め、だんだんと不機嫌になっていく。
「お節介だなんて……これでも心配してるつもりなんだけどな……女の子に心配されて悪い気はしないでしょ?」
冷やかし半分に顔を覗き込んできた雛子に、佐理は鋭い目つきをぶつけ、その場に立ち止まった。
つられて彼女の足も止まる。
「俺は女なんか大嫌いなんだ、特におしゃべりでお節介な女はな。女なんて……いつだって自分勝手で……自分のことしか考えてない。女なんて……煩わしいだけだ」
低く突き放すような声が、雨の中に消えていく。
胸の奥から湧き上がった「感情」のままに言い放った佐理の顔は、ひどく険しかった。
彼女を責めるつもりなどなかった。
それなのに、なぜか無性に神経が逆なでされる。
いつもなら、無感情に受け流すこともできたはずだ。
なのに、どうして子供じみた拒絶をぶつけてしまったのか……。
いや、それはむしろ――人の温情を受け入れられない、頑なで歪んだ自分自身に、苛立っていただけなのかもしれない。
だが、なんの遠慮もなく懐に入り込んでくる雛子のような人間は、自己の存在さえ否定し、全てに背を向けるように生きている今の佐理にとって、もっとも苦手とするタイプだった。
「煩わしいなんて、そんな……ごめんなさい。私って……煩いよね……」
ぽつりと言い残し、雛子は持っていた傘の柄を佐理の肩に押し付けた。
手が離れる。それと同時に彼女は雨の中へ駆けだしていった。
ずり落ちそうになった柄を咄嗟に掴み、佐理はすぐにその背中を追う。
しとしとと降る雨の中、彼女に傘を差し掛けながら、その腕を掴んで引き留めた。
いつもと変わらない抑揚のない声で。
「……待てよ」
勢いあまって振り返り、自分を見上げてきた雛子と正面から視線がぶつかる。
その瞬間、佐理はハッとした。
長い睫毛の先から、大粒の雫がこぼれて落ちていた。
頬が濡れているのは、雨のせいなのか、それとも彼女の瞳から溢れたものなのか、はっきりと見分けることなどできなかった。
ただ、その赤くなった目元が、佐理に強い罪悪感を抱かせる。
「ごめん。言い過ぎた……」
気まずさを隠すように、彼はポケットからハンカチを取りだして雛子へ差し出した。
彼女はそれを受け取ると、ハンカチに顔を伏せてほんのわずかの間じっと佇んでいた。
静かな雨音の中に、切ない沈黙が流れる。
しかし、次に顔を上げた時にはもう、その瞳から涙は消えていた。
鼻の頭を少しだけ赤くしたまま、無理に作ったような小さな笑みをうかべている。
その強がりが、余計に佐理の胸を締めつけた。
「……送っていくよ」
雛子は驚いたように瞬きをしたあと、目を伏せて小さく頷いた。
傘を二人の間に差し直す。触れ合いそうなほど狭くなった境界線の中で、二人は再び歩き出した。




