1-8 ピンチとチャンス
大型犬と言えばまだ可愛いのだろうか。その姿は陽の光すら吸収してしまうほどの黒で、まるで影が地面から這い出たような身体。
赤い眼光が三人をじっとりと見据えていて、裂かれたような口元は鋸よりも尖った歯が主張している。一歩ずつにじり寄って来るその見慣れない生き物にタカラは慄然とするが、ノアと冒険者は冷静に威圧する相手を見つめていた。
「二人とも、私の後ろから離れないで。」
「あ、あれはなんですか」
「ヘルハウンド…本当なら魔素の高い場所に住んでいるけど、魔力災害に当てられてここまで来たみたいだ。洞窟や地底に生息していたからこんな所まで来るはずないのに…」
ヘルハウンドと呼ばれた生き物は、身体から塵のようなものを漂わせて辺りの空気を汚していく。気がつけば澄んで綺麗な湖の空気は灰色に汚れていき、呼吸するのも躊躇われる程までになっていた。
タカラはノアと以前に話していた周辺地理について思い返す。洞窟はすぐ近くに小さいのがいくつかあったが、広いものはなかったはず。それと地底洞窟は確か首都周辺にあったようだが、首都自体、ここから馬車で半日くらいかかる所にあると聞いていた。
思索に耽ていると冒険者は剣の柄をゆっくり引き、そこから地面を強く蹴る。
急に風を感じたタカラは飛んで行ったものへ目を向けると、先ほどまで自身を隠していた背中が勇敢にも同じくらいの高さをした魔物へ切り掛かる。
銀色の剣は躊躇いもなく首元を狙うが、大きな咆哮が浴びせられ、身を翻して後方へ立ち直す。再び魔物に切り掛かるも、今度は鋭利な爪を持った前脚がその剣を受け止めて鈍い音を出した。
「(一人ならまだしも、後ろの二人を守りながらは……)」
ぎりぎりと力比べをする両者の腕は、互いに譲らない意思がありながら力比べだと圧倒的に劣勢。素早さでも劣ってしまうが魔法があればなんとかなるとは思うものの少年たちを守り切れるかどうかは不安が邪魔をする。
素早い動きで打ち合う様子を息を殺して見ているタカラにノアは囁いた。
「どうだろう、タカラくん。彼女に付与魔法をかけてみないか?」
「え!?で、でも」
「僕相手にもきちんと効果は出たんだ。見る限り彼女が押されている。何もしないでやられるより状況を変えられるかもしれないんだ。やってみようよ。」
「……わかった、やってみる!」
可能性に掛けて、タカラは冒険者の彼女をじっと見つめた。溢れ出る魔力を両手に込めて、タイミングを身測る。牙に捕らえられた剣を憎しげに舌打ちして力強く左足で魔物を蹴り飛ばす。二人に距離が出来たところでタカラは両手を彼女に向けて息を吸い込む。
「身体強化!超硬化、腕力増加!素早さ上昇!」
「え!?」
突然の詠唱に女性の視線が僅かに逸れる。その隙を狙ったのか魔物は前へと飛び出し腕目掛けて噛みつこうとした。瞬時に気づいた女性は飛び上がると、いくつかの光の球が身体を包みほのかな暖かさを感じる。
「付与魔法?!使えるのか?!」
「えーと!えーと!ついでに剛刃効果!」
思いつく限りタカラは言葉を紡ぐ。正しい詠唱なんて知らないが、無数に言えばどれか当たるだろうという感覚だった。ありがたいことに魔力がその想像力を買ってくれて簡単にも付与魔法は相手の身体へと流れ込んだ。
信じられないと言いたげな目で宙に浮いた彼女は一旦考えるのをやめて、戦いに集中すべく目を見開く。軽く、速くなった自分の動きに腕の力を合わせて魔物に向かって突進する。
突き立てた剣を脳天に目掛けて込められるだけの力を振りかざす。付与魔法の効果は基本短いものが多く、長期戦には向いていない。詠唱になれば多少長くなるが、戦いも知らない素人のような少年には長い効果なんて期待できないと彼女は瞬時に悟る。
ヘルハウンドは予想もして居なかった動きにたじろぐも、すぐにまた襲い掛かる。その大きな動きに隙が生まれ、それを見抜いた女性は向かってきた前脚を避ける。彼女の横顔をすり抜けた腕は宙を掻いて気づく間も無く銀色の剣はヘルハウンドの右目を突き刺した。
生々しい音と潰れた声がタカラに衝撃を与えるのに十分だった。ぐったりと崩れ落ちた魔物の様子を見て気分の悪さが込み上がったが、それと同時に安堵が胸に広がる。
ヘルハウンドは塵を噴き出し、跡形もなく風に乗せられ姿を消した。地面には赤かった目を彷彿させるような不恰好のガラス石が転がり、それを女性が拾い上げた。
「君たちはなんともないか?」
「は、はい!ありがとうございました!」
目に涙を浮かべ、お礼を言うタカラにノアは控えめに微笑んだ。それは感謝の笑みだと女性は捉えてホッとする。
「あの、お姉さんのお名前は?」
「あぁ、私は首都の冒険者ギルドに所属している、ウノーという。君が付与魔法をかけたのか?」
「そうですが、効果はどうでした?!ちゃんとできてました!?」
「いや、何をいう。しっかりできてたさ。君は魔法使いか何かか?」
「戦士になりたかったんですけど、センスがないようで……魔力は高いと言われましたので最近特訓してるんです。」
「戦いに慣れていない様子だからそうかと思ったが、そうか……魔法使いの筋なら自信を持っていい。ギルドには所属していないということか?」
タカラは困ったようにノアに目を向けた。ノアは何も言わず、小さくうなづいてタカラに説明を任せた。
自分が長らく病を患っていて、完治して最近孤児院を出たこと。途中事故に遭って前の記憶が曖昧なこと。そこでこの村に拾われてしばらくお世話になっていると伝えた。
ウノーは眉を下げて気の毒そうにタカラを慰めたが、タカラは嘘を混ぜたことに少し罪悪感を覚えた。
三人は村へと帰り、心配して待っていたノアの母に抱きしめられながら叱られた。
困ったように笑う少年二人となおも説教を続けている母親の後ろで、ウノーと同行していた見知らぬ男性が小さく話し合っていた。
「彼に付与魔法をかけられ無かったら苦戦していた所だ。聞くと彼はただの村人のようだが魔力が高いようで、魔法使いを目指し始めている。」
「そうなんだ!未所属かい?」
「最近孤児院を出たところこの村で保護されたらしい。戦闘経験もなく孤児院と村や洞窟、湖以外出たことないやつだ。ギルドなんて人伝にしか知らない。」
「これはまたレア人材……うちに来て貰わないか?」
二人が見つめ合っていると、説教から解放されたタカラが声をかける。
「ウノーさん、改めてありがとうございました!もう首都へ戻られますか?」
純粋な笑顔を見た男性はじっとタカラを見下ろす。見るからに人の良さそうな…貧弱そうな青年がそこにいた。まじまじ観察を続けると視線に気づいたタカラはガタイの良い男性の存在に気づき、慌てて頭を下げた。
「初めまして!ウノーさんに助けられたものです!」
「やぁ。俺はドステという。魔法使いの卵だそうだな?」
「へ?え?」
「この村にずっと住むことにしたのか?よかったらうちのギルドに入らないか?」
「おいドステ、急に言うな」
「じゃあいつ言うんだ?早い方が良いだろう!」
「そうだが…」
「ギルドですか?!いずれ、参加したいと思っていましたが……」
「おぉ!ちょうどいいな!」
豪快に笑う男性に若干戸惑いを感じるも、タカラは期待と不安で口を籠らせる。
それに気づいたウノーは鬱陶しそうにドステの肩を殴り、優しくタカラに問いかけた。
「何か不安なことでもあるのか?」
「ええと、お話しした通り俺は経験もなくて、最近村にも出たので、ギルドには試験があると聞いています。受かるかどうかわからなくて」
痛そうに背中を撫でてたドステはなんだ、そんなことかと呟き、ウノーと目を合わせた。
「確かに試験はある。君は魔力も高そうだし、首都に来て一旦魔力量やスキルを覗いてみないか?試験だって受かるまで何度も受けられるし、スキルを見た方が練習だって効率良くできるだろう。」
「そうだぞ。冒険者も常に人材不足なんだ。特に魔力高い奴は優遇される。未経験なら経験を重ねれば良いってことよ!この村で鍛えたいならそれでも良いが、範囲は限定されるだろ?」
確かにそうだ。二人の言う通り村でできることは限られていて、自分のスキルも曖昧なまま。いずれ行くなら早い方がいい。先程まで危険な目に遭ったと言うのに今ではその窮地がチャンスになって姿を変えた。二人の言葉に押されてタカラは顔を上げた。決断できた目つきをして二人を見つめると、彼らは同意が得られたと満足げに頷いた。
三人が落ち着きのない様子で楽しそうに話し合っているところを少し離れたところでノアは見ていた。役目を果たしたのかな?と嬉しいような寂しいようなよくわからない感情が込み上がる。ふと気づいたことがあった。
神に作られた創造物である自分に感情が芽生えていること。そしてこの役目が終われば自分は消えることに。無表情のまま手を胸に添えたが、これ以上何をすべきかなんて何もわからなくなってしまった。




