17 女帝来たる
「ディミーロさんは、もしかしてグレートフさんと親子だと知らなかったんですか?」
口を半開き状態でぽかんとしていたディミーロに気づき、イーライが声をかけた。
うしろから覗き込んだエテンシアが、ディミーロの下あごに手を当てて口を閉じさせる。
そこでようやくフリーズを解いたディミーロが、ふるふると何かを振り落とすように黒炭色の頭を動かした。
「初耳だよ!どうして教えてくれなかったんですか、おじ上」
「、いやおそらくおぬし以外の関係者は、わざわざ言わずとも皆知っておろうよ。かねてより薄々感じられしことなれど、おぬしなかなか鈍い男よのぅ」
たぬきに呆れられたディミーロは、ぶつぶつとイーライに腹立ちをぶつけ始めた。
「イーライくんは、『お義父さん』とか呼んでくるかと思ったら、普通に名前で呼ぶしさ、」
「お義父さんと呼ばれたかったんですか?」
「いや、『おまえにお義父さんと呼ばれる筋合いはない!』とか、一度でいいから言ってみたかったんだ…!」
「「くっっだらな、」」
ニレとエテンシアのよく似た声がユニゾンした。
「ダブルで言われるのは、ちょ〜っと傷つくかなぁ…」
「でもおじいちゃん、喋れるようになったなら、どうして女帝さんに会いに行かなかったんですか?」
「え、僕はスルー?」
「お父さんはあとでね!」
「それがしが話せるようになった頃には、もはや取り返しがつかぬほどに、デメティのヴァイソル人嫌いは確固たるものになっておったでござるよ。万が一にもそれがしの姿を見かけるようなことがあれば、即座に切り捨てよと命じるほどに」
それはたしかに、あえて接近しようという気にはならないかもしれない。
そこでふと、ニレは思い出す。
《ほんとは、待ってるよ》
《いつも、想ってるよ》
《ひとりで、泣いてるよ》
昨夜、星たちが唄うような節回しで思わせぶりに囁いていたのを、その時は何のことやらと聞き流していたが、今になって腑に落ちる。
「お母さん!出番です!!」
え、とエテンシアが驚き顔で固まった。
ひと月後。
旧フィノーイ領ユフルト州に置かれた領事館は、上を下への大騒ぎとなっていた。
なんとなれば、フィノーイの女帝がお忍びで訪れたからである。
しかも、事前の告知は数日前という、前触れなしも同然の訪問だった。
新大陸でのんびり余生を暮らそうとだらけ気味だった領事は、泡を食って走り回ることになった。
「グレートフ…!」
面会室へ入ってくるなり、女帝デメティは及び腰のバイカラーたぬきを抱き上げた。
「あ、わかるんですね」
思わず話しかけてしまったニレに、デメティは涙の滲む目でたぬきをひたと見つめたまま、力強く頷いた。
「わかるとも!姿かたちは変わっておろうとも、グレートフの匂いがするからな」
「匂い…」
たぬきが、とたんにそわそわと自分の匂いを嗅ぎ始めた。
今の見た目はたぬきだが、元は人間だからなのか、特に獣臭いとかそういったことはないのだが。
「我らフィノーイ皇室の者は、ライカンスロープを始祖とするでな。並の人間よりは鼻が利くのであろうよ」
元々の性格によるものか、きびきびとしたエムラルト語で女帝は語った。
「グレートフにも、遠く帝室の血が流れていたのだな。この姿を見れば、突然失踪したわけも自ずと分かろうと言うもの。そうとも知らず、一方的に拒絶し続けた我を許しておくれ、グレートフ」
「勿体ない仰せでござるよ、我が女帝」
格式張って胸に手を当てようとしたらしいグレートフであるが、脇を掴まれてぶら下げられているのと、たぬきの腕が短いのとで、目的を果たせていない。
「グレートフとは積もる話もたくさんあり、幾重にも謝罪をしたいところだが、その前に、」
デメティはたぬきを床にそっと下ろすと、ニレに向き直った。
「そちが、グレートフの所在を知らせてくれた者であるな?我の孫娘と見たが、相違ないか?」
「ディミーロさんの娘らしいので、そういうことになると思います」
今回、グレートフの無実を晴らすにあたって、ニレが立てた作戦は次のとおりである。
五月雨通信的な星の知らせによれば、グレートフの姿を元に戻すには、デメティの協力が必要になるということだった。
しかし、直接会う機会を作らねばどうにもならないし、会えたところで即座に切り捨てられでもしたら元も子もない。
たぬきの主張では、息子のディミーロは若い頃のグレートフによく似ていると言うので、失踪直前の頃の写真を取り寄せてみたところ、骨格やぱっと見の印象が似ていた。
そこで、エテンシアがディミーロに得意の変装技術を施し、グレートフが人としてそのまま歳を重ねていたらこうなっているであろう、という姿に仕立て上げた。
それを写真に撮り、現在の所在情報と共に、ロムにお願いしてフィノーイ女帝の元まで直接運んでもらったのである。
女帝がどのように反応するか、賭けの部分もあったが、星の知らせを信じたニレは迷わなかったし、エテンシアも自らの直感をもって後押ししたので、グレートフも最終的には同意した。
果たして作戦は上手く行き、こうしてデメティが駆けつける事態に至ったわけである。
「まさか、こちらから出向かず、女帝陛下を呼びつけて海を渡らせるとは…」
イーライが脱力したように呟いている。
「ニレ、と申したか。そなたともゆっくり話したいところだが、まずはグレートフを人に戻さねばならん。こうして我を呼びつけたからには、何か算段があるのであろ?」
女帝からの御下問に対して、ニレはちょっと人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「お伽話では、悪い魔法で姿を変えられた王子様やお姫様を元に戻す方法は、だいたい決まってるんですよ、おばあちゃん」
ほとんど白髪になったまとめ髪に青い瞳のデメティは、ほんの少し目を見張ったあと、ほほっと声に出して笑った。
「まこと肝の座った娘よの。時に、祖母である我に何かおねだりでもしてみるか?今なら気分が良いので、何でも叶えてやろうぞ」
それを聞いたニレの目が、キラリとアメジストさながらに光った。
周囲の人々が、いったいどんな無茶を言い出すのかと身構える。
こういうときに、日頃の行いがものを言うわけである。
「あのっ、質問があります!もしかして、私もメタモルフォーゼできるんでしょうか?!」
期待に輝く眼差しを向けられた女帝が、一瞬言葉に詰まってから、腹を抱えて笑い出した。
「なんと!動物の姿になりたいのか?なんとも奇矯な娘に育ったものよのう、エテンシア」
唐突に水を向けられたエテンシアが、ぱかりと口を開けるが、まさか女帝から声がかかるとは思っていなかったのだろう、言葉が出てこない。
「ふむ。答えてやりたいが、我はライカンスロープではないのでな。ほれ、むしろ父のディミーロに聞いた方が良いのではないか?」
あ、忘れてた、と父の方を向けば、ディミーロが恨みがましい目つきでニレを見ていた。
「なんで父親の僕より、会ったばかりの陛下を頼るかな…。まぁいいけど。君は星の声を聴くちからを授かってるんだろう?薄々自分でも分かってるはずだよ。始祖の持っていた能力はいろいろあるが、君は星読みに全振りしているからね、変身は無理じゃないかな。もしかしたら、星読みのちからと合わせれば、動物と会話くらいはできるかもだけど、あ、ニレ、」
ディミーロの言葉に、初めはがっかりしたように肩を落としていたニレだが、後半を聞くうちにまた目を輝かせ始め、父が言い終わるかどうかで外へ駆け出して行った。
「あれは確実に、庭へ動物を探しに行きましたね」
イーライがため息をつく。
「慣れない場所で迷わなきゃいいけど」
「一番星が出る時間には、星に道を教えてもらって戻ってくるんじゃないでしょうか」
「イーライくん、意外に君、冷たいね。ニレが心配じゃないの?」
「あの子は森育ちですからね。僕などよりよほど野生の勘が働くんですよ」
そうは言いつつも、女帝に一言断ってから部屋を出て行くイーライ。
庭へニレを探しに向かうのだろう。
抑えきれない笑いをこぼしつつ、デメティがたぬきを再び抱き上げて別室へ入って行く。
「エテンシア、すまなんだな」
エテンシアがはっと顔を上げたときにはもう、別室の扉は閉まっていた。




