第六話
道連の本格的な武装蜂起は時間の問題になりつつあった。武器を集めて独立するつもりなのだ。でもね。トンネルを破壊しても妖魔の脅威が去るわけじゃないの。本土が崩れたら次は道連なのに。ぼく達が全滅したら、彼らも全滅してしまうのに。アキラがどれだけそれを訴えても、道連の人達は納得してくれはしなかった。
トンネルはこちら側とあちら側。二つの区間で管理されている。道連は何とか向こう側の区間を管理したいと考えている。そのための工作員を、ぼくは消さなければならなかった。それを理解していて受け入れた責任者も。
「子供がいるんだ。妻に請われて拒否できなかったんだ」
きっと言葉をかわせばそう言ったはず――でも言葉を喋らせる時間も余裕も与えなかった。残ったのは言葉を失った形だけ。
「フラリエッタ」
「んー? なによ。ファイ」
「お願いだから、もし何かあっても、武装蜂起だけはしないで。あくまでも平和的に言葉で解決するようにして」
デッドラインは超えないで。
「それはもちろんよ。ファイは優しいよね。だから私はファイが大好きよ」
「クリームパイを作る仲でもない癖に」
「何がクリームパイよ‼ なんなの⁉ なんで私を呼んでくれなかったのよ‼ 私だって‼ 私だってね‼ クリームパイを一緒に作りたかったわよ‼ 一緒に味わいたかったわよ‼」
「おこちゃまはカスタードパイパイレモンシフォンでも食ってなさい」
「ムジカ‼ 貴女はそうやってすぐ私を馬鹿にして‼ カスタードレモンシフォンパイよ‼ 何がカスタードパイパイよ‼ ほんと下らない‼ エロおじさん‼」
「ムジカ……今のはさすがにちょっと私でもドン引きだわ」
「別に良いでしょ。カスタードパイパイレモンシフォン」
「ほんと下らない‼」
「別にエロい意味で言ってないわよー。フラリエッタとナカジマのエッチ―」
そう願っていた。
現実は残酷だ。フラリエッタがそう望まなくとも。自らの意見が通らないと、自らの意見を押し通すために、人は語気を強め暴力を振るう。でもそれはぼくも同じだ。
フラリエッタの亡骸を眺めていた――。
自分が正しいのだと理性を振りかざすのに、そこには感情が混ざっている。自分が正しいのかもぼくには判断ができない。
ぼくには言葉でフラリエッタを説得する方法がなかった。どのような弱い妖魔であろうと殺す東部防衛機構を止めるために内部で武装蜂起した共存派を止める術を、ぼくは知らなかった。それが致命傷となる前に、代表者であるフラリエッタを含めた共存派を葬るしかなかった。
「後は私が請け負います。いてっ……いてて。蹴躓いてしまいました」
イワモト一尉――彼女は変身したミシマだ。彼女の姿がフラリエッタへと変わってゆく。ブレードから滴る赤い液体が地面に垂れる音だけが、妙に耳に響いていた。
「私のARMSがドッペルゲンガーで良かった」
「危なかった。友好もいいけれど、ちゃんと対話で進めて。トンネルの向こう側に妖魔を密輸するのもやめて」
「今度からは気を付けるわ。ファイ。はぁ……私死んだことになっちゃった。てへへ」
「もー。ほんと危なかったんだからね」
「ごめんごめん」
舌をペロリと出してお道化るフラリエッタ。そんな会話と映像を脳内で垂れ流す。そうであれば良かったのに。足に触れる赤い液体は、想像の中の明るい未来を否定していた。
「仕方ありませんよ。向こう側に妖魔を密輸しようとしたのですから。もし道連の手に渡っていたら、それを口実にトンネルに攻め込み、もっと被害は甚大でしたよ。ここで止められて良かったのですよ。あれっ。キーが。あれ。何処やったかな」
もう……。フラリエッタの死を悼みたいのに。その資格はなく。ミシマがドジばかり披露するから空気すら苦くて。パラベラム弾を何発も撃ち込まれた体は痛みで軋み。どんな表情をすればいいのか。困惑ばかりで。それは許されないもので。無表情で。悼めばいいのか。痛めばいいのか。傷めばいいのか。
「あいたっ」
バタンッと音がして盛大にミシマが倒れる。
「いたーい……」
もー。ミシマさー。
手に持ったシラユリの花――安らかになど、ぼくには告げられそうもなかった。
「ファイ……そんな顔しないで。優しいファイ。チュッ。貴女にあげる。私のファーストキス」
彼女の最後の言葉だけが……。
アキラが道連を抑えている隙にB区画の壁建設が行われ、それを妨害するために聖皇派が動き。紛れて共存派と道連は結託し、道連は妖魔がトンネルを越えたとそれを口実にトンネルを占拠、爆破する計画を立てていた。
フラリエッタは優しかったよ。優しすぎたのだ。妖魔の中には危険ではない種もいて、道連がそれを理解すれば、道連を通して東部防衛機構へも圧力をかけられると考えていたのだ。
妖魔の中にはさ。小さい女の子の姿をした者だっているんだよ。フラリエッタはその子をとても可愛がっていた……。
だからこそぼくは――それを消さなければならなかった。言い訳はしないよ。ぼくが殺したんだ。
お墓の前――墓標だけが大地に増えていく。
道連にはおそらく本体がいる。代表者として選出されているのは失っても構わない尻尾切り要因の者達なのだろう。本体か原因を取り除かない限りこの問題は解決しない。
『スクランブル‼ スクランブル‼ 第21スラッグ中隊‼ B15から22区間にて異変発生‼ ただちに出動せよ』
耳に痛い放送に目を覚ます。覆いかぶさっていた幼馴染の温もりがそっとぼくから離れていった。目を細めてしまう。抜け出し難い。嫌。本能が拒否をする。ぼくからその温もりを奪わないで。早く戻ってと。
腰を浮かせる幼馴染の行動に衝動的に腰を浮かせてしまう。嫌だ。そこに収まっていたいのだ。
浮かせた腰が艶めかしい動作で押し戻される。まるで安心させるかのように撫でられる頬。
端末を眺めて早朝二時。
体表を流れてゆく唇。圧力を伴いなぞられてゆく舌先。飲むような息の音。砂のように零れ落ちて。何度も何度も。味あわれている。
「……私の大切なミナハーカー」
耳元でささやかれる声。朝のハグ。悶えるぐらいにぼくはこれを好ましく感じている。
「うふふっ」
鳥の羽ばたく音。窓。暗闇。古民家。遠征。
何時までもこうしていたいけれど準備を済ませて出勤。整列。
「眠い……」
「ムジカ。寝癖直しな」
「ナカジマ。直して」
「仕方ないわね。おはようファイ」
「いよっ。お疲れさん」
「ヘイデン……」
「ほらっ。しっかり目を覚まさねーと生きて帰れねーぜ。お前ちょっと臭うぜ」
「昨日……湯あみできなかったんだ」
「確かに。ファイ。貴方ちょっと臭うわよ」
「うー。仕方ないでしょ。お風呂が壊れてたんだから」
宿代わりに利用した古民家のお風呂は壊れていた。それは事実だ。
渡されたアサルトライフル。刷り込まれた本能のように。身に刻み込まれた動作のように。アサルトライフルの各部位を視認。動作を確認してゆく。
「皆整列‼ 中隊より指示‼ 現在時刻〇二四五。〇三〇〇(まるさんまるまる)より作戦行動を開始する‼ 我々が受け持つのはB15から17区間だ‼ 現れた妖魔は速やかに撃滅せよ‼ B15から22区間はこの場で最後のシールドオブウォールとなる‼ 絶対死守だ‼ 我々が生存するための絶対条件である‼ わかったな‼ ヘイデン‼ 現れる妖魔の一覧だ。皆に確認させろっ」
「はいはい」
「はいは一回だ」
「はいよ」
「ったく」
「イワモト隊長」
「なんだ?」
「弾は?」
「昨日と今朝で打ち止めだ。現地で調達後速やかに製造班へ送れ。あたっ」
「まーた蹴躓いてるよ」
「意識高いだけでドジなんだから」
「きっ聞こえているぞ貴様ら‼」
「へーい」
「エナメル弾が無いとアサルトライフルなんて意味ねーよなまったく」
ヘイデンに肩を叩かれて頬を膨らませるしかない。ヘイデンはトンネルの向こうからやってきた新たな人材だ。道連のスパイでもある。道連のスパイだ。
エナメル弾は新型の銃弾。
「ぼやいても弾はない‼ エナメルブレードを使え‼」
エナメルブレードも新型のブレードだ。エナメル質の構造を意識してパープルクォーツを加工したもの。弾丸は弾頭の尖端のみ、ブレードも刃の部分のみに採用されている。必要最小限で最大効果を。
「はいはい」
「はいは一回だ」
「はいよ」
「まったく貴様らは私を舐めているのか⁉」
「うおーおっかねぇや。なー?」
「ほーう? 貴様には鉄拳が必要なようだな‼」
「暴力反対だぜ‼」
「いったっ‼ 貴様何て硬い頭なんだ‼ くぅううう」
「……いや、一尉が弱すぎるんだよ」
「あんた達。怪我には気を付けなさいよ。一応裏で待機しているから。特にファイ。貴方こないだの怪我もひどかったわよ」
「……気を付ける」
「帰ったら絶対に私の所へ寄りなさい。これは命令よ。わかったわね。貴方の幼馴染は心配しないで。私がお世話をしておくわ」
意外でも何でも無く幼馴染とナカジマは知り合いだった。長らく防衛機構の医療施設にお世話になっていた幼馴染を、医療部門統括のナカジマが存じていないわけもなかった。ムジカと三人仲が良いらしい。
「サー」
『セクションB。セクションB。スラッグ小隊の皆さま。オペレーターのミズキです。ハローハロー。現在セクションB15区間にて妖魔と交戦中の部隊あり。スラッグ小隊は速やかにセクションB15へ向かって下さい。皆様の頑張りが我々の新たな未来を作ります。頑張りましょう』
「あぁみずきちゅあん」
「ぶふっ。ちょっとヘイデン。さすがに気持ち悪いよー」
「ムジカ。いちいち反応するな。そいつは最初からキモイ」
「だって隊長。みずきちゅあんだって。ぶふっ」
「俺の女神なんだ。みずきちゅあんは」
「そのミズキちゃんとクラモチ中隊長がこないだ一つのテントへ入っていったって話を聞いたけど?」
「ああああああああああ。聞きたくない‼ あぁああああああああ‼」
「貴様ら‼ 無駄口を叩くな‼ 乗り込め‼ 出発だ‼」
「あれ? 隊長。こっちはB15区間ではないですよ?」
「B15区間に全員が向かうなんて馬鹿げている。今期のフレンドリーファイア率は37%だぞ。味方に撃たれてたまるか。私達はセクションB17へ向かう。B15に向かっている妖魔はモニタより影の大きさと数を参照し猩々だと察せられる。奴らの脅威はDマイナスだ。しかしB17区間に向かう影が一つある。マザーAI脅威探査情報照合よりこっちは脅威度Bマイナスだ。こいつはおそらく狒々だ。女達は攫われないように注意しろ‼」
「血の気の多い隊長が血を啜られて頭からバリバリ食べられないといいけれど」
「いい女から狙われるって話だからな。当然私が一番だろう」
ぼくの頭をタシタシされても困る。
「あら? この場で一番いい女はボインの私だと思うけど?」
ボインって……。
「胸と尻で私に勝てるとでも?」
「こっちは先輩だぞ」
「私は隊長だ‼」
「盛ってる上に階級はあたしが上でしょ」
ムジカってば……。確かにミシマは変身で胸も尻も盛っているけれど。
ムジカの担当は人材育成統括だから書類仕事が多いって話。書類仕事に嫌気がさしてマザーに申請、こうして隊に紛れ込んでくる。無駄に階級が高いから扱いに困って配属されるのがここだ。ミシマはマザー直轄の残飯処理係なので拒否できないしね。つまりぼくらは残飯ってこと。
「ぐっ。だがこの隊の隊長は私だ‼」
「……どうせ二人共。ぼくを囮にして逃げる気でしょ」
「ぶふっ。やだもうっ」
「そんな事するか‼ ムジカ‼ 貴様唾を飛ばすな‼ 顔にかかったぞ‼」
「ぺっぺっぺっ」
「コイツ‼ 腹立つ‼」
「うっふ~ん」
「はいはい。そこまで。フーッ。スクランブルスクランブル‼ 到着まで残り20‼ 19‼ 18‼ 17‼ ちっ。崩落してやがる‼」
「ヘイデン。茶化すな‼ ここからは徒歩だ‼ 全員降りろ‼」
『オペレーターよりスラッグ小隊へ‼ 注敵‼ 日照り来る‼ 日照り来る‼ 繰り返す‼ 友軍は雨をお望みだ‼ 真っ赤な雨をな‼』
「スラッグ小隊よりオペレーター……。おそいのよ。……我接敵す。繰り返す。我接敵す」
『聞こえているわよ。幸運を』
「アサルトライフル標準‼」
「電力の無駄だわ」
「言うな‼」
狒々は大きなお猿さんだ。外国ではオーガとも呼ばれている。毛むくじゃらで大きな体格だ。下顎にだけ牙が生えている。燃えるような目の形。
熱い――日照りが歩いている。
「ひっひっひっひっひっひっひ」
顔を隠すほどにめくれ上がった上唇。狒々は。女性を。攫って。血を啜り。頭から。食べるのが。何よりも。好ましいと特性を持つ妖魔だ。
意識するよりも早く体が動いていた――手に持ったスライサー。パープルブレードの火花がフィラメントのように瞬いている。足の筋肉が発する悲鳴を聞き逸らすように傾ける。筋肉の張りや捻じれの限界を感じ、限界が来る前に逸らすように傾ける。
ぼくの何倍もある体格と体重から繰り出される暴力。振り下ろされて。振るわれて。ブレードの反りを利用して力を逸らす。まともに受けたらぼくは壊れてしまうから。
針金のような毛並み。触れただけで肌が裂け痛みを帯び。露出した手の平に捕らえられた時、ぼくはトマトジュースになるのだ。
硬いな。毛が装甲のように硬い。どのような繊維ならあれほどの硬度を持つのか科学者達にも解き明かせていないらしい。
サブマシンガンのマズルフラッシュ――。
パラベラム弾の弾かれた弾道が火花のように散ってゆく。
流れてゆく弾は掴めそうなのに――。
「馬鹿が‼ アサルトと言っただろうが‼」
「弾がないんすよ‼ 弾が‼」
「パラベラム弾なんか意味ないっしょ‼ ブレード‼」
「こんな薄っぺらなブレードなんがすぐぶっ壊れちまうよ‼ 何がエナメルだ馬鹿‼」
「ムジカ‼ ヘイデン‼ 無駄口を叩くな‼ ムジカ‼ 貴様、無駄にでかい胸をひけらかすな‼ 狙って欲しいのか‼ 下がれ‼」
「それ僻み?」
「先輩だからって調子に乗るなよ‼」
「私が何のARMSかお忘れかしらん? ヘイデン‼ そのまま撃ち続けて拘束して‼」
「あいよ‼」
風が通り過ぎる。狒々の体が裂けて皮膚の下が露出してゆく。風の刃。カマイタチ。複数の軌跡はぼくにも読み取れない。ズルりと狒々の腕が左右に別れてズレてゆく――畳みかける。もう片腕。爪の流れ。飛び上がり。岩を掴み振られる腕から発せられる暴風に。体が回転する。
「……いつ見ても。ファイ。お前はすげぇや」
「ぼくよりムジカの方が凄いよ」
逆の手が根元からズレてゆく。
「まぁね」
ムジカとの連携は手慣れたものだ。足を。モモを。斬り刻んでゆく。
「ったく。狒々一体にこの様なんだから」
ブレードはいいけれど体力的にはね――首がズルりと。転がっていった。横たえる狒々。死骸を見下ろして。ブレードでほじくり瘴石を取り出し転がす。妖魔の黒い体が崩れてゆく。残った黒い塊は瘴気を纏っていた。拾いあげた瘴石。ずしりと重く内部が僅かに発光している。
「ファイ。素手で触るものじゃない。苦労に見合わないものだ。まったくもって難だよ」
妖魔を倒すのに妖魔を倒さなければ、その素材が手に入らないだなんて、どうかしている。
「こちら第21スラッグ小隊より。オペ―レーターへ。こちら第21スラッグ小隊よりオペ―レーターへ。どうぞ」
『こちらオペレーターミズキです。第21スラッグ小隊。オーバー』
「B17区間にて狒々と交戦。これを撃破。瘴石を回収した。次の指示を仰ぎたい。どうぞ」
『第21スラッグ小隊。私は貴方達を賞賛致します。現在B15区間にて小隊が猩々と交戦中。これを援護して下さい。オーバー』
「スラッグ小隊よりオペレーターへ。それは承服できかねない。現在セクションB15区間は過密状態だ。これ以上は同士撃ちを招きかねない。B16区間より応援要請が来ている。B16区間への応援に向かいたい。どうぞ」
『第21スラッグ小隊。その要請には承服しかねます。B15区間における猩々を殲滅せよ。これはクラモチ三佐中隊長における優先命令です。一尉。貴女はこれに従わなければならない。オーバー』
「……了承した。アウト」
隊長は深く息を吸い吐いた。
「聞いたな? B15の応援に向かう。射線にはくれぐれも入るなよ」
「現在我が隊は瘴石が不足しており機構からも回収するよう命令が下されておりますし仕方ないっすよ。クラモチ三佐はそれを優先するつもりなんでしょ」
「わかっている。ヘイデン」
プツリと――インカムより秘匿回線の開く音がした。
『マザーよりデッドラインへ――。ユリ率いる中隊の異常行動を検知しました。B15内に侵入後、インカムを破損させ速やかに離脱し、B13区間へ赴いて下さい』
B13区間は壁の中心部――聖皇派の動きは予測していた。壁が出来上がる前に来るだろうと。フラリエッタがそうだったように。
ユリは中心部から壁を破壊するつもりなのだ。現在14区間までの壁は完成している。13区間を抜けて妖魔が背後より強襲すれば各隊はダメージを負うだろう。
建設された壁はアラルドミラ繊維体で形成されている。アラルドミラ繊維体は瘴石や砂利、金属の粉等を混ぜて作られた特殊な構造の繊維体で、この繊維体で構成された壁は瘴気を吸収し自己再生すると言うメリットを持っている。一度築けば破損しても再生し壁として維持し存続し続けると言うメリットがある。
これのせいで瘴石が大量に必要なのは言うまでもなく、機密なので知らされてもいない。
デメリットはある。B1から22区間。合わせてこれから建造予定のC1から15区間の壁の外側一列に妖魔が溜まりやすくなってしまうのだ。そこまではまだ想定内だけれど、弱い妖魔を狩り強い妖魔が生まれ、壁を越え内側へと入って来る可能性がある。いや、入って来るのを想定されている。
そのためにさらに内側にE1から35区間の建造予定がある。アラルドミラ繊維体は瘴石の比率で再生能力の強さが変化するけれど、再生するには瘴気が必要で、瘴気に近いB区間とC区間の壁は保持されやすいけれど、E区間の壁は瘴気が薄く再生能力が低下し保持力も低くなると想定されている。
妖魔は瘴気が無ければ弱体化する。この二つの壁の間での妖魔の討伐は必須となるし、壁の外側も定期的に掃除しなければいけなくなる。それに瘴気はぼくらにも必要だ。瘴石を得るためにも妖魔を完全にシャットアウトはできない。
何が言いたいかと言うと。先に形成された壁の傍には妖魔が溜まっている可能性が高い。ここを抜けて内側に入られたら最終防衛ラインD区間まで瘴気が一気に押し寄せる可能性が十二分にある。
アラルドミラ繊維体の形成には瘴石が必須で壁を形成するのにも妖魔を狩らなければならない。そこで妖魔を現地で調達しているのが現状で。E区間をなぜ先に作らないのかと問われれば、材料がないからだと言わざるを得ない。
最終防衛ラインD区間はまだアラルドミラ繊維体すら使われていない鉄筋コンクリートだ。
B区間とC区間の壁の建設は現時点で失敗が許されない。抜けられたら恒久的に妖魔の被害を防げない。ユリはそれを狙っている。壁の建設が無意味となり。しかしそれは人類の生存権が狭められるのを意味し、もはや聖皇様所ではなくなってしまうのは容易に想像できる。それを理解していても、聖皇様ならばこの極致をひっくり返せるだろうとユリは信じているのだ。通信だけの情報で何も確信は無いと言うのに。
先人は皆死んだんだ。みんな死んだんだよ。残っているのは新たな世代だけだ。継承された技術よりも失われた技術の方が遥かに多い。少なくとも東側は多いよ。
サトウキビは失われたけれど甜菜がある。米の生産量は落ちたけれど小麦がある。麦芽糖だってある。だけれども安全圏で生産できるのはどちらもトンネルの向こう側だ。だからこそ道連はトンネルに拘っているし、だからこそぼくらは本土に拘っている。
島国の切れ目より枯れる事もなく瘴気が溢れ出している。風に乗り海へ。海から陸へ。それはトンネルの向こう側であっても変わらない。ぼくらはもう……妖魔と殺し合う以外の選択肢がない。そして妖魔は家畜にはできない。この先もずっと。ぼくらは妖魔と殺し合わなければならない。
今対処できなければぼく達には後が無い。ぼくは上層部ではないのでどのような通信が行われているのかも状況は理解できていないけれど……。
世界各地で開いた傷口から染み出た痛みは世界各国から世代を奪った。技術を奪った。また元に戻るのに何年かかるか。もう元には戻らないかもしれない。もう存在しない国もあるのではないかと脳裏を過る。
西側は本土から退き島の内陸部へ移ったのではないかとマザーは推測している。向こうの妖魔の強さは東側の比ではないと。……リリィメイも西側には存在していない。
ユリは聖皇様の力によって妖魔が調伏され西側は平和なのだと信じている。そうであればぼくだってそう信じたい。
アラルドミラ繊維体をブチ破るのに必要なのはアラルドミラ繊維体であり、でもそれだけではダメで、音速で射出するとなると戦車のような兵器が必要となる。ユリはそれを何処からか調達したのだろう。
マザーの息がかからない兵器はマザーの製造がした物ではない事を意味している。マザーが横流ししたとは考えにくい。
掘り出しものなのだろう。単純な構造程壊れにくいものはない。
マザーからのインカムを表情に表せない。ミシマにこの作戦は無理だ。危機とは言え人殺しは指揮に関わる。
呼吸を整える。どうしてこうなっちゃったのだろう――最初からわかっていた事ではないのか。ぼくらが生きるのにはどうしても壁が必要だ。道連に集中し納得させるのには、どうしても壁が必要なのだ。綱引きだって限界だもの。山に登りたい人間と海に行きたい人間の双方の願いは叶えられない。
妖魔と向き合わなければならないのに。なぜ人間は人間同士でまた戦い合うのか。なぜ一丸となれないのか。
――後悔した事も罪悪感もないよ。
やらなきゃ。
それをするのがぼくじゃなくてもいい。
でも汚れるのはぼくだけでいいよ。みんなに綺麗でいて欲しいだなんて。ぼくに残された最後の綺麗ごとなのかもしれない。それでいいじゃないか。
そう考える反面。
違うでしょ。好きなのでしょう。自分が他者より優れていると証明するのが。生者こそ勝者である事が。命を奪うほどに己が獣である事実を理解し歓喜する事が。自分は優れており、子孫を残すに値する等と――幼馴染との甘美な時を手に入れるためならなんだってするなどと。牙を剥きだす自分も存在するのだ。
他者を消すのに何の躊躇いもない――。
ごめんね。フラリエッタ――。ごめんなさい。
「どうした? ファイ」
「いえ隊長。何でも。B15区間。これより突入します。いてっ。なんで叩いたの?」
「あんまり辛気臭い顔しないでよねー。ナカジマったらあんたの心配ばっかりしているんだから。もちろんあたしもね」
休みの日。ムジカはスカジャンとジーンズを着ている。ポニーテールが良く似合う。パーカーも良く似合う。
こないだパラベラム弾をしこたま喰らった。何発かが体内に入り込み、摘出してくれたのはナカジマだった。申し訳ない限りだ。それを放ったのがフラリエッタだなんて……。ぼくには言えなかった。彼女を殺したのが、ぼくであるとも。
「ありがとう」
言ったらきっと、怒るかな。二人は優しいから多分。泣いてしまうのだろうな。
幼馴染は。こんなぼくを。許してくれるのだろうか。




