11 お伽話の魔女
「その人にはどこで会ったんですか?!」
アウロラが急くように尋ねるが、ダンはかぶりを振った。
「俺が彼女を見たのはリソンヌ州の宿場町だったんだが、俺を追っ手か何かだと勘違いしたのか、あとになって手下を差し向けたときには、もういなくなってたんだよ」
彼女がしばらくの間、暮らしていたらしい部屋はもぬけの殻となっていたが、ただひとつ、窓辺に林檎が置いてあったと言う。
「……林檎?」
「林檎」
「冗談じゃなくて?」
「冗談つぅのは、ありえねぇな。俺の部下の中でも、そいつは折り紙つきの石頭なんだよ。未だかつて、俺の会心のギャグが通じた試しがねぇ」
ダンが、やれやれと言いたげに手のひらを持ち上げて見せた。
「会心のギャグ…」
「そいつは、なんか知らんが洒落もんでなぁ。やたらと格好つけたベストなんか着てやがるんでな、洗濯場に忍び込んで、ちぃとベストの背中に落書きしてやったわけよ。『彼氏募集中』ってな」
「ガキんちょのやることですね」
思わずニレが突っ込む。
その時、居間の扉がノックされて、ひとりの少女が入って来た。
「ダンさん、お茶持ってきたよ」
「おぉ、マリーか。ご苦労だったな、そこに置いといていいぞ」
おさげ髪の少女は十代半ばくらいに見える。
労働者階級の娘らしいぞんざいな話しぶりだが、顔立ちは可愛らしい。
小綺麗な服装をしており、使用人という感じはしなかった。
この家があるあたりは、お大尽が別宅を構えて愛人を住まわせたりすることが多い地域である。
もしやロリコンか、と疑惑の目を向けたニレたちに、ダンは「ちげぇよ」と、面倒そうに顔の前で手を振った。
「こいつ、親がクズでよ。搾取されてるのがあからさまだったんで、いったん肉親から引き離したんだ」
マリーが、こくこくと頷く。
ダンに対して特に怯えるような様子もなく、嘘をついているようには見えなかった。
「ところがだ、義侠心だか下心だか知らねぇが、マックスの坊っちゃんが、花屋のマリーが俺の愛人にされたのなんのと息巻いて、迷惑だったらありゃしねぇ」
アイザックがこの一件に巻き込まれた経緯が、なんとなく見えてきた。
「マリーさんは、マックスのことは…」
アウロラの問いかけに、マリーは首を横に振った。
「ただの花屋のお客さん」
マックスとしては、倉庫街で騒ぎを起こした隙にマリーを助け出そうとしたようだが、マリー自身がはっきりと拒絶したという。
お門違いとは言え、ずいぶんと思い切ったことをしてまでマリーのために動いたというのに、マックスは実に報われない男である。
「ともかく、林檎の謎かけの意味は分かりました。念のため逃げたはいいけど、追っ手じゃないと薄々分かっていたんでしょう。私の知り合いである可能性に賭けて、手がかりを残したんだと思います。たぶんそのうち、本人から接触してくるんで、大丈夫です」
片手を上げて立ち上がり、すたすたと歩き出すニレを、同行の三人が慌てて追う。
「おいおいおい、ちょっと待て小娘、何が分かったんだよ、こら!おじさんにも教えてくれよ、気になるじゃねぇか!!」
調子を崩されてソファから体を起こしたダンと、呆気にとられた様子で目を丸くするマリーに構わず、ニレはダンの家を出た。
森の一軒家で、ひとりの幼い少女が留守番をしていると、ある日、黒いローブで目元を隠した老女がやってきて、窓から林檎を差し出した。
「おいしい林檎だよ。おひとつどうだい、お嬢さん」
「知らない人から物をもらっちゃいけないって、おばばに言われてる」
少女はきっぱり断った。
老女は戸惑うような気配を見せたが、すぐにまた気を取り直したように話し出す。
「そうかい、なら仕方ないね。じゃあ、暇つぶしに面白い話でもしてやるから、中へ入れておくれ」
「知らない人を家に上げちゃいけないって、おばばが」
「うーん……そんなら、ちょっとこの軒下で休ませておくれ。その間に何か話でもしようじゃないか」
「軒を貸して母屋をとられるって、おばばが」
老女はがっくりと首をうなだれさせた。
「いったいどう育てたら、こんな頑固娘に育つんだか……まぁいいよ、用心深いのはいいことだからね。また来るよ」
老女はため息をつきつつ帰って行った。
今日、顔見知りになったのだから、次は知らない人扱いはしないでおくれ、と言い置いて。
夕方になって帰宅したおばばに老女の話をすると、おばばは何かすっぱいものでも食べたような顔をしてから、その老女に限っては窓越しに林檎をもらうくらいなら良いと言った。
それから一年に一度くらいの頻度で、老女はおばばの家へやって来た。
老女が来るのは決まって家主のいない時で、何かこだわりでもあるのか、いつも林檎を持って来た。
おばばの言いつけには忠実な少女は、窓越しに林檎をもらって短い会話を交わす程度にとどめていた。
老女は訪れるたびに、どこかで仕入れてきたらしいお伽話を披露していくのだが、その中に出てくる黒いローブをかぶった老女というのはたいてい魔女で、悪役として描かれている。
特に、森で暮らす少女に毒林檎を渡す魔女の話は、どうしてあえてその話をチョイスしたかな〜、と少女は思っていた。
そして今、ニレの前には平身低頭する女性がひとり。
「たいっへんっ、申し訳ございませんでしたっ!」
実にキレのいい謝罪である。
指先の揃え方や肘の角度、まっすぐに保った背筋に至るまで、まことに由緒正しき土下座であった。




