自分の知らない佐理
放課後、佐理はビジルの部室で二木と不可に教頭とのやり取りを伝えた。
二人は黙って聞いていたが、彼が話し終えると、二木が少し強い口調で言った。
「俺たちに何の相談も無しでなぜ勝手に引受けた!?」
「どのみち断れないに決まってる。それなら条件付きで引受けたほうが無難だろ?」
佐理は静かに答えた。
「それにしても30枚は多過ぎる。去年の3倍だぞ、皆、納得しないだろ?」
不可も考え込むように言った。
「それを納得させるのがビジルの仕事だろ? 教頭もそれを見込んで話を持ち掛けてきた……」
「俺は奨学生なんだぞ、俺の分はどうしてくれる? 30枚もどうやって売れってんだ!?」
二木が愚痴ともとれるように言って佐理を睨んだ。
「メンバーの分は他の生徒に割り振ればいい」
「勝手に話を持ち込んで、売れなかったらどうするつもりなんだ?」
さらりと答える佐理に、二木がまた詰め寄る。
「その時は俺が責任を持つ。だけど、あくまでも完売を目標に協力してくれ」
何か目算でも有るのか、佐理の口調にはなんの迷いもなかった。
「お前がそう言うなら協力しなくはないが……見込みはあるのか?」
「勿論。じゃあ、不可は明日の朝、教頭からチケットを受け取ってくれ。それから二木は生徒会長に放課後、体育館に生徒を集めるように言っといてくれ。じゃ、俺は急ぐからこれで帰る」
そこまで言うと、鞄を手に帰ろうとする佐理に、不可が不思議そうに尋ねる。
「やけに急ぐんだな?」
「デートだよ、デート。野暮なこと聞くな」
「電話の主か?」
冗談めかしに答えた佐理に、今度は二木がニヤリと笑いながら冷やかし半分で尋ねた。
「そういうこと」
佐理も悪戯っぽく笑い返す。
「えっ、嘘だろ!?」
不可が驚いて声を上げた。
「本当だよ。そのために教頭とも昼に話をしたんだから、じゃあな」
佐理は不可にそう答えると、軽い足取りで部屋を出て行った。
不可は「信じられない」と言うように、二木のほうへ向き直って、
「本当かよ!?」と訊いた。
「ああ、そうらしい」
「篠宮にそんな相手がいるなんて、聞いたことないぞ。二木、知ってたのか?」
ますます信じられない様子で尋ねる不可に、二木は曖昧な返事を返す。
佐理は男子部では女嫌いで通っていたからだ。
「まあな」
「誰なんだよ? まさか……小鳥遊か?」
「詳しいことは知らん。あいつは自分のことはあまり話さないからな、だけど……あいつにとって大切な人間らしいってことは確かだな」
二木は目を細め、佐理が出て行ったドアを見つめながら答えた。
佐理は部室をあとにすると、階段を駆け降りて昇降口へ向かった。
靴を履くのさえもどかし気に足を差し入れ、人差し指を引っ掛けて踵を入れてしまうと、そのまま玄関を飛び出して行く。
時計を見ると、まだ四時を少しまわったところだ。
佐理が校門を出たところで、待っていた希恭が彼を呼び止めた。
「佐理!」
佐理が声のしたほうを向くと、希恭と充、沢村雛子の三人が立っていた。
「こんにちは。怪我はどう?」
雛子が人懐っこい笑顔で尋ねた。
「もう何ともないから、気にしなくていい」
雛子に対して佐理は素っ気なく答え、すぐに歩き出そうとする。
「待てよ佐理。一緒に帰らないか?」
「悪いけど急ぐんだ。人と待ち合わせしてるから」
佐理は面倒くさそうな素振りで希恭の誘いを一蹴した。
「え……待ち合わせ?」
予想もしない答えに、希恭は思わず同じ言葉を返した。
「ああ、これからデートだ。邪魔するな」
佐理は希恭の顔を見据えながら言い放つと、そのまま去って行った。
嘘を言っているようには見えなかった。
「デート……」
自分の呟いた言葉が、胸の奥を締め付ける。
不意にこみ上げてきた説明のつかない感情が、希恭を強く揺さぶっていた。
「そうよね……篠宮君ならデートする人くらいいるわよね……」
横にいた雛子が淋しげにポツリとこぼした。
「そんな筈ない! 佐理は誰とも付き合ってない筈だ……!」
希恭は雛子の言葉を否定するように小さく叫んだ。
だが、そこに自分の知らない佐理がいることを認識せざるをえなかった。
帰ってきた佐理は、マンションの前に人影を見つけて、弾んだ声で呼びかけた。
「大地!」
大地は佐理のほうを見ると、ぱっと顔をほころばせ大きく手を振る。
そんな彼の姿に、佐理は嬉しそうに微笑みを返した。
すぐに小走りに駆け寄り、大地を抱え上げて顔を見合わせる。
「待ったか?」
「ううん、僕も今来たんだよ」
佐理の問いに、大地はにっこり笑って答えた。
「そか、良かった。家、寄るだろ? お兄ちゃんも着替えたいから」
「うん!」
大地が元気よく首を縦に振ると、佐理は「よし」と言って彼を降ろし、手を繋いでマンションへ入って行った。。
「ちょっと待ってろ、すぐ着替えるから」
家に入るなり、大地をリビングに残し、佐理は急いで自室へ入る。
鞄をベッドに放り投げ、クローゼットを開けた。
制服を脱いでハンガーに掛け、続いて引き抜いたネクタイと一緒に収める。
それから私服に着替えて、最後に制服のポケットから財布を抜き取ると、大地のもとへ向かった。
そこまで5分と掛かっていない。
「さ、いいぞ。これからどうする?」
「僕んち行こうよ。もうすぐお母さんも帰ってくるから」
「じゃあ、そうしよう」
佐理は大地と一緒に表へ出ると、小さな歩幅に合わせゆっくりと歩き始めた。
「大地、ちゃんと宿題やってるか?」
大地へ視線を落として佐理はにこやかに問いかける。
「うん。ちゃんとやってるよ」
大地が得意げに胸を張って答えた。
「偉いぞ。今日は?」
「今日はまだだよ。だって家に帰ってからすぐお兄ちゃんとこに来たから」
繋いだ手を揺らしながら、大地が佐理を見上げて言った。
「そっか、じゃあお兄ちゃんがみてやるから、お母さんが帰るまでにやってしまおうか?」
「うん!」
元気よく答えた大地に、佐理は優しく頷いた。
「あのね、お母さんがね、このごろ大地は良い子になったって言うんだよ」
大地は、照れくさそうに笑って目を伏せる。
「お母さんが言うなら、そうなんだろうな」
「そうかな、お兄ちゃんもそう思う?
大地は嬉しそうにまた佐理を見上げた。
「いいや、思わない」
佐理は少し意地悪するようにわざと視線を外して言った。
「え……」
大好きな佐理に否定され、しょんぼりと肩を落として立ち止まった大地の顔が曇る。
「大地は前からとっても良い子だよ」
そんな大地のようすに、佐理は彼の頭を撫でながら言った。
「本当!?」
輝かんばかりの笑顔を向ける大地に、幼い日の希恭の姿が重なり、佐理は静かに微笑んだ。
「大地と一緒に居ると、お兄ちゃんも良い子でいられる……」
「え、いつもは悪い子なの?」
「そうだな……あまり良い子とはいえないな……」
屈託なく尋ねた大地に、佐理は自嘲するように呟いた。
「ふう〜ん」
不思議そうに首を傾げる大地は、その意味がまだよく分かっていないようだった。
「そうだ大地、今度の日曜、遊園地に行こうか?」
佐理が話を切り替えるように大地に言った。
「本当に!?」
「ああ、お母さんには俺から話しとくから、一緒に行こう」
「絶対だよ!!」
「ああ、約束だ」
「じゃあ、指切り」
大地は佐理の前へ回り込んで向かい合うと、小指を差し出した。
佐理はその小さな指に自分の指を絡ませる。
「指切げんまん、嘘ついたら針千本の〜ます」
二人は「指切った!」の合図とともに指を離し、顔を見合わせて笑った。
その後、佐理はまた水原家の人たちと和やかなひと時を過ごした。
そこは、久し振りに見つけた、佐理の心が安まる居場所だった。
一方、取り残された希恭は、気持を落ち着かせるように小さく溜め息を吐いた。
無理に笑顔を作り、雛子たちに声を掛ける。
「帰ろう……」
「うん……」
雛子も淋しげに頷いた。
「あ、綾さんは? 待たなくていいの?」
希恭を気遣うよに、雛子が女子部のほうへ目をやった。
「今日は綾に用事があって、先に帰ったんだ」
「そう、じゃあ帰りましょうか」
雛子の口調は静かだったが、暗いものではなかった。
佐理に素っ気なくされたからといって、いつまでも落ち込んでいるような雛子ではない。
彼女は一見活発で、喜怒哀楽が激しいタイプに見えるが、決して他人に煩わしい思いをさせたりはしない。
むしろ、他人の気持を敏感に感じ取り、それを受けとめるだけの器量を持ち合わせている。
(もしかして……彼女なら佐理の心を少しでも癒してくれるかもしれない……)
希恭は、そんな彼女に頼もしささえ感じて、淡い期待を抱き始めていた。
しばらく黙ったまま歩いていた希恭が、思い切ったように口を開く。
「あの、雛ちゃん、俺……君に言っとかなきゃいけない事があるんだ……」
雛子は希恭の顔を見上げると先を促すように頷いてみせた。
「俺、今……佐理とあまりうまくいってないんだ……」
「そうみたいね」
淋しげに俯いた希恭を見て、雛子は静かに言った。
「分かるの?」
希恭は少し驚いて彼女を見返した。
他人には気付かれないようにしているつもりだった。
「うん、篠宮君のようすで何となくね。」
「そっか……。それで、この間あんなこと言ったけど……正直、君のことどれだけ応援できるか……」
「あ、そんなこと……気にしないで」
雛子は笑顔を返す。
「別にうまくいってないなら、ないでいいじゃない。無理にあの人に関わることないよ。そのほうがお互いのためだと思うけどな……」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていた充が、唐突に割って入った。
「いや……俺には分かるんだ、あいつ……無理してる……」
「無理!?」
充は思わず声を漏らした。
彼にはどう見ても、佐理が自分を偽っているようには見えないからだ。
「佐理は……本当はとても優しくて……人一倍、淋しがり屋なんだ。それなのに、今のあいつはまるで正反対のふりをしてる。何か理由があるはずなのに、俺にはそれが分からない……。これでも親友なのかって情け無くなるよ……」
そう言った希恭がふさぎ込んだ。
それを聞いた充は、希恭の人の良さに溜め息を吐く。
「あの人が何を考えているか分からないのは、いつものことだよ。恭兄がそんなに気に病むことないと思うけどな、それに……」
充は雛子のほうをチラッと見て続ける。
「あの人、恭兄のこと……憎んでるようにしか見えないよ……」
充は少し声を落として、希恭を見つめた。
「俺は……佐理に酷いことをさせた。だから……佐理が俺を憎んでも仕方ないことなんだ……」
充には希恭の言う意味が分からなかったが、それが佐理の手首の傷と何か関係があることは容易に想像できた。
「あの……こんなこと聞いていいのか分からないけど」
雛子が希恭のようすを窺いながら言った。
「ん、何?」
「この間……傷の手当てをした時、篠宮君の手首に傷痕が……」
希恭はギクッとして一瞬、立ち止まった。
が、またすぐに歩き出して、言葉を絞り出す。
「あれ……俺のせいなんだ。……ごめん、理由は――言えない……」
「謝ることないわよ。……それで篠宮君とうまくいかなくなったのね?」
希恭は雛子の問いに頷くと、遠くに目を遣った。
「だけど、俺は信じてる……」
雛子は希恭の顔を見つめている。
「いつかきっと……また佐理と笑い合える日がくるって。きっとまた、あいつは心を開いてくれるって……」
(そうだよ……あんなに心が通い合ってたのに、分かり合えないはずがない。――だから、俺は待っていなくちゃ……あいつが戻ってくるのを待ち続けていなきゃ、でないと……あいつが、あいつの心が還る場所が無くなってしまう……)
希恭は空を振り仰いだ。
その顔は、佐理に「早く戻ってこい」と言っているかのようだった。




