16 たぬきの身の上話
人間の姿に戻ったらしいディミーロが、若干後ろめたそうな表情で応接室に入ってくるのを、ニレはジト目で眺めやった。
むしろ、その背後から颯爽とやってきたエテンシアの方が、よほど男らしく見える。
エテンシアはパンツスタイルにエプロンを着け、どうやら窓磨きをしていたらしい。
「親子って、育ててなくても似るもんなんですねぇ」
「ほんとよねぇ、まさかアイザックの言い負かし方まで似てるなんて、」
ジェンとデヴォアラが、声を落として呟き合っている。
つい数日前のこと、ただ飯喰らいは性に合わないと掃除を始めたエテンシアに、通りすがりの懲りないアイザックが、例によって、ほにゃらら博士だの、なになに卿だのの文言を引用して、淑女の何たるかをこんこんと説いていたのだが、当のエテンシアは一言。
「人様の言葉ばかり借りるなんて、自分に自信のない男がすることよ!」
一閃のもと灰燼に帰したアイザックに、デヴォアラが腹を抱えて笑い、エテンシアを大いに讃えたと言うから、実の息子であるにもかかわらず実に冷淡なことである。
「あら?たしかリソンヌ州で見かけた苦み走った男前じゃない?とっさに逃げたけど、やっぱり追っ手じゃなかったのね〜」
ダンに気づいたエテンシアが、のほほんと笑う。
こうしてエスター家に受け入れられているならば、問題のない人物であろうと判断したらしい。
むしろ慌て始めたのはディミーロである。
「ちょっと待ってエテンシア。『男前』って、君ああいう男が好みなの?僕と真逆のタイプじゃないか」
「いいじゃないの、男前って思うだけなら自由だし、女は誰しも一度はちょっと危ない雰囲気の男に惹かれるものよ」
「いやだけど、それは浮気だよ!」
「結婚もしてないのに、なんなら付き合ってすらいないのに、浮気も何もないでしょ?」
またもや犬も食わない展開になってきたので、ニレは情け容赦なく本題へ引き戻した。
「お父さん、ちょっとこの子見てください」
娘にお父さんと呼ばれて相好を崩したディミーロに、エテンシアが白い目を向ける。
「どれどれ、ちょっとお父さんに見せてみなさい」
父親らしいところを見せようとでも思ったのか、ドヤ顔で近づいていったディミーロは、そこで初めて強面オヤジにぶら下げられたたぬきに気づいたようで、やややっ、と芝居がかった声を上げた。
「これはおじ上、どうしてこのようなところに!」
「「おじうえ???」」
首根っこを掴まれてしょぼくれたたぬきは、観念したのかようやく正体を明かすことにしたらしかった。
「それがし、グレートフと申す者なり。そこなディミーロの従伯父ということになっておる者にて候」
「それがし…」
「そうろう…」
イーライとニレが、真顔でリピートする。
今となっては古語の教科書にしか出てこないような、古めかしいエムラルト語である。
「出逢った頃のディミーロが、あんな感じのヴァイソル語だったわ」
感慨深げにエテンシアが回想すると、たぬきが宙吊りのまま、うむと頷く。
「ディミーロにヴァイソル語を教えたは、それがしなれば」
「道理で!」
たぬきは来し方を語りながら、さめざめと涙を流し始めた。
「それがし、育ちし国はフィノーイなれど、生みの親はヴァイソルの者にござる。赤子の時分、縁戚にあたるフィノーイ貴族へ里子に出されたがゆえに、ディミーロの母親デメティとは従兄妹の間柄にて候、」
延々続きそうなグレートフの長々しい口上を要約すると、養子縁組先の家がフィノーイ帝室に近い家柄であったため、幼い頃から皇太女であったデメティとは交流があり、早い段階で婚約を結ぶに至ったという。
その頃のデメティは、今ほど気性が激しくはなく、一途で愛情深い女性であったらしい。
ところが、
「婚姻も間近となったある日のこと、それがしは突然にメタモルフォーゼを起こし、たぬきの姿から戻れなくなってしもうたのでござる!」
ディミーロは、初めてのメタモルフォーゼから難なく人の姿に戻れたようだが、グレートフの場合はライカンスロープの能力が中途半端に顕現したのか、戻り方が分からないのだということらしい。
初めのうちは人語すら喋れなかったため、誰にも事情を告げることができず、十重二十重に護られたデメティには近づくこともできない。
無理に接近を試みれば、むしろ珍しい生き物だと捕獲されて売り飛ばされそうになる始末。
命からがら逃げ出した先で、運良くたまたま出くわした動物好きの町医者に匿ってもらって、ようやく食事と安全な寝床を確保したのだとか。
「当然、デメティにはそれがしが突然姿を消したように見えたでござろう。裏切り者めと怒り狂うて、ヴァイソル人の皇宮への一切の立ち入りを禁ずと御触れを出したそうでござる」
グレートフは、あるかなきかの眉をしょんぼりと下げて見せた。
結婚直前でそんな状況に追い込まれれば、それは落ち込みもするだろう。
その後、女帝として即位したデメティは、家臣によってあてがわれた者を伴侶としたが、夫婦仲は冷え切っており、現時点において後継はいないということになっている。
しかしながら即位前、密かに産んだ子がいることは、帝室に近しい貴族ならば誰もが知る公然の秘密だという。
つまりそれが、ディミーロだということなのだろう。
そこでダンが、何かに気づいた顔をして身じろいだ。
「おいおいおい、やめてくれよ、まさか。そこの小娘の父親の父親ってのは、」
「面目次第もござらん。おそらく、それがしにござろう」
「おじいちゃん!」
ニレは思わず叫んだ。
フィノーイは、婚前交渉について比較的寛容なお国柄である。
デメティもグレートフも、互い以外を伴侶にする気はなく、メタモルフォーゼの問題さえ生じていなければ、多少順番が狂っても、何の支障もないはずだったのだ。
「このような身と成り果てたそれがしを、祖父と呼んでもらえるとは…」
感極まったたぬきが、また声を湿らせ始めた。
「で、どうやって喋れるようになったんですか?」
グレートフの湿っぽい感慨をぶった斬って、ニレが疑問を解消しにかかった。
グレートフは、しばしぱちぱちと瞬きしたあと、諦めて話し出した。
「ある日、町医者がヤモリ姿のディミーロを連れ帰り候。それがしが申すのもおかしな話なれど、つくづく変わった生き物に縁のある男でござるよ。ライカンスロープ同士ゆえか、親子の血のなせるわざか、ディミーロにはそれがしの言葉が初めから通じたのでござる。そして、ディミーロと接するうちに、自然と今のように話せるようになった次第に候」
「フィノーイからの船に捕らわれていたのは、なぜですか?」
イーライの問いに、さよう、とたぬきは重々しく頷いた。
「町医者は腕の良さを見込まれて、このところ貴族たちからの依頼が引きも切らずでござりましてな。やっかんだ者が彼の自宅へ侵入し、それがしを商売敵の研究成果か何かと思い込んだのでありましょうぞ。さらわれて解剖されそうになり、」
「「えっっ!!」」
「危ういところを逃げ出したでござるが、そこを強欲な商人に見つかり、船に積み込まれたのでござる。それでこうして孫娘にまで会えたのでござるから、今となっては、神の思し召しに候」
たぬきは感慨深そうに目を閉じて、何度も頷いていた。




