12 母来たる
時は深夜。
所はエスター家、庭の片隅にあるベンの小屋である。
半刻ほど前、部屋の窓から夜空を眺めていたニレは、星々の声に呼び出された。
《北天のぬしの子、外へ出てごらん》
《はやく、はやく》
《待ってる人がいるよ》
庭へ出てみるとベンの小屋に灯りがついており、ノックと声かけをしつつ中へ入ってみると、男装の麗人がベンに作ってもらったらしい麦粥を食べていた、というわけである。
おそらく母親であろう人ではあるが、エスター家においては許可なく立ち入った不法侵入者には違いない。
対処に困ったニレは、例のごとく夜更かし読書中の次兄を呼びに行った。
文句を言いつつも、イーライはすぐに本を置いてついてきてくれた。
いま彼らの前で土下座するエテンシアの、元は長く美しかったであろう黒髪は、ばっさり短く切られている。
薄く凹凸の少ない体型もあいまって、ぱっと見は男性のようである。
普段はさらに特殊メイクで男性らしい顔立ちに見せたり、サラシなどで男性の体型に近づけたりしているという。
「子どもの頃、近所に変装が特技の小父さんがいてね、いろいろとコツを教わったものだけれど、まさかこんな形で活かせる日が来るとはね」
その小父さんが法に反する生業に手を染めていないことを、祈るばかりである。
「小父さんは、顔も体型もまったく別人みたいになれたのよ。それで夜になるとどこかへ出かけて行ってね、素敵な指輪や首飾りなんかを、どこからともなく手品みたいに出してくるのよ」
だいぶ怪しくなってきた。
「初めは、どんな事情があるにせよ、子どもを捨てた母親がどのツラ下げてって思ったのよ。でも、娘の成長は見守りたいし、だから変装して近づいたの」
変装、と言っても、老女にまでなる必要がはたしてあったのだろうか。
「お伽話のやさしいおばあさん、って親しみやすいでしょ?」
それなら、黒いローブではなく、ボンネットに手編みのショールあたりの方が適している気がする。
「でもニレったら、全然気づいてくれないんだもの。だんだん意地になって来ちゃって」
「それで名乗る機会を逸したと、」
ニレとて三年目くらいで、あれ?と思わないではなかったのだ。
この人、もしかして実はけっこう若いんじゃないの、と。
まさか、母親とまでは思わなかったわけだが。
「それでもう、林檎売りのおばあさんはやめたんですか?」
「そりゃ、あなたがエスター家に引き取られたからね。今どき都会で全身をローブで覆うような格好をしたら、目立ってしょうがないじゃない?いい機会だと思って、覚悟決めて正体を明かすことにしたのよ」
「ニレ、君の実母は変わっているな」
イーライがしみじみと言った。
デヴォアラとて上流階級の奥方にしたらまあまあ変わっている方ではあるが、そのふたりが親友だったというのだから、類は友をなんとやらであろうか。
「そう言えば、デヴォアラさんには会って行かないの?」
「うーん、だって一言も相談せずに雲隠れしたわけだし、怒ってるんじゃないかと、」
「そうね」
「、デヴォアラ!」
どこでどう嗅ぎつけたものか、いつの間にか小屋の入り口にデヴォアラが立っていた。
いやでも、それはいろいろと、事情が、あの、などと言い訳しようとしてしきれないエテンシアに、駆け出したデヴォアラが体当たりした勢いで抱きついて、そのまま子どものように泣き始めた。
こうなると長いですからな、と言って、よっこらしょと立ち上がったベンが、涸れっ涸れの出涸らし茶を入れにキッチンへ向かった。
昔はヴァイソル語しか話せなかったエテンシアであるが、娘といつか話せるようになりたい一心で、ホタリ州の公用語であるエムラルト語を話せるようになったらしい。
おそらくは、その方が身を隠すにも都合が良かったのだろう。
「それにしても、ニレと声がよく似てますね」
イーライが丁重な物言いで話しかけた。
「そうでしょう?」
なぜか自分のことのように自慢げなデヴォアラ。
狭い小屋に、家主も含めて五人がぎっちぎちに詰まっている。
椅子が足りず、園芸用の脚立や花台まで引っ張り出すことになった。
「それで、ニレの父親は生きてはいるのね?」
「だと思うわ、会えてないけどね」
ニレの父親は、フィノーイ出身らしい。
つたないヴァイソル語で一生懸命話そうとしてくれるところに、エテンシアが惚れ込んだのだとか。
「ディミーロは、ラモワ州在住の友人を訪ねてきていたのだけど、公園で落とした髪留めを探していた私を手伝ってくれて、池の中まで入ってくれたのよ」
ニレの父親はディミーロと言うようだ。
「それで意気投合して、一気に結婚まで話が進みかけたところで、彼の母親が出てきたわけよ」
「反対されたの?」
「反対どころじゃないわ!個人的な恨みか何かで、大のヴァイソル人嫌いらしくてね、別れなければ命を捨てる覚悟をしろとまで言われたわ」
それは、なかなか苛烈な母親である。
「それで別れたの?」
「まぁね、彼の方が怯えてしまって。だけど、半年後、またこっそり訪ねてきてくれて、まぁそれでニレを授かるわけだけれども」
両親の寝室事情はあまり知りたくなかったなぁ、とニレは思った。
「それが彼の母親にバレて、刺客を差し向けられてね」
「え、何者ですか、その人」
「フィノーイの女帝さん」
ニレは顎が外れるかと思った。
周囲も石像のごとく固まっている。
「じょてい?」




