3-1 3人の初依頼
「猫ぉ! 死角が広い!」
「にゃあっ!」
「小僧! 魔法の発動が遅ぇ!」
「ひぇっ!」
訓練用の木剣が、アンジェの首元を打つ。
乾いた音とともに、アンジェの身体が土の上へ転がった。
それを目で追ってしまった直後、風を切って突き上げられたネージュの右足が、俺の腹を蹴り上げる。
「ぐふっ!」
地面にはアンジェ。宙には俺。
舞い上がった砂埃が落ち着くころには、二人揃って地面と仲よく抱き合っていた。
遡ること数日前。
ウノーの提案を聞いたネージュは、波打つ白髪を振り乱し、全身で拒絶を示していた。
「なんっっっで私なんだ!!」
「お前しかいないからだよ。事情は説明しただろう」
「私に教育は向いてねぇんじゃなかったのか!」
「そう思って、今までは自由にさせていた。でも、今回ばかりは仕方がない」
「だからって、何で私が子守なんぞ!」
「毎日のようにギルドの人間から小言を言われる生活にも、そろそろうんざりしていただろう? 冒険を楽しみながら、二人を鍛えてくれればいい」
「子守を楽しみたいとは一言も言ってねぇ!」
「決定事項だからね。お前の意見は聞いていない」
「この……!」
ウノーは笑顔を崩さず、淡々とネージュの反論を切り捨てる。
対するネージュは、逆立った獣のように威嚇していた。
俺たちに選択肢がないのと同様に、どうやらネージュにも拒否権はないらしい。
俺とアンジェは部屋の隅へ身を寄せ、二人の言い争いを見守ることしかできなかった。
やがて扉を叩く音がした。
しかし、言い合いに夢中な二人は気づかない。仕方なく俺が代わりに扉を開けた。
「あれ、タカラだ。アンジェもいる」
「クォーツさん!」
「クォーツさん、お久しぶりです!」
「あはは。そんなに長く会っていなかったかな。クォーツでいいよ。気軽に呼んで」
クォーツはにこやかに笑い、俺とアンジェの頭を順番に撫でる。
俺たちの肩越しに、今なお言い争っている二人を見つけた。しかし驚く様子もなく、慣れた足取りでソファへ座る。
「ネージュも帰ってきたんだね。この様子だと、護衛の話をしたところかな」
「えっ、クォーツも知っていたんですか?」
「タカラたちのパーティーに入れって言われてから、ずっとあの調子で……。二人って、仲が悪いんですか?」
アンジェの質問に、クォーツは目を丸くした。
それから堪えきれないように笑い、俺たちを手招きする。顔を寄せると、声を潜めて教えてくれた。
「逆だよ。ネージュは気難しくて、誰の言うこともろくに聞かない。でも、ウノーの言葉だけは最後まで聞くんだ」
「今も全然聞いてないような……」
「言い返してはいるけど、結局は断らないだろう? ウノーも、ああ見えてネージュには厳しいようで甘いからね」
「それって、仲がいいの?」
「少なくとも、どうでもいい相手にあんな顔は見せないよ」
感情を剝き出しにできるのは、それだけ相手を信頼しているからなのだろうか。
納得したとまでは言えないが、少しだけ腑に落ちた。
アンジェと顔を見合わせる。彼女もまだよく分からないらしく、耳を傾けたまま首をかしげていた。
結局、先に根負けしたのはネージュだった。
「……勝手にしろ」
「うん。そうさせてもらうよ」
疲れ切った顔で吐き捨てたネージュの腕を、ウノーが逃がさないようにつかむ。
「お前には、まだ説明しなければならないことがある。奥へ来なさい」
「まだあんのかよ!」
「たくさんあるよ」
「離せ!自分で歩ける!」
ネージュは抵抗しながら、ウノーに連れられて部屋の奥へ消えていった。
その翌日。
ギルドへ顔を出すと、目の下に薄い影を作り、すっかり憔悴したネージュが立っていた。
「じっくり話し合って、納得してもらったよ」
満足そうなウノーが、パーティー加入手続きの書類をひらりと振ってみせる。
ネージュは何も言わなかった。
ただ、その深い緑色の目は、今にもウノーの背中へ穴を開けそうだった。
そんな数日前の出来事を思い出しながら、俺は地面を歩く蟻と目を合わせていた。
蟻はこちらを見ているように触角を動かしたあと、興味を失ったのか方向を変え、とことこと視界の外へ消えていく。
自由に歩いていけるのが、少し羨ましい。
「ネージュ……鍛錬をつけてくれるのは、本当にありがたいんですけど……もう何日も経ってますし、そろそろ依頼を受けませんか?」
「数分で地面と抱き合ってるやつが、何言ってやがる」
「お願いだよ、ネージュぇ……。報酬の出る依頼を受けないと、食べ物も道具も買えないよぉ……」
「……ちっ。そういや、お前らは稼ぎがねぇのか」
鍛錬そのものはありがたいし、学ぶことも多い。
ネージュの指導のおかげで、以前より魔力を素早くまとめられるようになった。魔法を発動する直前、どこで無駄な力が漏れているのかも、容赦なく指摘してくれる。
剣士でありながら、魔力の流れを俺以上に理解しているようだった。
身体の動かし方も無駄がない。足を置く位置や重心の移し方まで、一つひとつに明確な理由があるらしい。
力量に差がありすぎて、俺はまだほとんどついていけていない。
それでも、もともと身体能力の高いアンジェの動きは、数日だけでも目に見えてよくなっていた。
ネージュは黒いマントについた土埃を払い、深い緑色の目で俺とアンジェを見下ろす。
相変わらずぶっきらぼうで、口も悪い。
諦めたのか、多少は受け入れてくれたのか。それとも、ウノーへの不満を俺たちへぶつけているだけなのか。
理由は分からないが、鍛錬に関しては驚くほど真剣に面倒を見てくれていた。
「依頼を受けるなら、ネージュも一緒に来てくれるんですよね?」
「不服だが、そうなるな。お前らのせいで、私までFランクの依頼しか受けられねぇ」
「ごめんってぇ。でも、魔物討伐や希少品の採取も並行してやれば、昇格の点数を稼げるよ。頑張ろう!」
「猫なんだから、鼻は利くだろ。せいぜい役に立て」
「猫じゃない! 虎の獣人!」
「大して変わらねぇよ」
「きーっ!!」
正直に言えば、ネージュが加わってくれたことを、俺はかなり嬉しく思っていた。
彼女の強さだけを当てにしたいわけではない。
俺たちを指導し、危険な魔力暴走から守ってくれる人がそばにいる。それだけで、大きな安心感があった。
囮として過ごすことへの不安が消えたわけではない。
それでも、もし俺が戦えなくなったとしても、ネージュならアンジェを守ってくれる。
そう思えるだけで、胸の重さが少し和らいだ。
「二人とも、じっとしてて」
自分とアンジェ、それからネージュへ生活魔法をかけ、汗や土埃を落としていく。
ネージュの黒いマントから汚れが消えた。彼女は一瞬だけ目を細め、自分の袖を確かめる。
「……最初からやれ」
「お礼が言えないんですか」
「余計な口を利く元気があるなら、もう一周走るか?」
「ごめんなさい」
礼の言葉はなかったが、嫌がらず受け入れてくれたことが嬉しかった。
昼過ぎのギルドは、いつもより落ち着いていた。
冒険者の多くが活動に出ている時間なのだろう。まばらな人影の間を通り抜け、三人で依頼掲示板の前に立つ。
「薬草の採取と、小型魔物の討伐……。どれが一番、点数を稼ぎやすいかな」
「薬草を採りながら、近くの洞窟で鉱石も集められるみたい。これなんてどう?」
「ここからここまで全部受けて、まとめて片づければいいだろ」
「ネージュ……」
「あれだけ私の指導を受けておいて、できねぇとは言わないよな?」
「無茶言わないで!」
ネージュへ正面から言い返せるアンジェの度胸に感心していると、一枚だけ高級感のある依頼書が目に入った。
厚手の紙に、品のよい飾り枠が施されている。
「放置された屋敷に住み着いた魔物の討伐と、遺品の回収……?」
ほかとは毛色の違う依頼に目を奪われ、そのまま内容を読み進める。
依頼主は貴族だった。
祖父から相続した土地に、古い大きな屋敷が残されている。使用人を向かわせたところ、屋敷の中には魔物らしき何かが住み着いており、遺品の整理ができないらしい。
土地と屋敷を放置し続けるわけにもいかず、魔物の討伐と内部の調査、そして指定された遺品の回収を依頼したいとのことだった。
「お金持ちも大変なんだなぁ」
「おっ、いい依頼を見つけたじゃねぇか。報酬も悪くねぇ。それにするぞ」
「えっ? でも……」
古びた屋敷に、残された遺品の探索。
未知の場所を調べるという内容には、たしかに心をくすぐられるものがある。
しかし、屋敷内にいる魔物の正体や数は分かっていない。そのため依頼書には、Eランク以上のパーティーを推奨すると記されていた。
「俺たちのランクじゃ受けられませんよ」
「はぁ? この私がいるのに?」
「私たちもいまーす」
「分かってるわ、クソガキども」
ネージュは額に青筋を浮かべ、俺の制止を無視して依頼書を乱暴に剝がした。
そのまま受付へ持っていく。
受付にいたテレサは依頼書へ目を通すと、眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
ネージュは片腕をカウンターへ乗せ、偉そうに返事を待っている。
しばらく考えた末、テレサは一度受付を離れ、奥の部屋へ消えていった。
「駄目なんじゃない?」
「俺もそう思う」
「聞こえてんぞ」
やがてテレサが戻ってくる。
ネージュといくつか言葉を交わしたあと、追加の書類を差し出した。ネージュはろくに読まず署名を済ませ、得意げな顔で俺たちのもとへ戻ってくる。
「喜べ。受けられたぞ」
「えっ、なんで?」
「脅したの?」
「人聞きの悪い猫だな。もう一度躾け直してやろうか?」
「虎だってば!」
聞けば、今回は条件つきで受注を認められたらしい。
ネージュはギルドから派遣された護衛兼監視役であり、実力だけなら推奨ランクを大きく上回っている。そのため、調査を中心とした依頼であることを考慮し、特例が認められたという。
ただし、ネージュが俺たちでは対処できない危険があると判断した場合、依頼を中断して直ちに撤退すること。
それが、受注を認める条件だった。
「……ちゃんと、身を引くつもりはありますよね?」
「そんなもん、お前らの動き次第だろ」
「それじゃ、条件の意味ないじゃん」
「私に引きずられる前に、自分の足で逃げられるようにしとけ」
「やっぱり依頼より、逃げる訓練が先なんじゃ……?」
「安心しろ。道中で鍛えてやる」
「安心できない!」




