校長室にて
次の日の放課後。
校長室で調査表に目を通していた佐理のもとへ、不可が顔を出した。
「どうした?何かトラブルか?」
佐理は冴えない顔色の彼をチラリと見やって尋ねると、また視線を戻した。
「星河がチケットを突っ返してきたぞ」
不可がそう答えると、調査表を捲る佐理の手が一瞬止まった。
だが、すぐに何事もなかったかのように、次のページに目を移しながら尋ねる。
「二木は知ってるのか?」
「知ってるもなにも、星河は二木のところに直接持って来たんだよ、『ビジルが噛んでるならチケットは売らない』とさ。あいつもよくやるよ……」
不可が呆れたように答えた。
「それで、二木は?」
佐理は閲覧を続けながら、また聞いた。
「その時は黙って受け取った。二木も顔に出さないほうだからよく分からないけど、あまりいい顔はしてなかったみたいだな……」
「だろうな……それで、そのチケットはどうした?」
「ああ、今は俺が持ってる」
「そうか、ならそれは俺が預かっとく。どうせ二木も俺に任せるつもりだろうから……」
「なんで二木は篠宮に甘いんだろ……?」
不可がぼやく。
佐理は手を止めると、顔を上げて彼を見やった。
無言の圧力に圧され、不可はそそくさとチケットの入った封筒をポケットから取り出して、佐理の前へ差し出した。
「それにしても、やっぱり三十枚は多いよ。父兄から苦情が出るんじゃないか?」
佐理はそれを受け取りながら口を開く。
「それはないだろ、何のために口上書を同封したと思ってるんだ?」
「口上書?チケットと一緒に入ってたあの紙のことか?」
「読まなかったのか?」
「あ、ああ……」
不可は少し後ろめたかったのか、小さく答えた。
佐理は封筒から紙を取り出して彼に手渡した。
「読んどけよ」
不可はすぐに折り畳まれた紙を開いて目を通す。
「これ、篠宮が書いたのか?よくこんな白々しいことが書けるな」
不可は呆れているのか、感心しているのか、半々といった様子だ。
「人聞きの悪い。近頃は親バカばかりで、学園の方針だとでも言っとけば誰も文句なんか言わないさ。それに紫苑は金持の坊っちゃんが多いからな……自腹を切ったところで痛くも痒くもないだろ」
「奨学生や特待生はどうするんだ?」
「だから今、調査表を調べてる」
佐理はこともなげに答えた。
「え? こんな所で何してるのかと思ったら、それ調査表だったのか」
不可は改めて佐理の前に置かれたファイルの束に目をやった。
「ああ、教頭に揃えてもらった。これから先、何かと口実をつけて売らないヤツが出ると困る。本当に販売が困難かどうか……前もって調べておけばすぐに分かるからな。――知ってるか?うちの調査表……各家庭の年収まで載ってるんだぞ」
佐理が楽しそうに目を細めた。
「えっ! そうなのか? ほんと、お前のすることは抜け目がないな。――待てよ……ひょっとして、俺たちの分も入ってるのか?」
「当然だろ」
「止めてくれよな、全く……」
「心配しなくても秘密を漏らすようなことはしないよ。これは校外秘扱いだからな、守秘義務ってやつ」
佐理はニヤニヤしながら不可の顔を見上げる。
「お前って本っ当、嫌な奴!!」
不可が非難するように言葉尻を強めた。
「それはどうも」
平然としている佐理を見て、不可は溜め息を漏らす。
「全く、お前はつくづく理解し難いよ。大胆というかなんというか……」
「別にそんなことないだろ」
「あるだろ! 勝手に口上書を書いたり、教頭に調査表を揃えさせたり……大胆でなけりゃ何ていうんだよ?」
不可は思わず声を張る。
「俺はただ、必要なことをやってるだけだよ」
「大胆なことに変わりないだろ。だから二木も一目置いてるんだ」
不可は呆れたように言った。
「それは違うな……」
佐理は少し物思いに沈むような表情を見せる。
「え?」
不可は怪訝な面持ちで佐理をまじまじと見た。
「二木は、俺に怖いものがないことを知ってるだけだ……」
「怖いものがない……? ――じゃあ、なんで二木は篠宮に甘いんだ?」
不可が眉間に皺を寄せ、佐理に問い質す。
「さあな、俺は二木の為人が好きだし、二木も俺を気に入ってる。ただそれだけのことだろ」
佐理は少しとぼけてみせる。
そしてすぐに独り言のように付け加えた。
「それとも……誼か……」
「誼?何の誼だよ?」
不可はちょっとふてくされている。
「男同士の誼だよ」
佐理はそう答えると、また調査表に目を通し始めた。
「何だよそれ?お前の話は時々訳が分からない。俺は退散するよ、邪魔したな」
そう言って帰ろうとした不可を、佐理が引き止めた。
「待て、不可」
「何だよ、まだ何か用があるのか?」
「チケットの売り上げ状況をグラフにして毎週掲示しろ」
「何!? 全員の分を表にするのか?」
「それから、売り上げの多い者から順に十名の名前と完売した者の名前を貼り出せ」
「それも毎週やるのかよ!? そんなこと言ってなかったじゃないか」
不可が非難するように言った。
「いいからやれよ。二年を使えばいいだろ。それと、一回目に星河を完売扱いにしろ。いいな」
「え、何でだよ?」
不可は佐理の意図が分からず不満げだ。
「いいから言った通りにしろ!」
佐理は鋭い眼差しで不可を睨みつけた。
「わ、分かったよ。やればいいんだろ、やれば……」
不可はブツブツと文句を言いながら、ドアノブに手をかけた。
その彼の背中に向かって、佐理が皮肉るように声を掛ける。
「お前は会計だろ? いつも暇なんだからこんな時くらい動けよ」
「はいはい。分かりましたよ……」
不可はしぶしぶ応じると、校長室を出て行った。
佐理は受け取った封筒を見やって、小さく溜め息を漏らした。
「あのバカ……」
少しだけ呆れたように呟くと、それをポケットにしまってから窓の外へ目を移す。
「雨……!?」
いつの間にか空いっぱいに広がった雲から、その重さに堪えきれなくなった小さな欠片がポロポロと溢れ始めていた。
その雫を受け止めた木々の若葉が、命を誇示するかのように瑞々しく鮮やかさを増し、静かなものの内にも力強い息吹を感じさせている。
佐理はしばらくその光景に目を留めていた。
やがて、我に返った彼は再び机に向かい、引き続き調査表に目を通した。
そして全てを見終えると、ファイルの束と鞄を抱えて隣の応接室へ入って行った。
「無理を聞いていただいて、ありがとうごさいました」
佐理はソファーに座っている教頭の前にファイルを置いてから、頭を下げた。
「もういいのですか?」
教頭が上目遣いに佐理を見て微笑んだ。
「はい。大変参考になりました。これで明日から販売に集中できます」
「そうですか、それは良かった。では、お願いしますよ」
「ええ、期待していただいて結構ですよ。では、僕はこれで失礼致します」
佐理はもう一度丁寧に頭を下げると、応接室を後にした。




