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血霧と狂狼  作者: やまく
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32 ベクター

 

 

  

 珍しい精霊の一種として捕らえられたマルハレータは実験体として扱われることになったらしいが、担当する胡散臭い精霊はすぐには何かしてくる様子がなく、高窓から見える空が暗くなるとやってきた。


 石牢の壁の窪みに火を灯し、持ってきた検査道具らしき器具は早々に足元に置いてしまい、マルハレータを固定している台の端に腰掛けるとボードと紙束を眺めながら話しかけてきた。

「きみについては無力化させるために数日かかると説明してある」

「おれを分解しないのか」

「しないね」

「オマエはここの奴らの仲間じゃないのか」

「違うね」

「ここにいる精霊を加工する奴らを調べているのか」

「それも違うね」


「じゃあこの拘束を外せ」

 それまでボード上の紙を筆記具でつついていた精霊は顔をあげ、台に固定されたままのマルハレータをちらりと見る。赤茶色の髪から見える瞳はやはり人間としては生気が感じられない。

「それくらい自力でできないのか」

「腕を壊せば出来るが、あまりしたくない」

 この石牢の中でそんな事をしても回復に時間をとられ再び動けなくなるだけだ。

「ならしばらくそのままでいるといい」

 ベクターはボードに顔を戻した。表情は動かない。ただ事実を述べただけでそこに関心はないようだった。


 マルハレータは会話の組み方を変えることにした。

「オマエ、精霊だというのを隠してここにるのか」

「バレてはいないね。精霊術というのは『使用者が精霊だと思った対象』以外には干渉力が薄いから」

「ベクターと呼ばれていたな。それが名前か?」

「そうだね」

「それは人間の中に紛れるための仮の名か?」

 ここで精霊は初めてマルハレータをしっかりと見た。

「名前は一つしか持っていない。ジブンでつけたんだ」

 声の響きに重みが増えた。己で命名したことはこの精霊にとって重要なことらしい。


「きみのことは知っているよ。影霊はまだ新しい存在だから、取り扱いについては精霊側で共有されている。本当に生前と同じなのか?」

 ベクターは持っていたペンでマルハレータ自身を示す。

「自分ではそのつもりだ。肉体は前よりも良い状態だが中身は……まあ大体同じだろ」

「思考に制限や記憶の加工はされていないのか?」

「全く」

 マルハレータは生前の立場が立場だったので生前の個人記録や精神活動パターンなどの詳細な情報が城に残っていた。そのすべてと今の自分とを徹底的に照らし合わせた結果、マルハレータはおそらくそうなのだと結論づけている。少なくとも何か調整された形跡は発見できなかった。

「未調整とは驚いたな。あそこの精霊は用心深いと聞いていたんだが。よほど例の新しい国主を信頼しているのか」

「どうでもよくなったんだろ」

 ファム女王の感覚はマルハレータやローデヴェイク以外にも、おそらくあそこにいる精霊達にも馴染みがない。まだ雛鳥のようにのん気で物知らずな国主だが、国がどうありたいかは既に見出しており、彼女の目指す方向へ国を作っていくには過去を細々と気にするよりも優先する事が多く、色々とどうでもよくなってくるのだ。 

 あの国はかつて存在した強国とは全く別の形になろうとしている。



「変わった国だ」

「そうだな」

 マルハレータもそれには同意見だった。


「それでオマエはどこの国の精霊だ? 何の目的でここで人間に紛れている」

 会話が続いたのでマルハレータは再度問いかけた。

「所属は無い。ここにいる理由は……」

 精霊は高窓を見上げ、その先のどこかを生気のない瞳で見つめる。

「なんとなく」


 この答えを聞いたマルハレータは、ベクターをこれまで遭遇してきたどの精霊よりも厄介だと判断した。

 くろやみ国のレーヘンは、あれはあれで忌々しい相手だったが、興味関心の幅が狭いので行動原理が読みやすく、ある程度はわかりやすかった。あれでも精霊にしては扱いやすい方だったのだ。

 べウォルクトの方はさらに関心を持つ範囲が狭く、さらにあの素直な性格の女王と接しているからか問いかけには普通に答え己の考えもはっきり主張していた。

 そして目の前の精霊は好き好んで人間のふりをして、同類を捕獲し、研究と称して材料として加工する施設にいる。その意図も理由も掴ませない。

 

「オマエもしかしてかなり若いだろ」

「よくわかったね、ジブンは人と喋る精霊の中では新参になる。どうやって導き出した?」

 ベクターは身を乗り出してマルハレータの顔を覗き込む。

「話していてわかった」

 マルハレータはベクターのひねくれた物言いに、闇の精霊の面倒くさい方を思い出していた。

「話していてか……人間との会話はやっぱり難しいな」

 ベクターはそう言いいながら立ち上がると、結局何も書かなかったボードを石牢の壁の棚に戻す。

「明後日あたりの夜に自由に出歩けるようになる。それまで回復に努めるんだ」

 精霊は一度マルハレータを見ると口元だけ微笑み、それから人間と同じように鉄格子の扉部分から出て足音を立てながら去っていった。


 足音はすぐに消え、あたりが静かになる。音の響き方と、日中と夜で温度差をあまり感じなかったので石牢は半地下なのかもしれない。マルハレータは全身の疲労感と共に石で組まれた天井を眺めた。

 ふと、くろやみ国の女王ならあの面倒くさい精霊ともっと簡単に意思の疎通が出来るのではないかと思ったが、今は連絡をとる気になれない。

 ここに運ばれてから肌の表面がずっとざわついている。あの精霊と会話してもそれは感じなかったので別に原因があるらしいが、もう少し回復しないと原因を知覚できそうになかった。

 



 なにかの音が頭の中を鳴り響き、マルハレータは思わず顔をしかめる。相変わらず思考は鈍いままだが、どこか強い違和感を感じた。

 いつの間にか身体はうつ伏せになっていて、手足だけでなく首も動かない。酷く薄暗い場所で何も見えない。

 意識を覚醒させた音は周囲から聞こえてくるものだった。それが乾いた破壊音だと気付いた時、轟音と共に光を感じた。

「ああ、いたいた」

 ベクターと名乗った精霊の声らしき音が聞こえたが、やけに耳障りで不明瞭だ。

 次に突然身体が持ち上げられる感覚があるが、それ以外は何も認識できないままだ。これは周囲が暗いのではなく、自分の視覚が働いていないからだとマルハレータは気付いた。

 やたらと重い手足がしばらく揺れ、それからいきなりどこかへ落とされる。


 何度かごぼごぼと息を吐き、それから砂利に触れ、水の流れを感じる。水底と水面の方向がわかったので膝をついて力づくで起き上がり、水中から顔をあげる。

 視覚は戻っていたので、激痛を感じながらあたりを見回すと眩しい光の中で岩と木々と巨大な滝が見え、マルハレータがいるのは滝壺の端の浅瀬だとわかった。すぐ目の前の岸辺には全身埃まみれのベクターが立っている。

「強い気脈があるとこんなに回復が速いのか。本当に影霊というのは出来が良いな」

「……?」

 何か驚いたような様子で言うので、問いただすためにマルハレータが立ち上がろうとすると精霊は距離をとり手で制してくる。

「しばらくそこにいるといい。きみは飢餓状態になり暴走した」

 

 とっさに己の両手を見ると、指の肉や爪が再生し薄い皮膚が戻りつつあるところだった。腕は裂傷だらけで、両肩にまで及んでいる。指先から手の破損具合が酷いので、強引に規模の大きな法術を使ったらしいとわかる。

「施設を丸ごと破壊したきみはそのまま瓦礫の下敷きになった。それを掘り起こしここへ運んだ」

 マルハレータはもう一度両手の様子を見て、それから全身の力を抜き浅瀬に座り込み、口に入っていた水を吐き出す。あちこちの関節がうまく動かない。猛烈なだるさを感じ、頭部にもどこか違和感があるので触って確認したいが、神経系が回復してきたのか両手は焼き溶けるような痛みを訴え始めておりそれどころではない。

 一気に気脈を吸収したことでこれまでにない速さで身体の再生が進んでいるらしく、混濁していた記憶がどんどん鮮明になってくる。

「……暴れたのは飢餓状態が原因じゃない」


 昨夜は宣言どおりにベクターが現れてすぐに拘束を外してきたが、特に何も言ってこないのでマルハレータはそのまま脱出のために施設内を歩いていた。

 他の石牢には何もおらず、そこからさらに廊下を歩き、突き当りにあったのは人間を含む様々な生物を解体もしくは実験に使用する部屋だった。

 マルハレータはそれを見て、そこからの記憶がない。


「あそこが気に食わなくてぶっ壊しただけだ」

 衝動的に、自分の肉体が壊れるのも構わずに法術を使ってしまった。ローデヴェイクが時々自分を気遣っていた理由をマルハレータは知った。こうなる事を予測していたのだ。

「死体や血が苦手なのか?」

「苦手じゃないが、嫌いだ。特にああいった雑なやり口は全部粉々にして消したくなる」

 生前は大勢の敵を消す方法として、広域に法術を展開して軍勢の生命体だけを微細に破壊するのが得意だった。効率よく、確実に、短時間で多くの生命活動を停止させる方法をたくさん学習させられた。何度も訓練し、そしてとても上手に行えるようになったので、全軍を指揮する立場になっても、国の指導者になっても、最前線でそれを行い続けた。

 それが彼女の一番得意な事だった。必要ならいくらでも出来る事だが、好んではいなかった。自分が作り出した濃い血煙の匂いは生前最後まで慣れることはなかった。


「あそこにいた人間達も、建物ごとおれが潰したのか」

「いいや、あそこの人間達は昨日から出かけている。急ぎで決まったことで人員も多く必要だったからジブンだけ残って留守を預かっていた。だがああなったなら仕方がない、地割れが起きて崩壊したと報告書に書いて残しておこう」

 ベクターが見た方向をマルハレータも見ると木立の向こうに瓦礫の山があった。その範囲はゆるやかな丘一つを覆う規模だったので、囚われていた建物は思っていたより大きかったらしい。


「オマエはあの実験部屋を見てなんとも思わなかったのか」

 精霊というのは生命とその営みを守り維持する側だとマルハレータは認識していた。

 問われた精霊は温度の低い目で影霊を見下ろす。

「精霊は生命は慈しむが基本的に生死に関与しない。よほど思い入れが有るなら何かするだろうが、ジブンは入れ込む柄じゃないね」

「おれは助けたのにか」

「あれくらいで影霊は死なないだろう。きみには用事があるから回復を早めさせたんだ」

 マルハレータが落ち着いてきたと見たのか精霊は一歩二歩と近づいてきた。

「きみの法術は暴発しやすいのか?」

「法術の制御は問題ない……おれの情緒面が原因だ。準備運動無しにいきなり出力をあげるとこうなる」

 そう言ってマルハレータは水中から再生中の両腕を出しベクターに見せる。

 思えばこれまで規模の大きな法術を使ってこなかった。無意識に避けていたのかもしれない。

「ずっと極小規模でしか法術を動かしていなかったからな。法術用のグローブがあれば制御が間に合いまだマシな状態だったろう」


「そうか。あれだけの法術が使えるのなら少しジブンに同行しないか? 力を貸してしてほしい事がある」

 ベクターはそう言うと着ていた赤い上着を脱ぎ、折って畳んで広げると森の奥の村で見たようなくすんだ色の外套になる。

「やっぱり目的があって潜入していたのか」

「無かったのが出てきたんだ」

「よくわからん……」

 頭痛に顔をしかめながらマルハレータは浅瀬から立ち上がる。手足から痛みが引き、皮膚の再生も終わったようだ。ここまで回復すれば動くには問題ない。

「力を貸すから、おれの服も再生しろ」


 以前の自分と変わらないままだと己で結論づけたのだ。ならここから変えていけばいい。

 そうしないと、あの男は気遣い以外の目で自分を見ないだろう。



「ところで、きみはもう一名の影霊が持つ兵器を知っているか?」

「ん? フツヌシが動いたのか?」

 川からあがり、ベクターが触れて再生した服の状態を調べ、動くようになった手足の具合を確認してたマルハレータは、まだぼんやりとしたままの状態で思わず答えてしまい自分の失態に内心舌打ちをする。


「フツヌシだそうですよ。それで登録を」

 すぐさまベクターが真上を見上げながらどこかへ報告しはじめた。

「おい」

「ええ、わかりました。お任せします」

「あのバカとフツヌシがどうかしたのか」

 マルハレータはふらつく身体でベクターに詰め寄り睨みつける。

「まだ起動しただけみたいだね。だがあれはこの星の維持に影響を与える可能性が高いのであちこちの精霊が警戒しているんだ」

「んなもんべウォルクトかレーヘンに聞けばいいだろ」

 ベクターは一瞬、まるで知らない言葉を聞いたかのように静まりじっとマルハレータを見つめる。

「……あの古い闇の精霊は偏屈の引きこもりだから、緊急度の低い問いかけには答えない。緊急度が高くてもたぶん答えない。レーヘンという方はジブンと変わらないくらい新しいらしいのでよく知らないが、やはり古い方に準じた対応だろう。あそこの精霊から情報を引き出すのは面倒くさいんだ。なんだいその顔は」

2020/11/11 加筆 ベクターの描写など色々加筆。

2021/06/13 加筆 マルハレータの描写まわり少し加筆。

2021/11/14 また少し加筆

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