2-4 横たわる二つのそれ
「何かまずい気がする。」
そう言うとアンジェは地面を蹴り上げ、飛び上がる。隆々とした脚が勢いをつけ、真上から頭を狙った。だが脚は頭を擦り、翼がリズム良く宙を仰ぐ。焦点のない目がまたこちらをじっと見つめた。不自然なことに俺を攻撃する様子がない。不気味な仕草に思わず後ずさると、獣の威嚇する様な声が耳を裂く。気を取り戻すと、視界の中で牙を剥き出しにしたアンジェ。先ほどとは比べ物にならないほど大きく口を開け、骨さえも簡単に砕けそうな牙を露出させていた。
あれは本能。人間である自分が感じていた恐怖を、獣人であるアンジェが察知して守ろうとしてくれている。明らかな敵意、威嚇を前にしてインプは怯むそぶりもなく変わらず俺を捉えていた。もしかして感情がないのか、明確な危機を感じていないから相手にもしないのか。見るからにこちらの方が優位のはずなのにインプは、殴られようが威嚇されようが気にもしない。出会いと違ったその様子に戸惑いは隠せず、アンジェを見る。メキメキと聞き慣れない音を立てながら隆起していく爪を見て、俺はインプへ手を向けた。
魔力を込めて、光の矢を浮かび上がらせる。弾丸の様に真っ直ぐ弾け飛ぶ光の矢に逃げる素振りも無く、反射的に目を瞑ったその隙に、アンジェは飛び出して腕を振り下ろした。真上から降りた強い力に、インプは叩きつけられ、地面が微かに揺れるほどの大きな衝撃が狭い空間を支配した。
舞った土が落ち着き、目を開けると、無惨に潰れた悪魔の身体が地面に溶け出していく。
「アンジェ!」
「タカラ!なにかされた!?身体は!?」
確かめる様に両頬を包み、先ほどと打って変わって丸い目が揺れていた。張り詰めていた緊張が切れてアンジェの腕にもたれかかる。
「なんともないけど……なんか、何か違和感を感じて……」
「魔力を感知したのかも……でも様子がおかしかった。」
2人で確かめる様にまたインプだったものを見る。アンジェは躊躇いもなくインプの尻尾を千切り、布に包んでポーチに仕舞っていく。
「え、どうするのそれ」
「うん、念の為ギルドに報告したい。この奥に何かありそうだから、ちょっと進もう。タカラ、まだいける?」
「あと少しなら…」
靴の持ち主はまだ見つかっていない。転がっていた靴を拾い上げ、先へと進んだ。短く済んだはずの戦闘が尾を引いていて、思考も体力も使い切っている。なんとか絞り出した気持ちを奮い立たせて暗闇を照らす光に従い進んでいく。
「うっ……!」
呻きが聞こえ、数歩先にいるアンジェを見る。近づくと、湿気を帯びた腐敗の匂いが鼻腔を支配した。吐き気を呼び起こし、混乱が頭部を駆け回る。強烈なその匂いに呼ばれて視線を這わせるとそこには想像した最悪な事態が力無く伏していた。
「人……」
「だめだった……遅かったか。」
ありふれた冒険に、いつかはこう言うことが起きると思っていた。思ってはいても覚悟していた訳ではない。この世界でいかに自身が楽観的に過ごしていたか思い知らされてしまった。
這い上がる胃液を堪えて、手拭いを取り出し2人で口を覆う。浄化の魔法をかける考えがあったが、これはギルドに報告するべき案件であり、これ以上手を加える事は出来ない。防御魔法の加減もわからず一旦布に薬草を挟んで、酷い匂いを誤魔化した。
ゆっくりと横たわっている身体へ近づく。それは生きている気配がまるで無く、無力な様子で暗闇に鎮座していた。距離を詰め、触れない様に観察する。死後そこまで経過していない、腐敗が進んだ土色の皮膚を見て、その強烈な匂いに違和感を覚えた。
それは成人済みの男性の様だ。顔の一部は赤黒い血管が皮膚から浮かんでおり、口からは紫黒色の血のような体液を吐いていたように見えた。外傷は少ないが、背中は服ごと縦に切られたように裂けていて、古い血が滲んでいる。
「もしかしたら、さっきのインプの毒かも。初めて見たから分からないけど、数日も経っていなさそうな身体だし、この匂いはさっきのインプの匂いと似ている。」
「毒で殺されたのか…」
毒殺されたその男性は、逃げ惑っていたのか靴の片方がない。落ちていた片割れは彼の靴と同一のもので間違いなかった。
靴の片方を証拠としてポーチに入れる。アンジェは目を瞑り胸に手を当てた。その後立ち上がり周辺に他に何かないか探る。自分も目を瞑り胸に手を当てた。どうか安らかにと他人に祈りを捧げて立ち上がる。
他にめぼしいものはないことを確認し、元来た道を辿って洞窟を出る。疲弊した心と身体のせいで互いの口数は少なくなっていた。だけどその静けさが心地よく、静寂な空気が心を少し癒してくれる。
辺りが暗くなる頃、俺達は森を抜けた。気怠さと戦いながら道を進み、ギルドへと向かった。
街に着いたのはすっかり夜の時間。人がまだらなギルドはいつもより静かで、何人か見たことある人がいた。アンジェとあたりを見渡し、良く知る人を探す。この場にはいない事を確認し、仕方なく受付へと向かう。
「すみません、依頼完了と別途報告書の紙を頂けますか?」
「はい!遅くまでお疲れ様でしたっ。依頼品の確認をしますので、その間にこちらの報告書をご記入ください。」
明るく穏やかに答えた受付の人に紙を手渡される。アンジェが依頼品の確認をしている間に報告書を記入する。依頼とは別に、気がついたこと、危険だった事を報告するための書類。今日起きた出来事をどう書けばいいかに悩み、考えた末に時系列に箇条書きをする。しばらく書き込むと、アンジェは確認が終わったのか、そばで記入しているところを見守る。
「書き加える所あったら教えて。」
「うん、大丈夫」
記入を進めながら、アンジェと今日起きた事を思い出す。言い表せない違和感と恐怖。力量に差があるにも関わらず精神的に詰められた事。咄嗟の判断が遅い、力の調整が甘い事などあまりにも至らない点があり過ぎて羞恥心を感じる。アンジェはこんな俺と組んで後悔は無いだろうか。優しいから、足手纏いなんて思わなくても辛い思いはさせたはず。ちらりとアンジェを見ると真面目な顔で書類を見ていた。
「アンジェ、ごめんね。」
「んぇ?なにがさ?」
「今日、だけじゃ無いけど、苦労させたなと思って。」
アンジェは目を丸くし、ぴるぴると耳を動かす。
「何言ってんの!この依頼、私たちの初仕事だよ!」
「それでもアンジェ1人ならこなせていたと思うんだ。足手纏いになっている気がして、」
言い切る前に、勢いよく柔らかい手に頬が包まれる。
「んぐ」
「タカラがいなきゃ、体力の配分も出来なかったし、付与魔法の知識もなかった。付与魔法のおかげで自分だけの力だと届かないような経験もできた。出来なかったことが増えた。何より感情で動く私と違ってタカラは慎重で、計算をしながら動いてくれる。2人一緒だから、出来ることが増えたんだよ。足手纏いなんて言わないで。もうちょっと自分を信じて。それに、新人な私たちは伸び代しか無いんだよ?初めてで心折れちゃダメだよ!」
ごもっとも。なんとも正論を叩き込まれ、余計不甲斐なさを痛感する。経験あるとはいえ、同じランクからスタートしたアンジェに励まされるなんてメンタルが弱い証拠なのだろうか。初めて仲間というものと冒険に出たこの出来事を、決して悪いものにしてはいけない。じんわりと心に沁みていく優しい励ましに頬が緩み、頬にある手を両手で包んだ。ふわふわしていて温かい。アンジェそのものを体現していた。
「そうだよね。ありがとう。弱気になってごめんね。これからも頑張るね!」
「うん!頑張ろう!」
アンジェと手を合わせて、宙に大きく何度も振るう。くすりと控えめな笑い声が聞こえ、振り向くと、受付中の扉から探していた人物が現れた。
「お疲れ様、タカラ、アンジェ。依頼は達成したようだね。」
「ウノーさん!」
ひらりと手を振るウノーさんが、書類を手にしてそこに立っていた。




