4 ショーウインドゥに踊る光
「小間使いとして連れてきたわけじゃないんだけれど」
デヴォアラはそう言うが、働かざる者食うべからず、とタミに叩き込まれてきたニレとしては、何もしない食客扱いは落ち着かないのである。
「あ、それならうちの店で働くのはどう?」
エスター家は、州都の目抜き通りに大きな百貨店を構え、他にもホテルや劇場など、手広く経営する大商家である。
特に百貨店の店員さんたちは、皆きれいな服を着て髪型や仕草なども洗練されており、港町の少女たちにとっては憧れの職業のひとつであった。
「そうと決まったら、早速明日から学校へ行くわよ!」
ニレの返事を待たず、デヴォアラは入学の手配をと、すっ飛んで行ってしまった。
相変わらずせっかちでマイペースな人である。
「妻がすまないね」
エスター家の当主ダヴィッドは、給仕に食後の紅茶を頼みつつナフキンで口元を拭った。
家庭内においては穏やかでどちらかと言えば影の薄い人だが、仕事になると豹変するらしい、とおしゃべりなメイドが噂していた。
これだけの規模の商会を取り回しているのだから、もちろん有能でなければやっていけないだろう。
休日でもなんやかんやとやることはあるらしく、紅茶を飲み干すとダイニングを出て行ってしまった。
長兄アイザックが、途端に説教を垂れ始める。
「君、だから言っただろう。きちんと自分の意見を言わないと、あの母に翻弄されて人生が終わるぞ。女は感情的な生き物だと、バーリー先生も著書の中でおっしゃっている、うん。女は考えが浅い分、どうしたって感情的に行動しがちだが、」
「考え方、古いね〜」
「えっ、」
得意気に喋っていたアイザックは、まさか大人しそうなニレから突っ込みが入るとは思っていなかったのだろう、たじろいだ様子で口をつぐんだ。
「本に書いてあることの受け売りばっか喋ってるの、ちょっとかっこ悪いかなぁ」
「ぐっ……っ!」
給仕のため控えていたメイドのジェンが、思わず吹き出しそうになって、執事のピエールに小突かれている。
しばしの沈黙に支配されたダイニングに、くつくつと静かな笑い声が聞こえてきた。
誰が、と見回せば、イーライが口元に拳を当て、肩を揺らしていた。
何がどうツボに入ったのか、イーライはしまいには腹を抱えてうずくまるように爆笑し始めた。
アイザックやジョシュア、さらには給仕の者たちまで、目をこぼれ落ちそうなほど見開いて彼を凝視している。
「イ、イーライ兄さんが大笑いしてる、」
「天変地異の前触れか?!」
そのような星の知らせは今のところ受けていない。
「君はいったい、何者なんだ……!」
アイザックが、化け物でも見るような目をニレに向けた。
実に失礼な長兄である。
「それで、君自身はどうしたいんだ?」
しばらくしてようやく笑いやんだイーライが、まだ少し笑いの気配の残るいつもより柔らかい表情で、ニレに問うてきた。
さわさわと梢の若葉が風に揺れ、浅緑の木洩れ日が石畳の上に遊んでいる。
大きな欅の樹の下に置かれたベンチに座って、ニレは向かいのエスター百貨店を眺めていた。
「君のやりたいことというのは、これなのか?」
隣からイーライが問いかけた。
「ねえ、あの大きなショーウインドゥを見て。日差しが反射して、星みたいにきらきら光ってるの」
イーライは、顔を正面に向け直した。
見慣れた父親の店がそこにはあって、変わったところは何もない。
「ガラス窓の中に、メリーゴーラゥンドみたいなおもちゃが飾ってあるでしょう?光があたって、ちょっと動いているみたいに見える時があるのよ」
単なる光の作用による錯覚だろう、とイーライは思う。
けれど思い返して見れば、ほんの幼い子どもの頃、百貨店の小さかった窓が大きな飾り窓に変わったとき、言語化はできないまでも、何かしら心の琴線が動いたような気がする。
そして、真夜中の窓からカーテン越しに差し込む雷光に、この世ならぬ何かを想像して怯えた夜が、たぶんイーライにもあったのだ。
ニレの艶やかな黒髪が風にそよぎ、星屑の散る菫の瞳が煌めいて、ショーウインドゥを見ている。
仕方ない、彼女が飽きるまで付き合うか、とイーライは少し微笑みながら嘆息した。
それから一時間くらいしてようやくニレが立ち上がったので、ふたりは街で一番賑わっているカフェへと向かった。
『エイミース』と看板が出ている。
昔は週末ともなればどこの店も閉まっていたらしいが、大都会化して住民の数も観光客も増えた近頃では、休日をずらしたりして週末も営業している店が増えた。
ここでもまた、ニレは店に入らず、道端のベンチから店先を眺めている。
アクアブルーと白を基調にしたお洒落な外装で、ほどよく植木鉢の緑が配置されている。
テラス席もあり、カップルや女の子どうしのグループなどで賑わっているようだ。
「中へ入らないのか?菓子や軽食もあると聞くが」
「中へ入ったら、この素敵な店構えが見えないでしょ?イーライは中で休んできていいわよ」
熱心に店を眺めるニレに、イーライは肩をすくめてカフェへ向かったが、ほどなくして再び通りへ出てきた。
腕に何か抱えている。
黙ったままニレの横に腰を下ろし、紙袋を差し出した。
中をのぞけば、湯気を立てる分厚いパンに、ベーコンやレタスが挟まれている。
ブルーベリーマフィンも入っているようだ。
イーライがふたりの間にマグをふたつ、ことりと置く。
淹れたてのコーヒーがふわりと薫った。
「テラス席と同じ扱いにしてもらった。マグは飲み終わったら返しに行けばいい」
心地よい沈黙に包まれて、ふたりはパンとマフィンを分け合った。




