2-14 帰路
「報告書、確認いたしました。こちらで問題ございません。ご協力ありがとうございました」
「は、はひ……」
ネージュに散々駄目出しされ、ようやく完成した報告書をギルドの調査班へ提出した。
調査班は二人の調査員と、弓を背負った護衛の冒険者で構成されている。俺とネージュに挨拶を済ませると、調査のため、しばらく村に滞在すると説明してくれた。
帰りの馬車も用意してあるため、好きなときに使って構わないらしい。
彼らが部屋を出ていくと、ネージュは大きなあくびをし、俺をじろりと見据えた。
「獣人が起きたら帰るぞ。支度しろ」
「え? でも、まだ目を覚ましてないし……」
「今日中には起きる。起きなかったら背負ってけ」
「ええっ、怪我人ですよ!」
「傷口はもう塞がってる。さっき見たときも、だいぶ顔色が戻ってた。どうせ腹空かせて起きる」
「ネージュ、様子を見てくれたんですか?」
「……」
バシッと後頭部へ手刀が落ちた。
鈍い痛みに頭を押さえる。ネージュはそっぽを向き、ずんずんと廊下を歩いていった。慌ててその背を追うと、彼女は俺たちが借りている部屋へ入っていく。
窓から朝の柔らかな光が差し込み、昨夜の騒ぎが嘘のように、外は穏やかな天気になっていた。
アンジェの寝息も安定している。ときおり、何かを食べている夢でも見ているのか、口元がもごもごと動いた。
ネージュは懐へ手を入れると、今朝の食事に出された肉のサンドイッチを取り出した。
どこにそんなものをしまっていたのだろう。
疑問に思っている間に、ネージュはサンドイッチをアンジェの鼻先へ近づける。
焼いた小麦の香り。香辛料の効いた肉と、酸味のあるソースの匂い。
眠っていたはずのアンジェの鼻が、忙しなくひくひくと動き始めた。空気ごと食べようとするように口を動かし、口元から涎まで垂らしている。
ネージュがサンドイッチを引き離す。
それを追うようにアンジェの目が勢いよく開き、そのまま飛び起きた。
「おにくっ!!」
「アンジェ!」
「単純な阿呆で助かったな」
はっとしたアンジェは俺の姿に気づくと、すぐに腕を伸ばした。俺の腕をつかみ、服を捲って、怪我がないか確かめていく。
俺もアンジェの肩をつかみ、その目を見つめた。
アンジェは困ったように眉を下げる。
「今度は私が心配かけちゃったみたいだね……。無事でよかった。ごめんね」
「ううん。俺のほうこそ、ごめんね。ありがとう、アンジェ」
込み上げる涙をこらえきれず、アンジェの膝へ額を押しつけた。
頭に温かな手のひらが乗せられ、ゆっくりと髪を撫でられる。
「はぁ……。二人揃って、ぬるい甘ちゃんだな」
大きなため息に顔を上げる。
アンジェもそこで初めて見知らぬ人物がいることに気づき、首を傾げた。
「あれ? どちらさま?」
「アンジェ、この人は冒険者ギルドのネージュ。俺たちを助けに来てくれたんだよ」
「えっ! じゃあ、私たちが助かったのもこの人のおかげ!?」
「そうだよ」
アンジェが眠ってからの出来事を説明する。
ネージュはサンドイッチをアンジェへ押しつけるように渡した。アンジェは話を聞きながら、さっそく大きな口でかぶりつく。
「そうなんだ……。あの男、逃げちゃったんだね」
「あいつは、お前らのことを知ってたみたいだな。心当たりはあるか?」
「いいえ。全然……」
「ならいい。今考えても答えは出ねぇ。そのうち嫌でも分かるだろ」
ネージュは壁へ背中を預け、腕を組んだ。
「不審な事件が続いてる。ギルドもようやく重い腰を上げた。お前らは引き続き気を抜くな」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「礼を言う前に反省しろ。弱ぇくせに、考えなしで立ち向かうな」
アンジェの耳が、ぺたりと伏せる。
「逃げることを覚えろ。いったん引いて立て直すのは、戦いの基本だ。優先順位を間違えるな。猫、お前は感情に振り回されすぎだ」
「猫……」
「坊主、お前は後先を考えなさすぎる。身体は貧弱、経験も足りねぇ。そのくせ、馬鹿みたいな魔力だけ抱えてやがる。相手との力量があまりにも違いすぎた。二人とも、鍛え方が足りねぇんだよ」
「うっ……そのとおりですぅ」
「うぅ……ごめんなさいぃ」
「だから、謝って終わらせんな。次に同じことをするなって言ってんだ」
正論で、精神を容赦なく削られていく。
強者の言葉は一つひとつが重く、言い訳のしようもない。実際、あの場でいつ引くべきだったのか、俺には最後まで分からなかった。
そのあともしばらく続いたありがたい説教を、俺とアンジェは並んで静かに受け止めるしかなかった。
アンジェの支度が整い次第、ギルドへ戻ることになった。
借りていた部屋を片づけ、腹ごしらえを済ませる。最後に、部屋を貸してくれたビスさんたちへ挨拶をするため、工房へ向かった。
金属を打つ音が鳴り響く工房には、数人の職人が働いていた。その中にビスさんの姿を見つけ、握手を交わして礼を伝える。
すると、彼の後ろからジェスが顔を覗かせた。
「じゃあね、ジェス君。元気でね」
「うん。にいちゃんも」
「本当に、ありがとうございました。店主さんも見つけてくださって」
一人は助けられなかった。
もう一人も、ネージュが来てくれなければ助けられなかった。
礼を言われるようなことはしていない。そう思っても、ここで否定すれば彼らを困らせるだけだ。
「……いいえ。俺にできたことなんて、ほとんどありませんから」
「しばらく、採取には必ず集団で行け」
背後から、芯のある声が割って入った。
振り返ると、いつの間にかネージュが立っていた。
「調査はまだ終わってねぇ。森の安全が確認できるまでは、絶対に一人で入るな。村長にも伝えてある。くれぐれも気をつけろ」
「分かりました。皆にも伝えておきます」
「時間だ。行くぞ」
ネージュが顎で馬車の方角を示す。
「もう午後だけど、今から出発しても大丈夫なの? 途中で夜になったら危ないんじゃ……」
「お前らだけならな。私がいるんだぞ。舐めんな」
「アッ、ハイ」
荒っぽい口調や態度にも、なんとなく慣れてきた気がする。
ネージュが淡々と馬車へ荷物を積み込む姿を見ていると、自然と笑みが零れた。
最後に、ジェスの頭を撫でる。
ジェスは少しだけ表情を和らげ、控えめに手を振ってくれた。
これから彼は、嬉しいことも、苦しいことも経験しながら大人になっていくのだろう。
どうか、幸せで平穏な人生に恵まれますように。
心の中で、静かに祈った。
村を出発して、しばらくが経った。
すでに村の姿は見えない。馬車の外へ目を向けると、豊かな自然に囲まれた、のどかな景色がどこまでも続いている。
ネージュに同行していたギルド職員によれば、到着は夜中になるだろうとのことだった。それでも、少しでも早く進むため、馬車は速度を落とさず街道を走り続けている。
夜が深まるにつれて、魔物や獣の活動も盛んになる。
「今のうちに休んどけ」
そう言ったネージュは、腕を組んだまま目を閉じている。
彼女が馬車に簡単な結界を張ってくれたためか、アンジェも馬車の揺れに身を任せ、静かに眠っていた。
傷は回復したとはいえ、失った体力まで完全に戻ったわけではない。このまま眠らせておいたほうがいいだろう。
持ってきた本を開いてみても、文字がまるで頭に入ってこない。
本を膝に置いたまま、外の景色を見つめる。
静かな空間は心地よいはずなのに、森での出来事が何度も頭の中で繰り返され、落ち着くことができなかった。
一度ならず、二度も。
俺は魔力を暴走させかけた。
何をするべきか分からず、最善の方法を思いつくこともできなかった。そんな自分に腹が立つ。
「……休んどけって言わなかったか」
「あ、ネージュ。ごめんなさい。起こしちゃいました?」
「一人でそわそわされてりゃ、嫌でも目が覚める。結界は張ってあるんだから寝ろ」
「そう、ですよね。でも、ちょっと眠れなくて」
ネージュは大きなため息をつくと、鬱陶しそうに長い髪をかき上げ、片側へ流した。
「考えてることは、なんとなく分かった。分かりたくもねぇけどな」
「ネージュは、どうやって強くなったんですか?」
「鍛錬と実戦。これに尽きる」
「そうですよね……。ネージュだって、最初から強い剣士だったわけじゃないですよね」
「……最初は、剣士じゃなかった」
「え?」
ネージュの表情に、暗い影が差した。
窓の外を見つめる瞳が、ほんの僅かに揺らぐ。
しかし、それも一瞬だった。すぐに、いつもの仏頂面へ戻ってしまう。
俺は言葉の続きを待った。
けれど、ネージュは何も話さない。ただ、探るような目で俺を見据えている。
「……とにかく、戻ったらウノーなりクオーツなりに鍛えてもらえ。今のお前らじゃ未熟すぎる」
「……はい」
無理やり打ち切られた会話に、ネージュの胸の内を読み取ることはできなかった。
これ以上聞けば、本当に怒らせてしまいそうだ。
俺は諦めて本を閉じ、そのまま目も閉じた。




