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第一話

 世界は混乱したらしい。らしいと言うのは、ぼくにはそれを知る術が無かったから。九歳のぼくには世界を知る術も、それに抗う術もなかった。


 だからリリィメイの提案に頷くしかなかった。

 島国は分断され自治機構を失った。大きな団体が二つ。小さな団体が幾つも現れて自治を開始した。リリィメイは東部防衛機構を設立し東部を管理しようとした。

「防衛大学のようなものだよ」

 リリィメイはぼくにそう語った。

「君を育ててあげる。君の妹が苦労しないようにお金を工面してあげる。君の幼馴染の生命管理を維持してあげる。その代わり、君は私に尽くすんだ」

 リリィメイはぼくにそう告げた。

「それが君に出来る最善だと、私は思うよ? どうかな?」

 ぼくには何も出来なかった。抗う術も、そして突き進む道も見えていなかった。だからその提案を飲むしかなかったのだ。


 ぼくは名前を失った。


 「これから先、人類には血みどろの道しかない。だから君達が抗えるように、私が力をあげるよ」

 リリィメイはそう語り、ぼくは彼女のファイになった。


 It's fire。彼女の最高傑作と――。


 人間が化け物に対抗するには、同じ化け物になるしかないって。彼女が言うんだ。だからぼくは、それに従うしかなかった。


 目が覚めて、体が上手に動かないのに気が付いた。外見が変わったわけではないの。ただ、体が、上手に動かなかった。

「人間の神経構造では奴らに敵わない。猫と蛇のようなものさ。蛇の反応速度は44~77ミリと言われている。猫の反応速度は20~70ミリ。妖魔の反応速度は30ミリ。君の反応速度は20ミリ。猫と一緒さ。反射神経だけならば10ミリをきる。理論上の話だけどね。お母さんと一緒で、嬉しいだろう?」


 彼女が何を言っているのか、最初は理解できなかったの。ただ、ぼくには360度の視界があった。どうしてかって。母の目をうなじに埋め込まれていたから。

「君は運がいいよ。母は子供を護るものだ。適応率が高かった。可笑しいぐらいだ……。これも愛の為せる業なのか? これならば、維持するための薬も必要ないだろう」

 リリィメイはそう語り、母がぼくを見つめるかのように。

 差し出された視線と指先は、ぼくに触れていた。

「君の血は炎のように燃えるんだね。不思議だなー」


 ぼくと同じように集められた子供達がいた。両親を亡くした子供達だ。ぼくらは東部防衛機構に所属し、将来を見据えて鍛えられた。

 なかなか体が上手に動かせなくて、何時もぼくはドベだった。体が、上手に動かないの。新しい神経が接続されるまでは苦しいって、リリィメイが言っていた。


 朝は四時に起きるの。布団を畳んで、整列して、一杯の水と薬を与えられ、そして十キロを走る。十キロを走り終えたら水と薬を与えられ、百メートルを六回に分けて全力疾走する。これが大変で。得意不得意はあって、個人差もあって、ぼくは遅くて、何時もドベで、お昼前によったらよったらやってきて、みんなが他のカリキュラムをする間に、百メートルを走って。終わったら動けなくて。胃の中の物を全て吐き出して、吐き出した物は白くて何時もドロドロとしていた。

「酸欠だね」

 そう告げて、リリィメイが酸素を吸入してくれるの。


 痛む体を抑えてやっとご飯で。そんな生活が何カ月も続くと、エリートと、落ちこぼれとに別れていった。

 みんなリリィメイのファイになりたがる。それを目指している。

 エリートたちが自信満々に過ごし、落ちこぼれは隅で静かに愚痴をこぼした。

「こんな運動になんの意味があるの?」

「もうやだ。やめたい」

「帰りたいよ」

 帰りたいと言った所で、帰る所なんてありはしないのに。


 ぼく達には女性のお世話係が複数いて、みんな彼女達をママと呼んでいた。落ちこぼれはみんなママに甘えるようになった。辛いと愚痴をこぼすと、ママはもうちょっと頑張ろうか、とか次はもっと上手にできるわよ、と励ましてくれる。


 それでもひどい生徒は懲罰を受けるし荷物をまとめて外に放り出される。退学だって。サボる生徒ややる気のない生徒。追放を好み去る生徒は複数いた。その子供達がどうなったのか、ぼくには知る術がない。


 世話役のママから引きはがされるのはそれだけで苦痛で、それだけのために頑張る生徒が大半だった。


 だってみんな、両親がいないのだもの。


 ぼくには選択肢がなかった。だからどれだけ落ちこぼれでも日々をこなすしかなかった。


 夜になるとリリィメイが部屋へと帰って来る。ぼくの体を揉み解し、お風呂とか一緒に入って体や頭を洗ってくれる。ぼくにとってもそれが心の支えになってしまって。支配されているのは理解できるの。それでも抗いがたくて。寝る前にはベッドの上で。

「ほらっ。おいでよ」

 傍に行くと手を差し出されて。疑問に思いながらも抱えられて。膝の上にお尻を置いて、股間とお腹を密着させて、肩に頭を乗せるの。赤ん坊が抱えられるみたいに。


 なぞる手の平が背中や頭を流れて。時折唇が触れる感触と音がして。喘ぐように体が痙攣するような。麻痺するかのような。内側から衝動が現れて。これに抗わないでと促されて。頭の中から蜂蜜が零れて落ちていくかのように。全身がトロトロドロドロと動けなくなってしまう。

「よしよし。いい子だね」

 そう告げられるたびに、もっと褒めてと体を密着させてしまう。もっと。もっとして。もっともっと褒めて。もっともっと。もっと撫でて。もっと。や。離れたくないって。


 背中に回した手をにぎにぎしてしまう。

「なんだかお猿さんみたいだね。君は」

「猫だもん……」

「大きな猫さんだ」


 猫が喉を鳴らすのが良くわかる。ぼくの喉もきっと鳴っているだろうから。そしてそのままおやすみなさいをするの。全身が。フニャフニャになって。横たえられて。

「やっ」

 離れるのは嫌だって。意思表示と手で服を握ってしまう。やだ。離れないで。やだ。リリィメイの視線が流れるだけで、鼻が鳴るほどにうっとりとしてしまう。そのまま覆われて。

 リリィメイを求めて体を何度も擦り合わせて。眠りに落ちる。心の中が、全部、覆われるみたいに。これだけでいいみたいに。苦痛と痛みを失ってしまう。


 次の日も次の日も。痛みが苦にならなくなってゆく。これがあるだけでいいって。夜。リリィメイが。部屋へと帰って来て。褒めて。撫でて。視線をくれて。朝ね。目が覚めると。微睡むリリィメイが。おでこや頬に唇を寄せてくれるの。それだけでいい。それだけで。一時間が一分であるかのような錯覚にさえ、囚われていた。


 時々妹と幼馴染に会いに行く。ぼくがリリィメイにして貰うように、ぼくが妹にそれをしてあげる。妹は何時も最初は元気なのにすぐにうとうとうとと眠ってしまう。


 里親。決まったって。その方が。妹は幸せだって。

 じっと眺めていた。妹への接し方。お別れの時。

「お兄ちゃんまたねっ」

 って。相手に良く懐いていた。これなら大丈夫かなって。見送った。


 幼馴染には義手義足が必要なのだけれど、最新鋭の義手義足は値段が高くて、リリィメイが料金を肩代わりしてくれた。でもその分、ぼくの借金が嵩んだ。

「いいかい? これから君は普段女の子として過ごすんだ。いいね?」

 なぜだかは理解できないけれど、ぼくはそれに頷くしかなかった。

「普段から完璧な女の子を演じなさい」

「どうして?」

「どうしても。わかった?」

「わかった」

「いい子ね。髪を伸ばそうか。身だしなみの整え方も覚えないといけないね。化粧の仕方を教えてあげる」

「うん」

「いい子ね」


 朝走るのに慣れてくると、朝食のち山登りのカリキュラムが組まれる。山頂まで登り降りて登り、降りてを繰り返す。

 班が決まって。ぼくの班にはアキラ、モーヴィ、ナカジマ、ムジカ、フラリエッタがいた。


 アキラとモーヴィ、ナカジマはエリート。ムジカ、フラリエッタ、そしてぼくが落ちこぼれだ。

「僕がこの班のリーダー‼ アキラだ‼ みんなよろしく‼」

「きししっ。モーヴィ様だ‼」

「ナカジマよ。みんなよろしくね」

「ふぁ~あ。ムジカ」

「……フラリエッタ」

「ファイ」

「女達はこっちに来い‼ このモーヴィ様が可愛がってやる‼」

「きもっ。なにコイツ」

 ムジカの感想が無慈悲だった。

「お前‼ ファイとか言ったな‼ へへへっ。お前気に入ったぞ‼ 俺の女にしてやろう‼」

「無理だよ」

「なんだと⁉ 気持ち悪い奴だな‼ 仕方ない。ナカジマ‼ 俺の女にしてやろう‼」

「死ねばいいのに」

「なんだと⁉」

 モーヴィは少し嫌な奴だけれど、アキラとナカジマは落ちこぼれを差別したり馬鹿にしたりしない。

 ムジカはのんびり屋。フラリエッタはジメジメしている。

「……私だけ口説かれてない。モーヴィなんて死ねばいいのに」

 フラリエッタ。可愛いのに……。

「みんな‼ 頑張ろうね‼」

 アキラは底抜けに明るそうだった。


 標高の高い山を一気に登ると、肺が絞らるかのような痛みに襲われ動けなくなる。肺の中の空気を絞り出されるかのように。胃の内容物まで絞り出しきるかのように。全てを吐露するまで動けない。顔中の血管が表面に張り付いてくるかと感じるほどに苦しくて痛い。

「フラリエッタ。大丈夫?」

「うえっうぇえええええっ。はぁはぁ。やめて。背中。さすらないで」

「全部吐いちゃった方が楽だよ」

「うぇええええええ。やめっやめて。キチク」

「マジきつい……」

「アキラ‼ 待って‼」

「うん? ……あぁ。ごめん。ペースが速すぎたかな? 落ち着くまで休憩しよう」

「ムジカ。お前。俺の女にしてやろう」

「きもっ‼ よるなデブ‼」

「なんだと⁉」

「モーヴィ」

「なんだナカジマ。ははーん。さてはお前、嫉妬しているんだな?」

「さすがの私も手が出そう」

 トイレも大変だ。

「あれ? 私だけ口説かれてない……」

 ナカジマ、ムジカ、フラリエッタは女の子だもの。

「ファイ。あなたもこっちへ来なさい。モーヴィ。この線から入って来たら殺す。アキラ。ちゃんと見張ってて」

「ぼくはいいよ」

「今出しとかないと後で後悔するわよ?」

「誰がお前らの臭いトイレなんか覗くか⁉」

「最低‼」

「死ね‼」

「クズ‼ ろくでなし‼ 死ね‼ クソ野郎‼ ナメクジ‼ どぶろく‼」

「フラリエッタあんた辛辣すぎ……」

「どぶろくは悪口じゃないでしょ」

「ゲロ女でごめん。ファイ……」

「大丈夫だよ」

「ファイマジ天使」

 モーヴィは否定していた癖に覗こうとしてアキラに抑え込まれていた。モーヴィは欲望に忠実だ。


 走るだけじゃなくてナイフや銃器、サヴァイバル訓練も受けるようになる。体重の四分の一の荷物を背負って20kmの行軍を行ったり、一週間ナイフ一本渡されて山の中で生活する訓練をしたりする。


 体がやっと上手に動かせるようになってきて、髪が肩まで伸びて来た。髪が邪魔だけれど、部屋に帰るとリリィメイが丁寧にケアしてくれるので、それが好きだった。

「ファイの黒髪ってすっごい綺麗よね。どうやって手入れしているの?」

「今度使っている洗髪剤教えるよ。コンディショナーとトリートメントも」

「助かる‼」

「ふふふ。俺様のために綺麗になっているのだな。ぐふふっ」

「……たまにあんたのその図太さだけはすごいと思ってしまうわ」

「惚れ直したのか。グフフ。ムジカ。もっと俺様を好きになっていいんだぞ?」

「マジきもい。生理的に無理」

「なんだと⁉ まぁ俺様が素敵過ぎるからな。恥ずかしがるのも仕方がない」

「また私だけ何も言われてない……。モーヴィなんかチ〇コ捥げて死ねばいいのに……」

「捥げて死ねは言い過ぎだよ」

「ファイマジ天使」

 わぁ。


 筋肉の重みを感じるようになる。慣性としてふとした瞬間に感じる。神経が過敏になりつつあるのを感じる。動く物体が視界に入るだけで瞼がピクピク動いて反応してしまう。視界の端で人が動作するだけでその動作に一挙手一投足の反応を示してしまう。これはもうどうにもならないらしい。面倒だね。


 幼馴染に最新の義手義足が渡されたけれど扱いに苦労しているようだった。たまにどうしているのか会いに行く。会いに行くと係の方にお風呂やトイレの介抱を手伝わされる。幼馴染は毎回その時だけは無言だった。将来のためだって言われると何も返せない。

「頑張れ頑張れって‼ 頑張ってるよ‼ あんたにはわかんないよ‼ どっか行ってよ‼」

「行かないよ‼」

「あんたなんか大っ嫌い‼ 嫌い嫌い嫌い‼ どっか行け‼ 消えろ‼」

 義手義足の訓練は相当なストレスだったと感じる。どんな言葉をかけても罵倒されたから。たまに辟易もする。


 リリィメイに抱っこされながら愚痴をこぼすと、リリィメイは笑っていた。

「それは甘えているだけよ。いっぱい罵倒されてやればいい。人間には拠り所が必要でしょう? そうでしょう?」

「……それは」

「……私がいなくなったら。貴方はどう思うの?」

「嫌だけど……」

「甘えるのにも色々な形があるのよ。命令するのも、人に頼むのも、自分ではできないから、やりたくないからと甘えているだけなの。本人は気付いていないだろうけれど。そして人は甘えたい生き物であり、甘えられたい生き物なのよ」

「そうなの?」

「私に甘えるのは嫌?」

「……嫌じゃないけど。リリィメイはずるい」

「おや、どうしてだい?」

「ぼくは、リリィがいないと嫌だ。傍にいて欲しい。抱っこして欲しい」

 リリィメイがいなかったらぼくは。

「よしよし。よしよーし。いい子だ。いっぱい甘えるといい。ほらっ。お胸でも吸いなよ」

「……そこまで子供じゃないよ」

 そう語りつつも、差し出されると口を付けずにはいられなかった。

「ふふふっ。よしよーし。いい子だね」


 病室で本を手に取る幼馴染を眺めていた。もう本を読む事はできない。だから誕生日にはぼくが朗読した本の音声データーをプレゼントした。微妙な顔をされてしまったけれど。

「今度からは本の中身は選ばせて」

 わぁ。


 幼馴染の介護をしているとアキラやモーヴィと鉢合わせ、幼馴染はアキラと楽しそうにお喋りをするようになった。相変わらずぼくには辛辣だけれど。罵倒する事でストレスの解消は出来ているらしい。そのストレスを理解する事はできないけれど、少しでも楽になればいいと、そう考える。

「こんなもの‼」

 上手に動かせない義手を手を振って振りほどき、床に叩きつける事もあった。これめちゃくちゃ高いのに。

「そんな事だと何時まで経ってもそのままだよ」

「うるさい‼ 馬鹿‼ 馬鹿‼ 死んじゃえ‼」

「ぼくがまたトイレに連れて行くけどいいの?」

「はぁ⁉」

「お尻をたまに拭くのもぼくだよね? 将来大人になってもぼくがお尻を拭くの?」

「このっ。変態‼ 変態‼ 変態‼ クソ野郎‼ お前が拭くんだよ‼」

「嫌なら早く慣れて」

「やってるよ‼ やってるの‼ 見えないの‼ 目玉がある癖に‼ お前がずっとお尻を拭くんだよ‼」

 泣きじゃくる幼馴染が、本当に苦しいのが見ていても理解できていた。上手に体が動かない苦痛をぼくは知っている。傍に。抱きしめると。噛まれるけれど。

「うぅうううう‼ あぁあああ‼」

 野生動物みたい。痛いけれど。いいよ。噛んで。


 これは高い品物だと教えてもいいけれど――。


 そんな事は頼んでいない。勝手にしている癖に恩着せがましい。そんなのは知らないと罵倒されるのが理解できたので告げなかった。お金を出している側面は一切伝えていない。何よりそれによって放っておいてと訓練しなくなるのが目に見えていた。振りほどくのは簡単だけれど、幼馴染はぼくにとっても家族のようなもので。最後まで付き合ってあげたかった。


 アキラとはちょくちょく話をしているみたいで、病室を通りかかった時、二人の楽しそうな談笑が。邪魔をするのも悪いと病室を後にした。

「どの物語も結局後悔するの。やっぱり幼馴染が正解なのよ」

「恋愛物語が好きなんだね。僕にも聞かせて貰っていい?」

「うん。結局はやっぱり幼馴染を選ばないと後悔するのよ‼」

 会話の内容がちょっと微笑ましかった。


 サヴァイバル訓練中にテントに潜り込んで来たモーヴィに寝込みを襲われた。体が素早く反応して気づいたらモーヴィの関節をキメていた。ぼくの体は最近、ぼくの意思とは異なって動く。そしてその動作は大抵、ぼくの意思を越えている。

「いててててて‼ 離せ‼ 馬鹿‼ 俺様にこんなことしてただで済むと思うなよ‼」

「なに⁉ どうしたの⁉ ファイ⁉ ……モーヴィ。あんたまさか」

「俺様が抱いてやろうって言うんだ‼ 光栄に思うべきだろ‼」

「コイツ最低すぎる。前は私のテントの周りをうろついてたし」

「ムジカ。あんたも? モーヴィあんた私のテントにも入ろうとしたわよね⁉」

「ふんっ‼ 俺様が初めての相手になってやるって言っているんだ‼ 夜這いは文化だ‼ 伝統だ‼」

「……私全然襲われてないんだけど? 私は? え? 私は?」

「モーヴィ。さすがにそれはダメだと思うよ?」

「アキラ‼ なぜみんなアキラを優遇するんだ‼ 俺様の方がずっとかっこいいのに‼」

「……脳みそが腐っている」

「嫌よね。男って。こういう事ばっかり考えているのだから」

「人間も動物なんだから仕方ないよ」

「うるさいうるさいうるさい‼ やらせろ‼ うおおおお‼」

「私はあああああああああ? モーヴィ⁉ 私はぁああああああああああ⁉」

 モーヴィの頬を平手で叩く。

「ちゃんとしなさい」

 そう告げるとモーヴィはぼくを眺めて大人しくなった。


 その後、モーヴィは懲罰房行。数日後に大人しくなって帰って来た。目がギラギラしているから諦めてはいないのだろうな。

 男の子はみんなお世話係のお姉さんに恋をする。

 女の子はみんなアキラに恋をする。


 ぼくも、リリィメイに執着している。リリィメイが他の男性と楽しそうにお喋りをしているとイライラして気分が沈んで、変な考えばかりが脳裏を過って、リリィメイが部屋に帰って来ても、構わないでって態度をとってしまう。リリィメイはそれを見透かすように、しつこいぐらいに構ってきて。違う。嫉妬しているだけ。ぼくが一番じゃなきゃ嫌。他の人と楽しそうにお喋りするのは嫌。ぼくを一番に考えて欲しい。そう言う感情に支配されて最後には吐露するように甘えてしまう。叩いたり拗ねたりしてしまう。それでもリリィメイは付き添ってくれる。ぼくが素直になるまで、気が晴れて諦めるまで何日でも接してくれる。

「ごめんなさい。他の人と仲良くするの。嫌。ごめんなさい。嫌いにならないで」

「感情とは厄介なものだ。振り回されているんだね。私もそうだった。将来を約束した相手に裏切られた時はね。その相手を呪い。呪詛を唱えたものだ」

「……そうなの?」

「そうだよ。嫉妬しているんだね。ふふふっ。ほらっおいで」

 そう語るリリィメイは、何時も優し気な眼差しをぼくに向け、そしてぼくのうなじを撫でていた。

「可愛い子。もっと執着しなよ」

「ずっと一緒にいて……」

「もっと好きになっていいのよ」

 好きとは言ってくれない癖に……。


 妹の家族からは月に一回手紙が届く。そんなに頻繁でなくてもいいのに。毎回豪華な装飾の手紙や写真が沢山届く。家族の写真一枚と軽い手紙で十分なのに。少し辟易とする。向こうとしては妹が家族として楽しく暮らしていますよ。十分に幸せに暮らしていますよと知らせてくれているつもりなのだと感じる。それを幸せの演出に感じてしまうあたりが、ぼくの限界なのかもしれない。


 妹が幸せなのは素直に嬉しいけれど、妹の家族にそれをダシにされているみたいで。妹の幸せを演出するのが主ではなくて普通に接して欲しくて。


 本当に、簡単な手紙と妹の写真一枚ぐらいでいいのに。


 毎月ぼくに支給されるお金より仕送りはされている。でもぼくが毎月いくら貰っていて、どうなっているのかはあまり感心がなかった。リリィメイがその全ての管理をしてくれていて。借金もあるから、残りは全部リリィメイに……そうも考えていた。


 幼馴染の義手義足。入院費用。継続費。妹への仕送り。相当な額のはずだ。リリィメイには頭が上がらないし、足も向けられない。感謝の気持ちしかない。


 リリィメイが視界に入ると嬉しくなる。触れるともっと嬉しくなる。話をするともっともっと嬉しくなる。視線がぼくを見つめるとトロンとする。

 他の男性と仲良くしているとイライラする。ムカムカする。リリィメイが笑顔で話しているとすごいイライラする。そんな笑顔を相手に向けないでよ。嫌。好きなの? 嫌。取らないでよ。取られたくない。すぐ拗ねて困る。すぐ素直じゃなくなる。

 訓練中も常にリリィメイが気になって仕方ない。そう告げると機械端末を渡された。

「まったく君は……何時でも連絡しなさいな」

「……いいの?」

「いいよ」

「……ごめんなさい」

「なぜ謝るの?」

「迷惑かけて。ごめんなさい」

「もっと迷惑かけていいよ。もっと私に我儘を言いなさいな。何でも許してあげる」

「何でも?」

「えぇ、何でも。ふふふっ。可愛い」

 こんな気持ちになりたいわけじゃないの。でも内側から溢れてきて制御できない。振り回されたくない。でもリリィメイが取られるのは嫌。一番嫌。構って欲しい。


 彼女の中で、特別であってほしい。彼女の中で一番に優先されたい。彼女の心の中で、一番に特別であってほしい。それ以外は嫌。それ以外は拗ねる。


 我儘を言いたいわけじゃないの。我儘を言っても、仕方ないなと受け入れて欲しい。受け入れられたい。それが、特別だって事だから。


 額に唇を受けて広げた手に包まれて、その内側へと収まって。やっと気持ちが落ち着いて安定する。

「ごめんなさい……」

 そして受けいれられると何時もしょんぼりしてしまう。

「仕方ない子ね。ふふふっ」

 リリィメイは好きとも愛しているとも特別だとも言ってはくれない。それが正解で答えなのだと感じている。それでもぼくは……。


 結局訓練中にメッセージを送らない。送って来て欲しいから。ため息ばかりが漏れて嫌になる。端末を眺めて。待っている。気にして欲しい。メッセージが来ても、簡単には返信しない。何回も送ってくれなきゃ返信しない。通話は……コールが来てもすぐに出ない。面倒くさくて嫌な性格だったわかっている。


 嫌だと言われてしまったら、ぼくはきっと彼女にごめんなさいと縋りつくのがわかっている。もうしないから許して欲しいって。縋りつくのを理解している。面倒臭い性格で、何時もごめんなさいって心の中で呟く。


 でもリリィメイはそんなぼくの心の内を何時も見透かしている。


 それからしばらく。妖魔――と言う存在に初めて触れた。


 古くは妖怪とか物の怪とか呼ばれていたらしい。訓練で妖魔と対自した。それは大きな黒いサルのような生き物だった。猩々(しょうじょう)と言うらしい。殺す訓練をした。みんな殺すのを躊躇った。こんなのは間違えている。みんなそれが理解できるの。でも……。

「それらは、君達の両親や家族を奪った生き物だ」

 そう告げられると、皆の目の色は変わってしまった。

 差し出される銃。振るえた手。憎しみと。哀れみと。痛みと。葛藤と。狭間に囚われて。


 ぼくは引き金を引いた。殺せと言われたから。リリィメイに失望されたくなかったから。殺せと命じられたから。これが訓練で仕事だったから。言われれば、どんな妖魔にも引き金を引いた。別に痛みはなかった。殺した感触だけは残って、それは達成感だった。始末できた。残ったのは安堵感だけだった。


 妖魔は普通の弾丸では死なない。パープルクォーツが必要だ。瘴石。レッドパープルクォーツ。パープルローズクォーツ。ピンクパープルレッド。色々な呼び方がある。


 何が大変かって。妖魔を倒すのに妖魔から算出するこれら鉱石が必要で、妖魔を倒すのに妖魔の素材が必要で。矛盾していて。これらの問題のせいで人類は妖魔に対して強いもどかしさを抱えてしまっていた。


 そして……ぼくの血も使われている。ぼくの血は、妖魔を殺すのに適していると聞いた。ぼくの血は瘴石を燃やして加工するための熱にもなる。


 滴るように流れて。オレンジ、紫、黄色、白。夕焼けの。あの空の鮮やかな紫色みたいに揺らめいて。液体であるのに液体ではないって。


 ぼく自体が、妖魔を殺すために存在するのかのようだと、リリィメイは語っていた。


 ぼくの血液で判明している事柄はある。


 水で消えない。妖魔では良く燃えるけれど、瘴気で燃えているわけではない。人体にほとんど影響が無い。けれど全く無いと言うわけでもない。舐めても平気。垂れた状態でも僅かに揺らめている。


 妖魔を退治する事で、少しでも、リリィメイにお金を返せているだろうか。リリィメイへの恩を返せているだろうか。


 リリィメイは何時も微笑んで頭を撫でてくれる。体を丁寧に洗い揉み解してくれる。思春期も。

「……ごめんなさい」

「いいよ。男の子だものね。私の匂い。好きなのね。いいよ。気持ちいいね。いっぱい気持ち良くなっていいのよ」

「やっ……」

「キスがいいの?」

「ずっとぼくを見てて」

「ふふふっ。いいわよ」

「ぎゅってして」

「いいわよ」

 把握されてしまって。離れられない。触れて。触って。舐めて。嗅いで。唇で。触れて。撫でられ。視線と。言葉を。這わせ。顎から。喉のラインを。下って。人差し指が。下って。肋骨から。お腹へ。下って。


 「これはなに?」

「あら? 誕生日プレゼントよ? M1895。好きでしょう? 男の子って。こういうの」

「銃……」

「ボルトアクションではないけれど上部から弾を込めるのよ? ライフル弾も撃てるから。あら? 気に入らなかった? 材質には拘ったのよ? 乱暴に扱っても壊れないようにね。ほらっこんな風に腕で回しても大丈夫。貴方の反射神経なら上手に扱えるはずだわ」

「ありがとう……」

「何? 他に欲しいものでもあった?」

「ううん……」

「遠慮せず言いなさい。同じ誕生日は二度と無いのよ。ほらっ」

「ただ……一日。一緒に居て欲しくて」

「あらぁ……なぁに? 一日中。ベッドで。キスでもしていてほしいの?」

 目を逸らして。コクリと。頷くしかない。

「ふふっ。可愛い。じゃあ、今日は、ずぅっと、一緒ね」

「……お仕事は?」

「こういう日のために、有給は使用するものよ」

 ベッドの中で。向かい合って。ずっと見つめられていた。触れる唇に鼻が鳴り、悲しいわけじゃないのに涙が溜まっていくの。触れる唇に何度も体を擦り合わせる。いつの間にか眠りに落ちて。目が覚めて彼女が目の前にいる事実に安堵する。伝わって来る寝息に身を寄せて。指に唇を添えたり、ハムハムしたりしてしまう。耳や髪や腕をハムハムしてしまう。時間が。溶ける。いつの間にか……。

「うふふっ。もうなに? くすぐったいわ。ふふふっ」

 微睡みながら笑う彼女と誕生日はずっとハムハムして過ごした。毎年要求したい。手の平。甲。唇。舌の表面。胸。耳。お腹。表面。押したり擦ったり。ニオイ。色。音。耳。耳の中。


 くすぐったそうに悶えて嫌がるほどに余計に求めてしまって。緩んだ頬。悪戯っぽく小悪魔のように傾けて。子猫のような仕草で誘われて。

「……スリスリ好きなの? じゃもっとスリスリしてあげるね」

 繰り返される頬擦りも。攻守を入れ替えるみたいに。耳を弄る指先も。何もかも。そして彼女の意識がぼくに向いているという事実が、強く、胸を締め付けた。


 まだまだ色々問題はあるけれど……リリィメイの肌の温度だけは真実だった。


 まだまだ色々問題はある。


 幼馴染も安定し始めていた。徐々に義手義足の扱いになれていった。罵倒する回数も減って行った。アキラとの談笑を楽しそうに伝えてくる。トイレとかお風呂はまだ甘えてくるけれど。自分で行えるような努力が窺えた。

「ねぇ?」

「なに?」

「今日は、泊っていけば?」

 幼馴染の寂しい気持ちがわかる。人肌に飢えているのがわかる。

「いいよ」

「そう」

 病室のベッドで。くっついて。一緒に眠った。なんだか懐かしい気持ちになった。もっと幼かった頃、何時も一緒にお昼寝していた。それが脳裏に浮かんでいた。両隣にお互いの母がいて、優し気な眼差しで、ぼくらを眺めていた。添えられた手がポンポンて。柔らかく。叩くの。

「グスッん。はぁ……ママ。パパ」

 幼馴染が鼻をすすり、ぼくには、その気持ちが痛いほど理解できていた。


 優し気な眼差しが。貴方が大切なのよって、貴方を愛しているのよって、柔らかい笑みで教えてくれたのを。良く覚えている。


 父さんのあの柔らかな眼差しを。お前が大切なんだって。あの眼差しを。良く覚えている。


 幼馴染と街へと気晴らしに行った。色々見て回った。

「あれ? ファイ?」

 途中でアキラにも会った。

「アキラ」

「……アキラさん?」

「こんにちは」

「こんにちは」

「アキラ? 誰?」

「あぁ、紹介するよ。こっちはファイ。同じ部隊なんだ。こちらはファイの幼馴染」

「そうなの? よろしくね。ファイ」

 手を差し出されたので握手する。幼馴染が凍りついていた。笑顔だけれど、気まずそうなのが窺える。怪訝そうにも窺える。アキラが好きならそれも仕方がない。

「ユリよ。アキラと同じ班長なの」

「そうなのですね」

「アキラ。あんたの班て美人揃いよね」

「はははっ。そうだね」

「えー? 誰が本命なのよ。気になるなー」

「そういうんじゃないよ。同じ部隊ってだけ」

「よろしくね」

「よろしく」

「よかったら、二人も一緒に散策しないか?」

「でも。それはアキラさんのデートのお邪魔では?」

「あははは……それは」

「そうね。デート中に他の人を誘うのはマナー違反よね。しかも女の子ばっかり。まぁアキラならそれも仕方ないけれど」

「デートってわけじゃ‼ あのっ。違うから」

「あれれ? そうなの? 私はそのつもりだったけれど」

「ユリ。頼むよー。そんな揶揄わないでくれよー」

「揶揄ってませーん」

「すみません。お邪魔してしまって。私達は用事がありますので、これで」

「あっ。ごめんなさいね。邪魔しちゃって」

「いいえ」

「ファイ。また」

「また」

 ユリと幼馴染も軽く会話をし別れた。


 幼馴染とアキラは仲がいい。幼馴染の恋が成就するといいけれど。アキラはモテるから。幼馴染にはハンデがあり過ぎる。車椅子に座る幼馴染の正面に移動し、屈み幼馴染を眺める。

「ん? どうかした?」

 クリーム色の髪にやや濃いめの肌色。日差しがキラキラ舞って。

「綺麗だなって思って」

「何言ってるんだか。……アキラさんて何時も女性に囲まれているわよね。きっと素敵な人なのね」

「アキラはいい奴だよ。物語に出て来る勇者ってこんな感じなのだと思う」


 希望的観測も何も言えない。アキラは悪い奴じゃないし普通にいい人だ。物語の勇者がいるならば、こういう人なのかなって何時も思う。ぼくには無理だ。このようには生きられない。心の中に蟠りが沸いて棘となってしまうから。心の中に天秤があって傾くのを理不尽と感じるから。

「いこっか」

「ええ。周りから見れば、私達もデートに見えるのかしら?」

「ふふふっ。どっちかって言うと兄妹じゃないかな」

「どちらかと言えば姉弟でしょ⁉」

「ぼくの方が年上に見えるよ」

「私の方が年上に見えるわよ‼ まったく……答えがチグハグなのよ。恋人に見えるのかしら? なら兄妹で合っているけれど、デートでは違うでしょ?」

「それもそうか。こういうのって何と呼ぶんだろうね」

「付き添い? 買い物? ショッピング? ……デートでいいわね。それと一ついい?」

「ん? なに?」

「物語の中の勇者と誰かの中にる勇者は別のものなのよ? それだけはしっかりと認知して頂戴」

「何の話?」

「勇者の話よ。……今は姉弟でいいわ。それと……アキラさんて、一人だったわけじゃないわよね? ユリさんて、ちゃんといたのよね?」

「いたよ?」

「そう……」


 アキラが幼馴染にお金の問題を話してしまった。お金を出しているのは誰か。どれぐらいのお金がかかっているのか。ぼくがそのために何処に所属しているのか。アキラが幼馴染に話してしまった。

「どうして話してくれなかったの‼ どうして⁉ 私そんな事お願いした⁉ そんなの望んでない‼」

「ぼくが勝手にやっているだけだ」

「恩着せがましいのよ‼ そんな事‼ 一度だって‼ 私は……。貴方に頼んでいない……馬鹿よ。私は……そんなの頼んでないわ」

 病室で。彼女は泣きじゃくり。一人にして欲しいと告げられた。

「何時かはわかる事だ。彼女も知るべきだ。君の苦労も。お金に関しても。僕も負担するから」

 今言うべき問題ではなかったよ。一生知らなくても良かったよ。君はお金を出すべきじゃない。彼女がアキラに対して引け目を感じるのは避けたい。

「アキラ。これはぼくと彼女の問題だ。家族の問題だ。何もしないで。お金も出さないで」

 君がお金を出してしまったら、彼女は君と純粋な恋愛ができなくなってしまう。引け目や負い目を感じて欲しくなかった。彼女の訓練に支障をきたしたくなかった。

「これは君と彼女のためなんだ。彼女は君の本当の家族じゃないだろう?」

 その善意が。アキラが善意だと主張してくる言葉が。ひどく鬱陶しかった。


 幼馴染とアキラは相変わらず仲がいい。二人の邪魔をしないようにする。アキラが去った後、病室へ入り傍に座ると。

「貴方の顔も見たくないわ」

 そう告げられた。

「どうして黙っていたの?」

「必要なかったから」

「必要なかった⁉ 必要なかった⁉ どういう意味よ‼ 必要なかった⁉ 必要しかなかったでしょ‼ 善意のつもり⁉ そうやってずっと黙っていたと⁉ そんな押し付け‼ 私が望んでいると⁉」

「だったら早く元気になって。義手義足だって安くないんだから。今度からは大事に扱って」

 そう告げると彼女は怒り狂って義手や義足を投げ捨てた。

「クソ野郎‼ クソ野郎‼ クソ野郎‼ ふぅ‼ ふぅ‼ どうしてよ……。同情でもしているの⁉ 貴方の偽善を満足させために私を使わないでよ‼」

「……幼い頃から一緒にいた。家族みたいに。ただそれだけ。ぼくには君の生命を維持するチャンスがあった。ただそれだけだ」

「馬鹿よ‼ 馬鹿‼ 大馬鹿‼」

「それはこれからも変わらないよ」

「馬鹿‼ 馬鹿‼ 馬鹿‼ クソ‼ クソ野郎‼」


 どの罵倒も彼女の本心ではないと理解している。アキラの正しさも。それ以来、彼女は訓練を真面目にこなすようになった。アキラと距離を置き、あまり笑わなくなった。病室を訪れると手を握ってくるようになった。身だしなみを気にするようになった。ぼくに尽くそうとする。ぼくに見限られないように。何度見捨てない旨を告げても、彼女の態度は変わらなかった。ぼくと彼女は家族ではなくなって、赤の他人になった。それが凄く悲しかった。


 「君にやって欲しい仕事があるの」

 リリィメイにそう告げられた。

「何をすればいいの?」

「この人を、消して欲しい。できる?」

 人を殺して欲しいと告げられた。

「大事な事なの?」

「今現在この国は、未曽有の危機に陥っているの。人間同士で争っている場合じゃないのに、複数の団体が現れて、自分達の都合のいいように国を動かそうとしている。そんな暇はないのよ。人同士で話をしている時間も余裕もないの。この国を東部防衛機構でまとめる必要がある。そのために、この人達を消さなければならない」

「わかった」

「ため息が漏れてしまうよ。妖魔が外に溢れ出している。このままでは東部の人間が絶滅してしまう。そのためにもシールドオブウォール計画は進行しなければならない。しかしA1~3セクションの封鎖に苦戦していてね。邪魔をしている人間達がいるのよ。妖魔と共存だなんて。奴らは頭を齧られた事がないのよ。嫌なものだわ」


 シールドオブウォール計画。それは国を分断した裂け目にそって壁を建築する計画を指す。壁を建造して人間と妖魔の住処を完全に分けてしまう計画で、そうしなければ東部の人間が絶滅してしまうほどの危機に陥っている。海にも空にも妖魔はおり、陸海空、何処においても人類は孤立してしまっているのだそうだ。前政府の機能は完全に停止。それを代替えする機関が必要なのだけれど、複数の団体が現れて土地の管理を複雑化。戦国時代のように、それぞれの地域を勝手に占拠して台頭してしまっている。それらを東部防衛機構がまとめるには、もはや話し合いでは済まなかった。


 東部防衛機構はこの国が壊滅的な打撃を受けた時、真っ先に発電所等の施設を抑え込んだ。でも全てじゃない。ぼくは知らなかったけれど、電力はとても重要で、今現在も襲撃等が絶えないと聞いた。


 食料問題もある。個人農家を廃し大きな一つの農園としてジャガイモなどの生産を行っているけれど、反発も幾つもあり、そう簡単には一つにまとまってくれない。そんな事気にしている場合じゃないでしょうと言うけれど、じゃあ、自分達で勝手にやらせてもらうと言う団体が幾つもある。その団体が秩序を守り交渉に応じて調和してくれるならいいけれど、全ての人達がそうじゃない。東部防衛機構を悪く言う人は多い。仕方ないから従っているだけ。全ての人は幸せにはなれない。好き勝手生きようとする人達も後を絶たない。東部防衛機構からも離脱者はいて、銃をばらまき瘴石の隠語であるローズクォーツの情報を勝手に流してお金儲けをしている。


 野菜だけでは満足できない。肉だって必要だ。米だって。酒だって。でも過去当たり前に差し出されていたものが、今湧き出てくるわけもない。誰かが生産し処理し加工しなければ提供なんてされない。その当たり前を理解できない人達がいる。不満をいくら叫んだ所で現物は生まれたり自然発生したりはしない。誰かが作らなければ無いのだ。でも彼らはあるところから略奪しようとする。

 大型の工場などを占拠している人達が、その技術を独占し欲しいならば従えと支配しようとする。


 東部防衛機構が絶対的に正しいとは思わない。でも少なくとも所属すれば衣食住は保証されるし医療だって受けられる。それ以上に何を望むのか。


 最初は宗教団体の宗主と呼ばれる人間だった。ろくでもない人間らしいけれど、別に興味がなかった。自分こそが救世主だと名乗り女性を囲っているらしい。しょうのない人。それでも付いて行く人間達はいるの。


 そしてリリィメイに対して情念を抱くぼくに、それらに文句を言う資格は無いのかもしれない。


 車に乗り込む所を滑り込み、喉を抑えて心臓をナイフで突き刺した。視線がぼくを捕らえていた。強張り抜けてゆく筋肉。ナイフを引き抜き、喉を掻っ切る。確実な死を。瞼に手を当てて閉じさせると、どの人も眠るように亡くなってゆく。


 この人にも子供がいるのよ?

 だから何?

 人を殺して罪悪感はないの?

 ないよ。

 生き物を殺して罪悪感はないの?

 ないよ。

 何時かお前も惨めに死ぬだろう。

 そうだね。


 罪悪感なんてこれっぽっちもなかった。呪いなんて信じていない。死人に人を殺せるのなら、この世界はきっと怨みのないもっとマシな世界になっていた。


 「人はね。上手に生きられない者から淘汰されてゆくのよ」

 リリィメイはぼくにそう言った。


 狙撃する。リリィメイがスポッターをしてくれた。

「目標観測。距離およそ1500m。ノーバリュー。時折2時よりハーフバリュー。風速約10マイル」

 ノーバリューは追い風とか向かい風の事。ハーフバリューは斜めからの風。横からの風はフルバリューで風速も伴うと弾道に影響を与える。それはかなりの誤差だ。

「目標捕捉。目標地点Aに標準。ドロップ(エレベーション)意識。認知。息を止めなさい。遅延2秒から4秒を想定」

 少しの沈黙と風の音が聞こえる。

 嫌だな。ハーフバリューだ。

「ファイア」

 反動と耳の痛み。実はぼく自身何もしていない。体が勝手に動くの。体が勝手に動いて全てを行ってくれる。それにリリィメイがタイミングまで指示してくれた。

「頭部にヒット……。反りかえる。目標沈黙。追撃の必要なし」

 ぼくが真っ当に仕事をすれば、それはリリィメイの誇りになる。

 だからぼくは絶対にしくじらない。

 殺せと指示された人間は、必ず殺す。

「この銃。三十八歩。とっても手に馴染む」

「初期ロットの一点物よ」


 首領を殺害し脅す。混乱に乗じて制圧する。それでも当然従わない人達はおり、東部防衛機構はそれらの異なる意見を持つ人々に容赦がなかった。どうしてもわかり合えない人達はいる。どうしてもわかり合えない。どちらかが消えるしかないのなら、力の無い方が消えるしかない。混沌は誰でも好きに振る舞って良いわけではない。


 リリィメイとお風呂に入るのを躊躇ってしまう。

 胸の内から湧き上がって来る情念に突き動かされて。

「男の子だものね」

 その両手に頬を包まれて、視線で肌を撫でられて。

「私の。中に。入りたい?」

 その言葉に気を失いそうにもなる。そしてそれは喉から手が出るほどに望むものでもあるの。自らのこれまでの行いを鑑みれば、このような行為を躊躇う自分もいる。高尚な志のつもりなの。それなのに、こんな感情に流されてしまうのを躊躇ってしまう。頷いてエッチだと思われたくもない。一番嫌なのは、リリィメイに嫌われる事。

「入りたくない?」

 そう告げられて、首を強く振ってしまう。違うの。このチャンスを逃したくないと突き動かす思考もいて抗いがたい。自分で自分を制御できない。ただ熱くて。体も。思考も。心も。体も。

「入りたい?」

 彼女が自らの胸の中心へと指先を当てている。

「ここに。入りたい?」

 入りたい。

 ぼくは。コクリと。頷くしか。なかった。

 泣きたいわけでもないのに目に涙が溜まってしまう。悲しいとかそういう気持ちではなくて。切ないとか苦しいとかそんな気持ちに近かった。ただ只管に苦しい。

 望む事と。拒否する事が。ぶつかって。苦しい。

「いい子ね」

 ただ超えてしまった一線は拒絶など、あっと言う間に吹き飛ばしていった。ただ只管に、彼女の中で果てて満たされたい。それだけしか考えられなかった。何度繰り返しても満たされたい。

「何処がいい?」

 何をされても最後は。果てるのだけは。

「中」

 しっかりと捕まえて。掴んで。動けないように。拒否できないように。最後の一滴までも。彼女の中が良かった。

 鼻を啜ると。何時も彼女の胸の中。髪を撫でられて。頭を愛でられて。包み込まれて。女神の腕の中にいるかのように。そしてまた縋りついてしまう。

「……好き」

 何度呟いても。リリィメイは好きとも愛しているとも特別だとも答えてはくれなかった。ただ何度も何度も何度も何度でもただ只管に最後の一滴までもを受け止めてくれた。


 閉じた瞼の裏に流れる景色。

 耳に流れ込む液体のような音。

 何度も味わう彼女のにおい。


 お腹を流れる舌先に。


 誰でもいいわけじゃない。この人。この人がいい。この人に。

 向けた意識と向けられた意識。ただの行為じゃない。


 心臓に添えられた唇と。


 貴女だけを考えている。握り込んだ手の平に。


 開かれた瞼。リリィメイ。優しい指先。


 胸の上で眠る彼女がちゃんと捕まえていてくれる。それだけがリリィメイがぼくを求めているその答えなのだと。それだけに。縋り付いて。猫のように。なすがまま……。

「ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「何時も痛くして……」

「ふふふっ。そうね。もっと優しく扱って頂戴」

 舐める行為は愛でる行為だと。舐める以外のもっと上位の愛情表現を。ぼくは知らない。


 不思議な話だけれど、人を殺す時だけ、ぼくは男に戻る。


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