チケットの配布
翌日の放課後。
体育館へ通じる渡り廊下。佐理と並んで歩きながら、二木がぶっきらぼうに言った。
「説明はお前がやれよ」
「会長はお前だろ」
佐理が呆れたように返す。
「俺が口下手なのは知ってるだろ? それに、こういう事は参謀がやるのが普通だぞ」
「それでよく会長が務まるな」
佐理が冗談混じりに毒づいた。
「ほっとけ。俺を会長に据えたのはお前だろ〜が! 勝手なこと言いやがって、本当ならお前が会長のはずなんだぞ」
二木は抗議の声を上げる。
「本来なら自分のほうが参謀だったと言いたいのか? だったらやっぱりお前がやるべきだな」
佐理はニヤニヤしながら二木の顔を眺める。
二木を「お前」呼ばわりしたうえに、そんな不遜な態度をとれるのは佐理くらいのものだ。
しかし二木は怒るわけでもなく、むしろそんなやり取りをどこか楽しんでいるようだった。
「それじゃ理屈に合ってないだろ。それにお前が会長なら参謀は不可ってとこだ。俺は願い下げしたいね」
「そうだろうな」
佐理は苦笑した。
「この野郎、俺にやらせるつもりなんかハナっからないくせしやがって」
二木は悪態を吐いたが、その口元は緩んでいた。
やがて、体育館が近づくと、二人の顔から笑みが消え、引き締まった厳しい表情へと変わっていった。
男子生徒が集められた体育館に足を踏み入れた二人は、無言のまま頷きあうと、壇上に上がった。
佐理は中央に置かれた演台に向かい、二木はその傍に控える。
これから何が始まるのかと、皆の不安げな視線が二人に集まった。
佐理が不可に目配せすると、彼を先頭にメンバーズがチケットの入った封筒を手際よく配っていく。
全ての生徒に封筒が行き渡るのを見届けてから、佐理はマイクに向かって口を開いた。
「今配った物は、創立記念パーティーのチケットだ。去年より随分早いが、今年は一人当たりの割当てが大幅に増えているため、その分早く販売を開始することになった」
静まり返っていた体育館に、にわかにざわめきが起こる。
「静かに!」
佐理のよく通った声は、まさに“鶴の一声”で、全ての生徒を一瞬にして黙らせた。
「これはビジルが教頭から直々に依頼を受けたものだ。従って……これは学園の方針であり、“課題”だと思ってもらいたい。生徒諸君は創立記念の一週間前までに全てのチケットを完売させること。販売状況は一週間ごとにビジルがチェックする。尚、特別な事情がある者は申し出れば僕が相談を受ける。以上!」
佐理はきびきびとした口調で全生徒に告げると、最後に問いかけた。
「何か質問は?」
しかし“課題”という重い響きを前に、質問する者など誰もいなかった。
「質問が無いようなら、これで解散する」
佐理が言い終わると、静寂が破れ、生徒たちはざわめきながら次々と体育館を出ていく。
佐理と二木は壇上から下りると、メンバーズと並んでその背中を見送った。
ほとんどの生徒が出て行ったその時、一人の生徒が佐理に声をかけた。
「あの、篠宮先輩……」
「君は確か、1−Aの横沢君だったね?」
1−Aは充のいるクラスだ。
佐理がそう言いながら二木のほうをチラリと見やった。
彼は佐理の意を察し、「俺たちも引き上げるぞ」とメンバーズを促して、そのまま表へ出て行く。
誰もいなくなった体育館には、佐理と横沢だけが残された。
「あの……チケットのことなんですけど……」
先に口を開いたのは横沢のほうだった。
「うちは母が病気で……手術したばかりなんです。それで費用も沢山かかったし、僕は弟や妹の面倒も見なくちゃならなくて、食事も……とてもチケットを売る余裕なんて……」
横沢はうなだれていた。
「お母様はなんの病気なんだ?」
佐理が静かに尋ねた。
「脳腫瘍です……」
「二日待て」
佐理は即座に答えた。
「え……?」
横沢は問い返すように声を漏らした。
「返事は二日待て。いいな」
佐理は一瞬の間も置かずに告げる。
「分かりました……」
表情の無い佐理の顔を見た横沢は、不安げにそう言って一礼すると、うなだれたまま帰っていった。
佐理は体育館を出ると、すぐその足で校長室へ向かい、教頭のもとを訪れた。
「1−Aの横沢史彦の家庭調査表を見せていただけませんか?」
佐理は柔らかな笑みを浮かべて、教頭に要望した。
「調査表は校外秘ですから……」
教頭はもったいぶるように渋ってみせる。
「彼の母親は最近、脳腫瘍の手術をしたそうですね?」
「ああ、そうそう思い出しました。それで先週まで一週間ほど休みましたね。横沢君は……母子家庭でしてね……」
「母子家庭……」
佐理が思慮深げな瞳を伏せて、小さく呟いた。
経済的に恵まれているとはいえ、実質、自分も母子家庭のようなものだ――ふと、そんな思いが胸をよぎる。
「彼は特待生なのですが、母親の付き添いということで欠席を許可しました」
「彼の兄弟は?」
佐理は視線を戻して、また尋ねた。
「まだ小学生の弟と妹が。それがどうかしましたか?」
今度は教頭が佐理を見直って聞き返した。
「チケットの販売のことでちょっと……」
佐理は教頭からわざと目をそらせ、言葉を濁す。
「チケットといえば、どうしました?」
笑みを浮かべた顔の裏で、教頭の抜け目のない眼が、じっとこちらの様子を窺っている。
佐理は教頭の顔をチラリと見やると、以前と同じように、その視線を引きずるようにして窓辺へ歩いた。
くるりと振り返り、彼は言う。
「あれはもう配布しましたよ」
そしてにっこりと笑った。
「さすがにすることが早い。やはり君に頼んだのは正解だったようですね」
教頭の顔がにわかに緩む。
「まだ分かりませんよ。ところで……男子生徒全員の調査表を覽ておきたいのですが、揃えていただけますか?」
「さっきも言ったように、あれは校外秘ですから……」
佐理が本題に戻すと、教頭の表情が再び険しくなった。
「チケットの販売を促進するためには、ひとりひとりの生徒が置かれている状況を把握しておく必要があります。心配なさらなくても、外へ持ち出したりはしませんよ。――そうですね……放課後、二時間ほど校長室を貸していただければ、ここで閲覧します。それだけあれば、一通り目を通せるでしょうから……もっとも、僕を信用していただけないのなら、それまでの話ですが……」
佐理はニンマリと微笑んで、穏やかな仮面を纏う。
「分かりました。では、明日の放課後までに揃えておきましょう」
教頭は渋々ながらも承諾した。
校長室という場所に限定するなら、問題は無い。
なによりチケットを完売できるなら、多少のことには目をつぶるのが得策だと考えたのだろう。
「お願いします。お忙しいところ、お邪魔をして大変申し訳ありませんでした。では、僕はこれで失礼致します」
佐理はバカ丁寧な挨拶を残して校長室を出ると、ドアにもたれて「フッ」と息を吐き出した。
「お前が溜め息を吐くとは、珍しいな」
不意に声がして、佐理はそちらへ顔を向けた。
「二木……見てたのか、人が悪いな」
近づいてくる二木に、佐理は少し非難を込めた眼差しを送る。
「どうした?らしくないな」
二人はどちらからともなく、肩を並べて歩き始めた。
「いや、ただ……行きがかり上なんてことは馬鹿な奴がすることだと思ってたのに……まさか自分がそうなるとは思ってもみなかったものだから、おかしくて……」
佐理は自分自身に呆れるように俯き、自嘲気味に苦笑した。
「チケットのことか?」
「ああ……」
佐理は溜め息まじりに答える。
「後悔してるのか?」
二木がさり気なく尋ねた。
「いや、俺は自分のしたことに後悔はしない」
佐理は顔を上げ、キッパリと言い放った。
そしてすぐに「そうさ……後悔なんかするもんか……」と呟いた。
その言葉が、二木に向かって放たれたものなのか、それとも自分自身に言い聞かせたものだったのか、定かではなかった。
「それでこそ篠宮佐理ってもんだ!」
二木が茶化すように言った。
「茶化すな。それより、もう帰るのか?」
「ああ。お前も帰るんだろ?なんなら付き合ってやってもいいぞ」
「生憎、今日は気分は悪くないんでね。それに、俺に付き合っても面白くも何ともないんじゃなかったのか?」
佐理は澄ました顔で素っ気なく応えた。
「あ〜ん?俺じゃなきゃ駄目だって言ってたのは誰だっけな?」
二木がニヤリと笑うと、横から佐理の顔を覗き込んできた。
「本気にしてたのか? おめでたいヤツだな」
「俺が必要なのは“あの時”だけか!?」
二木は文句の一つも言いたげだ。
「変な言い方するなよ、誤解されるだろ」
「心配するな。どう見たってお前と俺じゃ話にならん」
「当たり前だ」
佐理がつっけんどんに言った。
「お前、俺の有り難みが分かってないようだな」
「――分かってるさ、それくらい……」
佐理は少しだけ目を細めた。
二木は、どこか愛おしむような眼差しで自分を見つめる佐理に気づくと、もう悪態を吐かなくなった。
「……途中まで一緒に帰るよ」
佐理が改めて返事をする。
「途中まで?」
二木は眉を上げて聞き返した。
「ああ、今日もデートだからな。邪魔はされたくない」
佐理の言葉に二木はニヤリと笑った。
「お盛んのようだな?」
「まぁな」
佐理の口角が少し上がった。
「それじゃ当分、俺の出る幕は無さそうだ」
二木も苦笑する。
「つべこべ言ってないで、早く帰ろうぜ。俺は急ぎたいんだ」
そう言った佐理に、二木は「分かった、分かった」と言いながら、その髪をクシャクシャに掻き乱して笑った。
「止めろ!」
佐理は鬱陶しそうに二木の手を振り払ったが、その口元もまた、楽しげに綻んでいた。




