5 頼りない学院長と自己愛強めな副会長
翌日、ジョシュアに髪を引っ張られたり、逆に頬をつついてやったりしながら、初等学校へ初登校したニレは、半日で放校された。
昼過ぎにひとりで戻ってきたニレを見るなりデヴォアラは、うちの娘にいったいなんの問題があるって言うの?!とモンペ化して、危うく学校へ殴り込みそうになったので、ニレはそうじゃないと慌てて義母にすがりついた。
もう来なくていい、と言われた理由はただひとつ、「これ以上教えられることがない」からだった。
星の巫女としてタミが蓄えてきた知識は相当なものであり、自らの後継とみなしていたニレに、タミは自身の持つすべてを注ぎ込んでいた。
ニレもまた、なんとかして星の声を聴こうと必死だったこともあり、砂にしみ込む雨のごとくすべてを吸収していった。
特に自然科学、ならびに天文学には必須となる数学に関しては、部分的には大学レベルを超えるとまで言われた。
昔であればともかくとして、近頃の原住民系の人々はほとんどが州の公用語を使うので、公用語に関しても問題なく読み書きできている。
学ぶ余地があるとすれば、その他の外国語や上流階級特有のマナー程度だが、それはエスター家ならば家庭教師を用意できるのでは、ということだった。
「んまぁ、なんてこと!さすがうちの自慢の娘だわ。初等学校の先生も、なかなかわかってるじゃない!」
見事な手のひら返しとともに、大仰にも思える仕草でニレをがばりと抱きしめたデヴォアラは、こうしちゃいられないと小走りに部屋を出て行った。
またどこかへ電話をかけに行ったようだ。
少しして戻ってきたデヴォアラは、明日からはイーライと一緒に州立学院へ通うようにと告げた。
午後遅くになって帰宅したジョシュアからは、おまえなんなの?と文句を言われた。
一応、うん、ごめんねと謝ってみたところ、なんで謝んの?と返ってきた。
おかしな弟である。
そんな経緯でニレは翌日、イーライと共に箱馬車で学院へ向かった。
道中、イーライは本を読んでおり、ニレは気にせず窓からの景色を楽しんでいた。
「次の金環日食は?」
目も上げず、唐突にイーライが問いかけてきた。
ニレもまた、外の景色を眺めながら即答した。
「ここから見えるのは五年後の二月」
これはあくまでも天文学知識によるもので、星々が教えてくれたわけではない。
イーライはひとつ頷くと、特に感想も述べずにそのまま読書へ戻っていった。
煉瓦造りの伝統あるホタリ州立学院の校舎は、港町に住む人々の誇りであるらしい。
遠くから来ている生徒も多いので学生寮が完備されているが、エスター家のように近くに住む生徒は自宅から通っている。
学院へ着くと、イーライはニレを学長室へ伴った。
気の弱そうな学院長は、いくつかの分野にまたがるやや専門寄りの質問をして、ニレがそれに答えると、深いため息をついた。
「僕の手には負えないよ。イーライくん、君が面倒見てやるしかないんじゃない?」
「まさかの丸投げ?!」
ニレは驚きのあまり、本音をそのまま漏らしてしまった。
イーライが顔をうつむけて笑いをこらえている。
そのイーライに、不気味なものを見るような視線を向ける学長。
「ーーーたしかに、天文学や生物学についてはかなり専門的な知識を持っていますが、それでも網羅しているわけではありませんし、他の分野については学院で学ぶ余地は十分あるでしょう。何より、ニレにも学び舎で友人をつくる機会を与えるべきです。初等学校では、周囲の子どもたちと話が合わないでしょうし、大学では年が離れすぎている」
「あのさぁ、イーライくんて、そんなにしゃべる子だったっけ……?」
戸惑いを隠せない学長は、片眉を上げたイーライに、びくりと肩を揺らした。
どうでもいいが、仮にも教え子に対してちょっと怯えすぎではないだろうか。
「あ〜、うん。それじゃあ、イーライくんと同じ一学年に編入ということで、いいかな?」
校長は、そそくさと入学許可証に署名した。
「いや、ちょっと待ってください。この学院て、入学試験ありますよね?!」
地上げ屋のゆすりたかりに屈するがごとき小市民っぷりに、思わずニレは待ったをかけた。
「うん、それさっきやったから」
「はぃ?」
「というか、卒試レベルの問題だったんだけどね〜」
ははっ、と力なく笑うと、学長はヤバいブツでも触るかのように入学許可証を親指と人差し指でつまみ、ぺろんと差し出した。
午前中、イーライの隣で生物学、古典文学、経済学の講義に出席したニレは、購買でイーライに買ってもらったノートにびっしり書き取りをして、ご満悦だった。
講義内容には知らなかったことももちろん含まれており、また、すでに知っていることを違う切り口から話されるのを聞く楽しみもあって、学院に来て良かった、とニレは喜んでいた。
「楽しそうだな」
学食に向かう途中で、イーライが隣から話しかけてきた。
「おかげさまで!ところで、イーライは友だちのところへ行かなくていいの?」
自分につきっきりで、友人との交流に支障をきたしていないかと、心配になったのだ。
「級友たちとは広く適度な交友関係を保っているが、特定の者とばかり親しくしているわけじゃない。君が気にするようなことは、何ひとつないよ」
なんとなく、イーライらしい答えだなとニレは思った。
実のところ、州で一、二を争う大商家エスター家の次男で、容姿にも優れたイーライは、男女ともに多くの生徒から注目される存在である。
そのイーライが、まだ初等学校に通っていそうな年頃の少女と並んで講義を受けている、となれば、疑問やニレへのやっかみの視線を浴びて当然と言える。
従って、学食でイーライと昼餐をとるニレは、周囲の生徒たちから白眼視に近い遠巻きな視線にさらされることとなった。
そんな空気をぶちこわして、乱入する年かさの少年がひとり。
「やぁやぁ、イーライくんじゃないか!素敵なレディを連れているね。ぜひとも僕に紹介してくれたまえよ」
気障ったらしい言い回しが鼻につく。
皆と同じ紺のブレザーだというのに、袖口のレース飾りや襟元のピンブローチなど細部のおしゃれにこだわり、個性を主張するのに余念がないようだ。
肩までの赤みがかった金髪は渦を巻き、瞳は矢車菊の青。
自分の容姿に自信がある人特有の顔つきをしている。
ひと目見て、あ、めんどくさいの来ちゃった、とニレは思った。
向かいのイーライも眉根を寄せて、頭痛をこらえるような仕草をしている。
血はつながっていないながら、兄妹そろってほぼ同じことを思ったらしい。
「僕はね、学生会副会長のバーソロミューさ。イーライくんと来たら、この僕が何度誘っても学生会に参加してくれないんだから、困ったものだよ。お嬢さんからも、なんとか言ってやってくれないかい?」
「あなた、夜に部屋で爪を磨いてるタイプね」
「かはっ、」
予想外だったらしいニレの返しに、バーソロミューは気管を詰まらせた。
彼らのやりとりに耳を澄ませていたらしい周囲から、ぐほっとむせるような音が複数聞こえた。
「きゅうりやレモンで美容パックなんかしちゃったりして、で、鏡に映った自分に微笑んでみたりするでしょう?」
ニレは適当に言ってみただけなのだが、図星だったのか。
バーソロミューの口からはもはや、声にならない空気がひゅーひゅーと漏れるのみである。
イーライは顔を背けて肩を震わせている。
「っ、しっ、失礼する!」
なんとか声が出せるまでに復活したバーソロミューが、学食からほうほうの体で逃げ出して行くと、オーディエンスは、わっと快哉を叫んだ。
「君、誰だか知らないが、あのいけ好かないバーソロミューをよくぞやりこめてくれた!」
「本当に胸がすっとしたわ!あなた、午後の授業は私たちのグループへいらっしゃいよ」
編入初日にして、ニレが学院の主要な人々に受け入れられた瞬間であった。




