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第五話

 桃の香りがした。妹がいた。二人で。暮らしていた。台所で料理を作るぼくに、妹が張り付いていた。瞼を細めて嗜むような、そんな香りがした。


 父と母がいた。燃え盛る痛み。母に燃え移り。母は――痛いだろうに。微笑んでいた。


 そんな事より貴方が大事なのよ――。


 目が覚めても体の動きは鈍かった。時計を眺め六時間が経過していると理解する。体がだるい……。二人はおらず、傍のテーブルには飲み物と携帯固形食が乗せられていた。寒い……血が足りていない。飲み物と食べ物を摂取し自分の部屋へと帰る。


 部屋の扉を開くと。コーヒーの香りと人の気配――。雰囲気と記憶から幼馴染だと理解する。奥へと――。

「あら? おかえりなさい」

 おかえりなさいと言われたのは何時ぶりだろうか。

「……ただいま」

 日差し。コップから立ち昇る湯気。椅子に座り。ヘッドホン。幼馴染。隣へ座り。体を寄せて寄りかかる。

「何処か怪我でもしたの?」

 撃たれたとはさすがに言えなかった。体が少しだるい。熱っぽい。何時もは一晩で大体の傷が治るのに、今日は体の内側が焼けるかのように痛かった。

「ごめん。寄りかかっていてもいい?」

 幼馴染が立ち上がるのを感じてショックを受ける。受け入れられると思っていたのかもしれない。そんなわけないのにね。

「勘違いしないで」

 ぎこちない足取り。彷徨わせるような手つき。冷蔵庫を開く音――リンゴジュース。コップに注いで。差し出される。受け取ると隣に座り。

「いいわよ? どうぞ?」


 促されるように寄りかかる。今更ながら恥ずかしい。幼馴染を半身のように感じていると気付く。それが正しのか正しくないのかは口にしないでおいた。


 コップのリンゴジュースを少し飲み込む。ぼくが買った物じゃない。果物百%のジュースは高いけれど、リンゴだけは例外だった。リンゴだけはまだ沢山取れる。蜜柑やモモはやや贅沢品だ。バナナなんて高級品だよ。

「ほらっ」

 飲み終えると両手を差し出され――甘えるように胸の内。子供のように抱っこされて。ロフトに連れてゆかれる。

「……危ないよ?」

「じっとしてなさい」

 幼馴染の身長は180㎝を越えていた。義足込だけれど。布団へとそっと寝かされて。じっと幼馴染を見上げていた。掛布団と幼馴染の腕を握っていた。何処にも行かないで。傍にいて。それを言えなくて。腕を掴んでしまう。

「貴方。お風呂入っていないのでしょう?」

「……入ってない」

「寝る前に体拭くからちょっと待っていなさい」

 離したくないけれど。腕を離すと。

「いい子ね」

 頬に。寄せられた。息。瞳孔が開くのを感じた。唇。寄せられて。身じろぎ。囚われるかのように。魅せられるかのように。陶酔するかのように。呻(うめ)いてしまい。

「ふふっ。可愛い奴」

 恥ずかしい。


 お湯と布を持ってきた幼馴染。

「……くさい?」

「汗臭いわね」

「ごめん……」

「いいわよ」

 服を脱いで。ぼんやりと。義手。伸びてきて。体を拭われる。顔から。熱い。タオル。気持ちいい。耳の裏。耳の中まで。柔らかく拭われる。幼馴染は拭いて欲しい所がわかるのか、望んだ所を優先的に拭ってくれた。腕とか。胸。お腹。脇。

「……気持ちい」

 痛み。左肩。まだ完全には治っていないけれど。ガーゼの下はもう塞がっていると感じた。アキラのあの一撃で致命傷を負わなかったのは幸運だ。


 幼馴染の手が止まった。奥歯を噛むような動作。

「どうかした?」

「いいえ? 別に」

 また拭ってくれる。甘えるように身を寄せてしまう。その顎の下。首筋へと。体を寄せてしまう。唇を寄せてもいいだろうかと。拒否されるかなんて考えもしない。そっと寄せると。幼馴染の手が止まってしまった。

「今のはあんたが悪いわよ」

「……ごめん」

 寝かされる。服の擦れる音。握られ押しつぶされる手の平。開くと――。唇に。寄せられていた。離れて。肢体が。顔と視線を逸らしてしまう。それは女性の。その人にとって特別な男性以外には普段見ていけないものだ。

「今のはあんたが悪いわよ? あんたが悪い」

「……あの。ごめん」

「もう遅いわ。もう遅い。もう無理。あんたが悪い」


 頬に手が添えられて。顔を視線を向けさせられる。

「リリィメイはさ。あんたの事なんか愛していなかったわよ」

 そう告げられて驚く――。なぜ。今。そのような言葉を口にするのか。

「あんたを通して。あんたの母親を愛していただけ」

 そうなのかもしれない。リリィメイが亡くなった時。苦しかったけれど、幼馴染が亡くなったのなら、立ち上がれないくらい悲しいのだろうなと、そう考えてしまった。

「あの女は最初から自分が死ぬのを知っていたのよ。あんたを置いてね」

 リリィメイが誰を一番に愛していたのかを知っている。

「あんたは私が死んでも他の女を愛するだろうけれど」

 それを否定できなかった。擦り合う肌。呻いてしまう。撫でられている。手や足では感じとれない感覚を。頬と頬。首と唇。肌と肌で。堪能するかのように。はっとしてしまう。それを拒否する気力も元気もない。幼馴染のなすがまま。

「あのっ。あのっ」

 そこは。

「あんたが悪いのよ。あんな事をされて。我慢も限界だわ。なに? その甘えるような仕草。一線を越えて来たのはあんたよ」

「あっ。あっ」

 彼女の胸の内へ。沈み込んでゆく――。息をのむような。胸の上で合わせようとする手と指を取られて。押し付けられて。強く握られて。押し込められて。深く深くまで。抵抗と。抗って。力づくで。押さ付けられて。ダメと拒否する手の力を。力づくで。押さえ付けられて。

「あんたに拒否する権利はないわ」

 それは。でも。顔を逸らして。身動きできなくて。入口に触れさせられて。唾液が垂れるような。力づくで。その感覚に抗うために目を閉じて奥歯を噛むしかない。

「だっダメ」

「嫌よ」


 コーヒーの湯気。黒と白が混ざりあってゆく。注ぐミルクがグルグルと。黒に混ざり合ってゆく。熱と温度を下げて。苦味とコクを深めて。グルグルグルグル何度でも。傍には彼女の微笑みがあって。その微笑みは。ブラックでは味わえない痛みとえぐみを帯びていた。その痛みを彼女は拒否しなかった。


 痛いよ。痛い――あの痛みを二度と味わいたくはないと考えるのに、その傷を幼馴染で埋めようとする。

「ダメ……」

「嫌よ」

「でも」

「もう遅い。あんたが悪い」


 抗う気力も抵抗する意思もない。受け入れたいのだろうな。

「ごめんね……」

「あんたは私に任せておけばいいのよ。もっとめちゃくちゃにしてあげる。もっともっとぐちゃぐちゃにしてあげる。私の事しか考えられなくなるくらい」

「……いいの? でも……」

「私はね。最初からあんたが好きだったわよ。こうなりたいと考えるほどにね。この怒りがわかる? この憎しみが理解できる? とっても愛情に似ているのよ」


 乱暴でぎこちない。体の痛みより欠けた心を埋められた気がした。


 彼女の顎へと唇を寄せる――リップを響かせる。


 愛情というより彼女の表情は、怒っているかのように見えた。加減のない力でめちゃくちゃにされた。


 覚醒と微睡み。瞼を開いて。彼女の体温に安堵して背中へと手を回す。甘えるように身を寄せて。スリスリと。包まれている。何度かの覚醒で。すっかりと。重たい体は軽くなっていた。彼女の存在に。ひどく。安堵して。スリスリと。頬を寄せてしまう。


 家族ではない他人なのに。家族のように。全てを受け入れてくれる他人がいて。


 幼馴染がいなかったら、壊れていたのはぼくなのかもしれない等と。言い訳もいっぱい考えて。


 この世界の中で、幼馴染の存在だけがずっと変わらなかった。最初から今までも。リリィメイがいても。いなくても。一番の友人で。一番の他人で。一番の身近で。一番の変わらない人で。一番の他人で一番の傍にいる人だった。


 幸せになって欲しいと願っている。


 頬を撫でられて。唇を頬へと寄せられて。

「私が死んだら。あんたは他の女を愛するだろうけれど」

 幼馴染が亡くなってしまったら、亡くなってしまった幼馴染の痛みを抱えきれず。他の女性に好意を向けられれば。絶対に拒絶できるとは言い切れなかった。受け入れてしまうかもしれない。受け入れると感じてしまう。

「私は。あんたが死んでも。あんただけを思い続けるわ」

 そう告げられて。ずるい――彼女の手を握り返していた。驚いた彼女の表情と。口元がニヤニヤニヤと笑みを浮かべている。煽られている。蕩けてしまいそう。触れそうな口元。綿毛のようなまつ毛の弾力。交えて。瞳の憂いが、ぼくの瞳へと流れてくる。


 じゃあ全部受け止めて。全部全部受け止めて。ひどい事してやる。


 力を込めて。体を反転させる。口元を緩ませる幼馴染がいて。伸びて来た義手に頬を撫でられていた。

 まるでナメクジのようだった。二匹のナメクジが。絡みあっていた。ドロドロになってもなお。


 どれだけ高尚な人間なのだと歌っても、彼女の前ではただただ臭いだけの獣だ。


 微熱で蕩けて流れ出たビスマスの液体が熱く熱く垂れてゆくように。拗ねた表情で。絡められた足は強く。次は決して零れ落ち逃げられないようになんて。結晶になっても構わないと。


 目を覚ましては彼女を探し視線と指をさ迷わせて。目を覚ましては彼女がぼくを探して手をさ迷わせる。彷徨う平が体を撫でて。またミルクと砂糖を混ざ合わせるかのように。垂らしては注ぎ傾かれた微笑みを眺め。掴まれ安堵の揺らぎを眺める。


 湯船で頬を寄せて。台所で料理を作っているのに。後ろにくっつかれて。もっとくっついていて欲しくて。身を預けると寄せられる唇。夜眠る時は。彼女は胸の上。吐息がくすぐったく。鼓動を撫でられる。


 ニオイも味も。全部。覚えてしまって。

「全部受け止めて……?」

「全部受け止めてほしいの?」

「受け止めてほしい……」

「……可愛い」


 声にもならない声も飲み込まれて。体も心も包まれて。どうしようもなく溺れてしまって。跳ねて。余韻で。身じろぎすると。垂れて。離れるのはダメだって。押し込められて。またのけ反って。彼女が嬉しそうに微笑む。

「付き合って……?」

「付き合ってほしいの?」

「付き合ってほしい……」

「……可愛い。……じゃあ、付き合おっか」

「うん。結婚して欲しい」

「結婚して欲しいの?」

「結婚して欲しい」

「どうしようかな……」

「ダメ。逃がさない」

「結婚したいの?」

「結婚して」

「どうしようかな?」

「ダメだから。結婚だから。逃がさないから……結婚だから」

「……可愛い」

 人類未曽有の危機に。なにをやっているのだか。きっと笑われてしまう。でも彼女の前では、どうしようもなく、まるで子供のようにだだを捏ねてしまって。

「ダメだから。結婚するの」

「きゃー。襲われる。あー。いいって言ってないのに」

 彼女が胸の中心を指している。

「結婚して……? 結婚して」

「……可愛い。ほらっ。もっと奥まで。ね? 入って。きなよ」

「答えになってないよ」

 彼女の指が虚空と鼓動で遊んでいた。

「もっと奥まで。ね? 入って……。そしたらもっと奥まで入らせて?」

「責任とって」

「ふふふっ」

「責任とって‼ 襲ったでしょ⁉」

「どうしようかしら?」

「うぅ……」

「もう終わり?」

「終わりじゃない」

 言葉の代わりに強く強く肌を重ねても、彼女は拒否だけはしなかった。


 もうあの苦しみを味わうのは嫌だよ。

「は? 比べるなんて許さないわ。恋愛で終わりだなんて許さない。結婚で終わりだなんて許さないわ」

「あぅ……」


 彼女との日々――戦況がジリ貧なのは変化がなかった。外の国では海を渡るために怪物の討伐任務等も行われたらしいけれど成果はあがらなかったって。


 彼らは彼らが来た世界の物質で無ければダメージを与えられない――。人類のあらゆる兵器が現存のままでは意味をなさなかったのは言うまでもなく。


 島国は東と西に分断されたまま。

『我々は一つです。手を取り合い。決して諦めてはいけません。私は諦めません』

 聖皇はそう告げるけれど――。


 陸路は分断されたまま。海は渡れない。どうやって助けに来ると言うのか。みんなわかっている。みんな理解していて、誰もがその事実を飲み込み口を紡いでいる。それでも頑張っている聖皇が、それでも必死になって訴えている聖皇が、それが微笑ましかったのかもしれない。


 東部防衛機構も一枚岩ではなくなってきた。東部独立派。中立派。聖皇派。道連派。みんな不安を何かで払拭したくて支えが必要で。そこに自分の向かいたい方向性を噛み合わせ交わらせてゆく。


 東部独立派は東部と北部を分けて東部のみで独立しようとする派閥。


 中立派は独立派でも聖皇派でも道連派でもどれでも良い派閥。


 聖皇派は聖皇を信じ聖皇に殉じようとする派閥。


 道連派は北部の。海底トンネルの向こう側で独立し東部と分けて新たな国家を築こうとする派閥だ。


 独立派と道連派は意見が一致している。


 東部防衛機構にとり東部独立も北部独立も考えられない。どちらを失っても機構を維持できなくなる。東部が押さえているから北部に妖魔が侵入していないその事実を北部は良く理解しておらず、北部があるから食料に困窮していないその事実を独立派は深く考えていない。


 前回派遣された連邦にシールドオブウォール計画が立案され壁が建設される予定がある。そこにも賛成と反発の二つの意見が沸き起こっていた。壁が建設されてしまったら聖皇がこちらへ来られないのではないかとの懸念の声も存在する。


 壁の影響により電波が途絶えるのは聖皇派にとり看過できない問題だからだ。


 聖皇派と道連派は反発しており本土でも綱引きが行われていた。


 道連派はトンネルの向こう側が主体の人達で、本土への食糧の輸送などに不満を抱いている。なぜ自分達が苦労して作り上げた食物を勝手持って行くのか――。なぜエネルギーを奪っていくのか。制限を設けるのはなぜなのか。なぜ私達が私達の作った食物を安く買い摂取できないのか。なぜ電力をフルで扱えないのか。報酬に見合う働きをしているのか。搾取しているのではないか。


 妖魔が押し寄せて来ると言うのであれば、トンネルを破壊して本土との往来を無くせばこれら問題は全て解決できるのではないか。


 道連派は勝手に連合を作ってそれらの主張を機構へと叩き付けた。トンネルの老朽化もある。厄介なのは武器が横流しされているその事実。


 東部防衛機構内にも裏切や自己の利益のためなら何でもする人間がいる。民間の組織に武器等を横流したり、それら武器を道連派等が買って武装蜂起したりする。

「また道連の過激派一派が粛清されたんだってさ」

「向こうのトンネルを防衛している施設内にも裏切者がいたのでしょう?」

「俺、そいつの知り合いなんだよね。そいつの奥さんが道連に所属してて、苦渋の決断だったって話」

「そうなの? 道連も懲りないよね。こないだも有力だった人が消されたのでしょう?」

「トンネル防衛施設を乗っ取ろうとして本土からの独立を計ったんだから仕方ないよ」

「向こう側の防衛施設が、妖魔じゃなくて人間から防衛するための施設だって言うんだから世も末だよね」

「仕方ないでしょ。トンネルが破壊されたら本土はそれこそジリ貧よ」

「それより見た? イワモト一尉。カッコよかったよね‼」

「かっこよかった‼ たった一人で連峰を護ったのでしょ? 英雄だわ。アキラにイワモト。東部防衛機構はこれからどうなっていくのかしら」


 妖魔共存派も存在し、妖魔と共存できると信じている。


 ぼくだって共存できるなら共存したいと考えるよ。でもそれは……。


 豆腐を差し出してくる一つ目の無害な小僧を消したいとは思わない――それでも消さなければ、より多くの被害が及んでしまうし、瘴気が濃くなればより強い妖魔が北上しそれを危惧した道連がトンネルを破壊しかねない。


 独立は何よりも危惧すべき案件で。


 道連からの食糧物資が無くなれば、目の前にあるカレーすらままならなくなってしまう。本土でも農業施設は幾つかあるけれど、より安全に食料が作れるのはやはりトンネルの向こう側だったからだ。


 どの派閥も主張自体は構わない。でものろのろとしていられるほどの余裕が、ぼくらには無かった。そうであるならば、ぼくの存在なんていらないからだ。

「今日はカレーか」

「みんな大好き黄金カレーね」

「二人共。休憩?」

「やっとね」

 食堂。視線の先には何時もの二人がいた。ムジカとナカジマ。

「新人育成も医療班も大変そうだね」

「もー大変よ。どいつもこいつもちっとも言う事聞かないんだから。私がARMSに覚醒した時なんて、力を怖いと感じたものだわ。でも新しい世代にはそんなのちっともないからね」

「医療班だって大変よ。壁を建設するのに反対するのは構わないわ。でも武力行使はダメでしょう。なんでアンタラの尻拭いを医療班が行わなければならないのか意味不明よ」

「わぁ……。モーヴィも大変そうだ」

「そりゃ大変でしょ。あいつが壁建設の責任者なんだから」

「あんたも気を付けなさいよ。すぐ怪我するんだから」

「ふぁい」

「なにその生返事っ。このっ」

「いたいたいたい」

「それより聞いた? アキラが東部防衛機構の最高責任者になるって話」

「まぁ……前線の英雄だからね」

「あんなに仲の良かったユリちゃんとは決別しちゃったみたいよ」

 ユリは聖皇派だ。


 こないだの任務でアキラとユリは負傷し決別したらしい。


 その事実は伏せられているけれど、アキラが負傷した事実にユリは動揺を隠せていなかったって幼馴染が言っていた。アキラから聞いたのかもしれないし、他にも情報源があるのかもしれない。アキラ自体は負傷を全然気にしていなかったって幼馴染は言っていた。ユリを人質に取られていなかったら負傷すらしていなかっただろうから、それはそうなのかもしれない。


 肩の痛み――コイルガンを思い出す。


 アキラのコイルガンは特殊な構造で、アキラのARMSのその特質上、初速は戦車砲にすら達すると報告がある。ぼくがファイじゃなかったら亡くなっていた。弾が小さくて良かった。一回だけ撃てる必殺技。一回撃ったら銃が溶けて壊れてしまうようだ。肩が無くなるわけだよ。


 アキラには申し訳ないけれど幼馴染はもう渡せない。もう勧められない。ぼくからは勧められない旨をちゃんと伝えた。アキラは苦笑いしていたけれど、諦めないって。本当に好きなのだと感じた。アキラはいい人だし、面白いし、体型も顔も良い。身長も高い。幼馴染がアキラと親しくする夢を見て、目を覚ますと心の底から気持ちが悪くなってしまう。動けなくなってしまう。凹んでしまう。落ち込んでしまう。幼馴染の胸の内で抱っこされて、よしよしされて、簡単に治ってしまう自分にも辟易とする。くっついて。ぎゅっとして。ため息が漏れて。苦しくなる。幼馴染がぼくではなく、アキラを選んだとしても、それを仕方ないと感じてしまう。そう考える癖に――。


 仕事でちょっと部屋を離れて、帰って来て、玄関に誰かの靴があると心臓が凍りつく。談笑が聞こえて動けなくなる。妄想と幻聴。やっぱりそうなんだ。今にも喘ぎが聞こえてくると――幼馴染がやってきて頬を撫でられる。

「あら。おかえりなさい」

 撫でられて泣きそうになる。捨てないで。傍にいて。嫌だ。ぼくと結婚して。ぼくだけを――ぼくを選んでと張り裂けそうになって嫌になる。

「……アキラさん。ごめんなさい。そろそろ用事の時間なの」

「あっ。わかった。ファイ。おかえり。任務お疲れ様」

「……お疲れ」

「じゃあ、また。めっちゃ楽しかったよ。今度は……ふふっ。また今度」

「はい。また」

 良い笑顔で手を振る幼馴染の姿にへちゃくちゃ凹んでしまう。ぼくにはそんな笑顔向けてくれた時あるのかなとか、考えてしまう。ドアが閉まり、幼馴染がカギをひねると――。少し拗ねるように接してしまう。手を掴んで。抑えて。奥歯を噛んで。


 「あらあら……。そんな所に顔を埋めても許されるのは、あなたぐらいよ? どう? 違う匂いや味はした?」


 そのままソファーに押し倒して。抱きしめて。動けなくて。やだって。拒否しないでって。心を露出させて。無理やりにでも。力づくでも。何度も何度も失敗しながら。ぼくを受け入れてと。

「ほらっ。ゆっくり。ここよ。ここ……ふふっ。必死になって。可愛い……」

 やっと……。受け入れられて。受け止められて。安堵して。拒否されなかったと。そうしてしばらくそのままで。頭を撫でられている。

「ごめんなさい」

「……貴方って意外と嫉妬深いのね」

「ごめんなさい」

 彼女の指が髪や頬を遊び。ぼくは腕に力を込めてより奥へとより密着を促そうとしてしまう。これ以上くっつけないのに。


 リリィメイを失った痛みに喘いでいると気付く。あの痛みを二度と味わいたくはないと。それは彼女に重ねていいものじゃない。

「そうね。それは良くないわね。でもそれは貴方にとって私が特別って事への証明なのかもしれないわね。いっぱい悩んで、いっぱい苦しみなさい。いっぱい嫉妬して、いっぱい執着しなさい。私だって随分と苦かったものだわ。やっと私の腕の中。どれだけ苦しかった事か。どれだけ締め付けられた事か。でもいいのよ。でも我慢してあげる。リリィメイの事も。そして……あの二人の事も」

 あの二人って誰の事だろう。

「あの二人って?」

「気にしなくていいわ。必要なのよ。どうしても……私は医者ではないし、どうしても協力者は必要だもの。情報源もね」


 それでも心の何処かでは、彼女が幸せであるのなら、離れても構わないと考えていた。本能のぼくと理性のぼくがいる。

「あのねぇ? 私の幸せを願うのなら貴方が幸せにして。貴方以外に私を幸せにできる人はいないのだから」

「うぅ」

 彼女が傍にいてくれる事に、こうして受け入れてくれる事に、心から感謝していた。その事実は変わらない。何時もくっついている。

「大体ね。私はアキラさんの事、声しか理解していないのよ? 声と話題だけで人を特別好きになるとでも?」

「それは……」

 無いとは言い切れないでしょ。

「確かに面白い人を好きになるのは理解できるわ。無いとは言い切れないわよね。でも私には無いわ。私は一番私を理解しているもの。それにアキラさんて面倒そうだしね」

「わぁ……」


 あまりにも離れがたくて、仕事をまた何日もズル休みしてしまった。

「今日は用事があるのだけれど?」

「ダメ……。一緒にいて」

「動けないんですけど」

「やだ。ダメ」

 インターホンが鳴っても無視する。彼女の用事の邪魔をする。それで彼女が用事を退けて優先してくれると嬉しくて堪らなくなる。何回も繰り返してしまう。子供が母親に甘えるように。自分が特別で優先されていると確認し確信するかのように。好意の対象であり優先順位上位を占めていたい。他の人には敬称で。ぼくだけ呼び捨てがいい。男女の友情はダメ。嫉妬するから。知り合い以上友達以下。それ以上はダメ。

「トイレ」

「どうぞ」

「は? あんたも来るのよ」

「わぁ」

 求められて嬉しくなる。頼られるのが好き。我儘を言って欲しい。ぼくだけに。腕に顔を密着させて。付け根に顔を擦りつけて。ぼくがどんな表情かわかるように。どんな表情か理解できるように。全部全部理解して貰えるように。全部全部を肌に押し付けて。輪郭を。


 台所で料理を作っていると後ろから包み込んでくれる。こうされるのが好き。座っていると傍に来て寄りかかってくる。頭を膝に乗せて来る。耳掃除してあげる。


 一緒にお風呂に入る。

「ん?」

 体を差し出されるから泡塗れにする。洗っていると、彼女は何時も体に唇を寄せてくる。


 湯船の中。ただ寄り添っている。


 逆に寄りかかる。膝に頭を乗せる。髪を弄られて。眠っている時。唇を寄せられるのが好き。唇を寄せた後に、彼女は少しだけ笑う。それから何度も唇を寄せて。ぼくも何度も唇を寄せる。朝目が覚めて。

「ん」

「ん?」

「ハグしなさい。これから毎日朝目覚めたらハグするのよ」

 早起きして。一時間ぐらい。ずっとハグと口付けをしている。執着している。執着を繰り返し安堵してまた仕事をするようになり。


 幼馴染は何でもかんでも受け止めてくれた。メンヘラとか。面倒臭いとか。だるいとか。彼女は一切言葉にしなかった。感謝ばかりが募ってゆく。離れがたく。信頼ばかりが強くなってゆく。


 ふとした時。彼女の事ばかり考えている。帰ったらハグしたい。口付けしたい。膝の上にゴロンってしたい。ハグしたい。くっついていたい。

「問題はアイツでしょ。フラリエッタ。あいつ妖魔共存派なのよ」

「……ファイ?」

「あっ。ん? うん。妖魔共存派なの? フラリエッタって」

「何やってんだか」

「妖魔は悪ではないわ。貴女達はもっと本質を見るべきよ」

 フラリエッタだ。久しぶり。ナカジマは何時も隣に座る。ムジカは斜め前。フラリエッタは正面の席へと座った。フラリエッタのお化粧はかなり濃ゆい。唇は真っ赤で顔が真っ白だ。

「それで。フラリエッタの話なんだけど。あいつマジやばいよね」

「ほんと何やってるんだか」

「ちょっと‼ 本人‼ ここ‼ 本人‼」

「友愛とか言って。ただの乱〇パーティだったって話でしょ」

「そんな事してません‼ してません‼ 変な噂に惑わされないで‼」

「あのフラリエッタがねぇ。複数囲ってるって話じゃん」

「……慕われているだけよ。貴女達と違ってね。モテる女なのよ。私は。恋人のいない処女共の嫉妬は見苦しいわよ」

「それで、フラリエッタの話なんだけど」

「ねぇえええええええええええ‼ 本人‼ ここ‼ 本人‼」

 あむあむあむ。あっあぁ……零しちゃった。こういう話しになったら知らぬ存ぜぬを通すのが一番だ。もったいないな。あー……。服にかかっちゃった。わぁ。

「ファイったら。もう。ほらっ。もうっ。零してる。貴方は何時まで経っても子供みたいなのだから」

「あっ。あぁ。……ありがとう。ナカジマ」

 口や服を拭ってくれたナカジマに感謝する。ナカジマにも感謝しかない。

「あのっ。そこは拭かなくていいよ……」

「何恥ずかしがったいるのよ」

「……そういえば。ファイ。貴女はどうなのかしら?」

 フラリエッタにそう問われる。

「どうって?」

「貴女は聖皇派なの? それとも独立派? 共存派?」

「平和ならどれでもいいよーあむあむあむ」

 アキラは東部防衛機構という組織で本土もトンネルの向こう側も統一管理しようとしている。それが一番いいとマザーは判断している。

「別に。どれか一つじゃなくてもいんじゃないの? 妖魔共存派だっていていいし、何時かは共存できるかもしれないし。壁は必要だろうけれど」

「あらっ。さすがファイね。貴女は見どころがあるわ」

「ファイ。フラリエッタを甘やかしてはダメよ。すぐ調子乗るんだから」

「そうだぞー。ファイ。それにフラリエッタ。あなたはクリームパイの食べ過ぎよー」

「ちょっと‼ 子供扱いしないでよね‼ ムジカ‼ 何がクリームパイよ‼」

「……そう言う所がまだまだ子供だわ」

「どうせアキラにフラれたからって男子を囲って自分を慰めているんでしょ」

「……それはさすがにライン越えでしょ⁉」

「怒るって事は図星なのね」

「そんな事ありません‼ ファイ。貴女はこの二人のようになっちゃダメよ⁉」

「あら。私達三人はクリームパイを作って味わう仲なのよ?」

 クリームパイなんて作ったことないけどね。

「はぁ⁉ 挑発しているつもり⁉ 何がクリームパイよ‼ ふふーん。私は昨日カスタードレモンシフォンパイを食べたんだからね‼ トンネルの向こうで作られた一級品よ‼」

「あらあら……意外と初心だったのね」

「その厚化粧じゃあねー」

「お化粧は関係ないでしょうが‼」

「あむあむあむあっ……」

「ファイったらまた零して」

「あぁ。わぁあ。むぐむぐむぐ……ありがとう。ナカジマ」

「いいわよ。尻拭いは私がしてあげる。だから貴方は死なずに必ず帰ってきなさいね」


 ぼくが行っている事は、みんなが話す内容に比べてだいぶひどいよ――。縮こまるしかない。彼女の事も。そして任務の事も。

「ファイ……」

 名前を呼ばれた気がしたのでスプーンを口に運びながらチラリと視線を向ける。視線の先の空間にはモーヴィが哀愁を帯びて佇んでいた。

「げっ。モーヴィだわ。こっち来る……来ないわね」

「なんかファイを眺めながら拳握って涙零しているんだけどマジきちくね」

「ねぇ? 私よりモーヴィなの? ねぇ? 私よりモーヴィなの⁉ モーヴィぃいいいい……」

 モーヴィの隣。副官のソニアさんが勝ち誇った表情を浮かべながらお腹を撫でていた。

「ソニア……あいつ。なんかますますファイに似てるくね?」

「なんていうかもうファイの姉って面しているわね」

「最低だよ‼」

「臍下丹田(せいかたんでん)を撫でているわね」

「臍下丹田?」

「ここよ。ここ。大事な所」

 変な言い方しないでよね。下腹ね。下腹。

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