47.戻ってきた平和な日常
私とエルリカはベルネルゼ商会の様子を見るため、急いで町を駆けていた。
「急ごう、リマ」
「うん!」
石畳を蹴って走り続ける。やがてベルネルゼ商会の建物が見えてくると、その前には大勢の人だかりができていた。
「凄い人……」
人混みの隙間から中を覗いた私は、思わず目を見開いた。
「あっ……」
建物の中から、次々と人が連れ出されていく。役人に縄を掛けられた幹部らしき男たち。帳簿や木箱を運び出す兵士たち。入口には封鎖の札まで貼られている。
「どうやら、ハイビスク商会はちゃんと動いてくれたみたいだね」
エルリカが満足そうに呟く。ということは、もうベルネルゼ商会の不正の証拠が明るみに出て、悪い人たちを捕まえてくれた? そう思った私は胸をなで下ろした。
「よかった……」
すると、野次馬たちの話し声が耳に入ってきた。
「聞いたか? ベルネルゼ商会、とんでもないことをしていたらしいぞ」
「粗悪品を高品質だと偽って売っていたんだってさ」
「それだけじゃない。職人たちには信じられないような契約を結ばせて、辞められないよう縛っていたらしい」
「まるで奴隷扱いだったって話だ」
「給金もまともに払われていなかったそうだぞ」
「そんな商会が、この町で一番だったなんてな……」
あちこちから驚きと怒りの声が上がる。長年隠されてきた悪事が、一気に町中へ広まっているようだった。
「しかも、ベルネルゼ商会は営業を続けられないらしい」
「ああ。ハイビスク商会が事業を引き継ぐそうだ」
「職人たちも受け入れるって話だぞ」
「これで安心して働けるようになるといいな」
どうやら、不正が明るみに出たことでベルネルゼ商会は事実上の廃業となり、その事業はハイビスク商会へ引き継がれることになったらしい。
職人さんたちも、これで酷い扱いを受けずに済む。私は自然と笑みを浮かべていた。
「エルリカ」
「ん?」
「これでミレナお姉さんに悪さをする人がいなくなったね」
ベルネルゼ商会がなくなれば、ミレナお姉さんが酷い扱いを受けずに済む。ようやく安心して営業が続けられるはずだ。
そう思うと、自分のことのように嬉しかった。エルリカは優しく微笑みながら、私に頭をこすり付けた。
「うん。これでミレナも、他の職人たちも平和な日常を送れるよ」
そして、いつもの柔らかな笑顔を浮かべる。
「良かったね、リマ」
「……うん!」
私は大きく頷いた。ベルネルゼ商会の前には、まだ大勢の人が集まっている。でも、その光景はもう怖くなかった。
むしろ、新しい一歩が始まる瞬間のように見えた。
◇
「リマ、起きて。朝だよ」
その声にふと意識が浮上した。目を擦って体を起こすと、大きく背伸びをする。
「エルリカ、おはよう」
「うん、おはよう。さぁ、今日も一日が始まるよ!」
そう言って、はやし立てるようにベッドの上から飛び降りた。私は準備していた服に着替え、階段を下りて一階へと行く。
キッチンに行くと、慣れた手つきで朝食を準備してテーブルに並べた。
「いただきます」
「召し上がれ」
いつものように挨拶をして、朝食を食べる。自分で作った料理は美味しいし、エルリカとお喋りしながらの食事の時間がとても楽しい。
これが今の私の日常。スラムで生きていた頃とは大違いだ。
スラムには温かいスープはなかった。その温かいスープを一口飲む。じんわりと広がる温もりが身体の芯まで染み渡っていき、それだけで自然と頬が緩んだ。
こんな朝を迎えられる日が来るなんて、少し前の私には想像もできなかった。スラムで暮らしていた頃は、朝が来ることは嬉しいことではなく、生き延びるための一日がまた始まるという合図でしかなかった。
今日食べる物はあるだろうか。物乞いをしても追い払われないだろうか。お腹を空かせたまま夜を迎えることにならないだろうか。
そんなことばかりを考えながら町を歩き回り、誰かの顔色を窺い、頭を下げ、冷たい言葉を浴びせられても笑顔を作り続ける毎日は、心も身体も少しずつ、少しずつすり減っていくような日々だった。
生きてはいた。だけど、それは生きることを楽しんでいたわけじゃない。ただ今日を乗り越え、明日まで命を繋ぐことだけを考えて必死にもがいていただけだった。
でも、今は違う。朝になれば目を覚まし、着替えて、朝ご飯を作り、エルリカと他愛もない話をしながら食卓を囲み、それから仕事へ向かう。
そんな誰にとっても当たり前の毎日が、私には胸がいっぱいになるくらい幸せだった。普通に眠れて、普通にご飯を食べられて、帰る家があって、笑い合える人がいて、明日のことを楽しみに思える。
たったそれだけのことなのに、世界はこんなにも明るく見えるんだ。
何気ない日常というものは、こんなにも優しくて、こんなにも温かくて、生きていることそのものを輝かせてくれるものだったんだと、私は毎日のように実感していた。
だからこそ、この日常を壊そうとするベルネルゼ商会を止めることができて、本当に良かったと思う。
ミレナお姉さんも、職人さんたちも、きっとこれからは安心して笑って暮らしていける。そして私も、この穏やかな毎日を守ることができた。
それが何より嬉しかった。
「……よかった」
思わず零れた小さな呟きに、エルリカが不思議そうにこちらを見上げる。
「どうしたの?」
「ううん」
私は笑顔で首を横に振った。
「ただ、この日常を守れて良かったなって思っただけ」
するとエルリカも、私につられるようにふわりと微笑んだ。
「これからも守っていこうね」
「うん!」
私は力強く頷き、もう一度温かいスープを口に運んだ。また、平和な日常が始まった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
こちらは某所にてコンテスト参加作品になりまして、キリがいいところで完結とさせていただきます。
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では、また読みに来てくださる日を楽しみに待ってます。




