3 個性豊かな三兄弟
ニレは広いお屋敷の長い廊下に膝をつき、ひたすら雑巾で拭いていた。
鼻歌まじりに端まで磨き上げたニレは、やりきった達成感とともに本日の成果を振り返った。
とそこへ、バルコニーからぺたたたたっ、と若干湿った軽い足音を立てて走り込んで来た者がある。
焦茶のカーリーヘアに鳶色の瞳。
短いズボンから飛び出た膝小僧が擦りむけている。
エスター家のいたずら三男坊、ジョシュアである。
折しも昨夜は雨で、庭はぬかるんでいた。
ぴかぴかに磨かれた廊下に、泥の靴跡がスタンプさながら点々と押されている。
ジョシュアは一瞬、やべっ、というような顔をした。
だがすぐにふてぶてしい顔つきに戻り、開き直ったように靴底の泥をさらに床へなすりつけると、ニレに向かってべーっと舌を出して走り去った。
曲がり角の向こうで立ち止まり、ちょっとだけ顔を出してこちらの様子をのぞいているようだ。
悪いことをしたという気まずさはありながら、いたずらざかりの少年のこと、今さら引っ込みがつかないのだろう。
脱力感に立ちすくむニレのところへ、上階から誰かが階段を降りてきた。
やや癖のある黒褐色の髪に、眼鏡の奥の瞳はダークグレーらしいのだが、レンズの光の反射でろくに見えたためしがない。
大柄かつ筋肉質な体型の長男、アイザックだった。
真面目がゆえに、脳筋寄りのガリ勉という、ちょっとめんどくさいところのある青年だ。
「君、また弟にやられたのか。自分に隙があるからこういうことになるんだぞ。あの手の自由人には毅然とした態度で臨むことが一番だと、新聞のコラムにも書かれていた。つまり自業自得だ。悔やむなら己れの愚鈍さを悔やみたまえ」
正論ではある。
だが、正論は時に暴力であることを、ガリ勉脳筋くんにはぜひ学んでいただきたい。
「よくよく己の未熟さを噛みしめながら、掃除し直すことだな」
「あ、ハイ」
悪気はないのに人をイラッとさせる天才だな〜と思いながら、ニレは適当に返事をした。
アイザックは、うむと鷹揚に頷くと、満足気に立ち去った。
その背中が、義妹にしっかり指導してやる俺はなんて素晴らしい兄なのだろう、と語っていた。
適当に答えても反抗さえしなければ満足してくれるところは、アイザックの数少ない美点のひとつだとニレは思っている。
アイザックを見送っていたニレの背後で、かつ、と靴音がした。
振り向けば、まだあと少し青年にはなりきれない年頃の少年が立っていた。
次男のイーライである。
比較的色味の濃い家族の中で、ひとりだけ色彩が薄く、白に近いプラチナブロンドに、ペールブルーの瞳が印象的だ。
遺伝子異常だか先祖返りだか、そのへんの知識はニレにはよくわからないが、少なくとも顔立ちは父方の祖母にそっくりだということで、血統上の疑義は生じていないらしい。
三兄弟みな、それぞれに整った容貌をしているが、イーライは特に色味の影響もあるのか、人形めいた冷たい印象を受ける。
片手に専門書らしき分厚い書物を抱えている。
長兄とは異なり、こちらはおそらく本物の秀才であろうとニレはにらんでいる。
床の汚れをじっと見ていたイーライは、ニレに視線を移すと、
「庭師のベンに、テラス用の掃除道具を借りたらいい」
一言告げると、返事も待たずに踵を返した。
「うちの子たちがごめんなさいねぇ。変わり者ばかりで困っちゃうわよね〜」
頬に手を当ててため息をつく奥さまデヴォアラは、どうやら『変わり者』の中にご自身をカウントしていないようである。
ユマ族の集落から強引に連れ出されたニレは修理の終わった箱馬車に積み込まれ、その日のうちに州都の港町へ向けて出発することになった。
勢いよく出荷されて行くニレを見送るマルカじいさんは、目と口をぽかんと開けたまま言葉もなく、片手を自動人形のごとく振って見送っていたものだ。
州都には、一週間ほどの馬車旅を経て到着した。
森の集落と近隣の小さな村くらいしか知らなかったニレは、初めて見る大都会に圧倒された。
通りは石畳で舗装され、森の木よりも高い建物が並んでいる。
何より、どこを歩いたらいいかわからないほど、人がたくさんいるのだ。
初めて見る海や潮風の匂い、雑多な色に溢れた忙しくも華やかな街がそこにはあった。
デヴォアラが住むという中心街の大きなお屋敷へ連れて行かれると、ニレは開いた口を閉じてはまた開きを繰り返した。
星の導きとは言え、ちょっとこれは大変な所に来てしまったぞ、と今さらながらに戸惑いが押し寄せてきた。
与えられた部屋は、タミの小さな家が丸ごと入りそうなほど広く、初日、ニレは落ち着かない夜を過ごすこととなった。
真夜中。
大平原の森に比べれば、夜でも街にはいくばくか明かりが残っているためか、集落にいた頃より見える星の数は少ない気がする。
それでも、星の声はちゃんと聞こえてきたので、ニレはほっとした。
北天の一等星は輝きを取り戻していたが、一度コツを掴んだことで、ニレは星たちのかそけき声を今も問題なく拾えていた。
《大丈夫、大丈夫》
《北天のぬしの子、ここでやることがある》
《わたしたち、いつも一緒》
夜になると星たちはいつでも、雲間さえあればうるさいほどに語りかけてくる。
タミのことを思い出しても、もうニレの心は揺れなかった。
(だって、昼も夜も、こんなにもそばに、存在を感じるもの)
都会であっても、空気も水も空も、緑だってある。
人もまた、自然の一部だ。
おばばの教えてくれた、自然と溶け合って生きる術。
タミの生きてきた姿そのものが、自然の中に息づいていた。




