10 ニレの母親
「それで、今まで話に出たこともなかったが、おまえ実の親はどこの誰だか知ってるのか」
ニレたちを屋内に招き入れてから、ダンはおもむろに尋ねてきた。
デヴォアラはニレを引き取ったのち、親友だというエテンシアについて知る限りのことを教えてくれた。
デヴォアラの夫ダヴィッド・エスターは、生まれも育ちもここホタリ州であるが、デヴォアラ自身はさらに北寄りのラモワ州出身である。
『新大陸を発見』したのは中央大陸の大国エムラルトであるが、それに追従して、同じ中央大陸のヴァイソルとフィノーイが開拓に参戦し、領地獲得のしのぎを削ることになった。
結果、東から南にかけての州がエムラルト語、北はヴァイソル語、西がフィノーイ語と、地域によって州の公用語が異なる事態となった。
その後、それぞれの母国からの干渉を嫌って三つの地域が手を組み、やがて国として独立を勝ち取ることとなったわけであるが。
それに伴い、最も使用人口の多いエムラルト語が国の第一公用語とされたが、他の二言語も公用語として認められている。
デヴォアラは母親の出身地であるホタリ州の公用語エムラルト語も話せたが、隣の家に越してきた人たちはラモワ州の公用語であるヴァイソル語しか話せなかった。
中でも、デヴォアラと同じ年頃の少女エテンシアは、とてもきれいなヴァイソル語を話したと言う。
また、隣家の使用人らしき夫婦は、エテンシアに対して遠慮がちな態度で接しているようだったことから、デヴォアラの両親は、彼らをヴァイソル本国からの亡命貴族とそのお付きなのではないかと見ていた。
神秘的な瞳を持つエテンシアが学校へ通い出すと、男女問わず多くの人が周囲に群がったが、一番の親友はデヴォアラだと、エテンシア自身が公言していたようだ。
年頃になったデヴォアラは、長期休暇で訪れていた母の実家で、たまたま従兄弟を訪ねてきていたダヴィッド・エスターに一目惚れする。
けれど、当時ダヴィッドにはすでに、周囲が「たぶんあのふたりはいずれ結婚するのだろう」と噂するほど仲の良い少女がいたので、さすがのデヴォアラと言えども、恋に猛進とはいかなかった。
傷心を抱えてラモワ州へ戻ってきたデヴォアラに、エテンシアがあっけらかんと言った。
「あなたの気持ちを手紙にして、伝えてみたら?返事が来なければそれでいいじゃない。でもね、私の直感はきっとうまくいくと告げているのよ」
半信半疑ながらも親友の言葉に従ってみたところ、ダヴィッドもデヴォアラに好印象を持っていたようで、とんとん拍子に婚約へと話が進んだ。
仲の良い少女のことは、ダヴィッドとしては友人を超える存在とは思っていなかったらしい。
デヴォアラは実に幸せな花嫁として、エスター家へ嫁いだ。
大切な友人であるエテンシアとは離れ離れになるが、州は違えど同じ国の中、鉄道も整備されたこんにちであれば、行き来はそう困難ではない。
嫁いですぐに授かった長男の出産後には、エテンシアがお祝いに駆けつけたし、次男出産後数年経った頃には、当時まだ壮健だったダヴィッドの母に子どもたちを預けて、デヴォアラひとりでエテンシアとの旧交をあたためにラモワ州へ向かっている。
久しぶりにエテンシアと会ったこの日、デヴォアラはすぐにまた親友に会えると信じて疑っていなかった。
けれど、あとから思い返せば、エテンシアの顔色はあまり良くなかったようにも思う、とデヴォアラは語った。
タミが、生まれて間もないニレをその母親らしき人物から託された日から逆算すると、ふたりが最後に会ったこの時、すでにエテンシアは妊娠していたのではないかと考えられる。
エスター家へ戻ってすぐ、デヴォアラはいつものようにエテンシアへ、近々また会いましょうと手紙を書き送った。
当時電話はまだ、ごく一部の家庭にしか引かれていなかったのだ。
これまでならさほど待つことなく返事が来ていたのに、この時は待てど暮らせど彼女からの手紙が届くことはなかったが、デヴォアラは初め、さほど気にしていなかった。
距離がある分、やり取りには時間がかかるし、郵便物が行方不明になる事故はそう珍しくもないことだったからだ。
しかしそうこうするうちに、実家からの連絡で、エテンシアがいなくなったことを知る。
ある晩、近くで大きな物音や大声が聞こえたと思ったら、翌朝には隣家の人々が煙のように消えていたというのだ。
エテンシアはデヴォアラからの恋の相談にはいつでも快く応じたが、自らの恋やその他の悩みごとについて語ることは皆無だった。
複雑な身の上であろうと推測されるがゆえに、デヴォアラも突っ込んで聞くことはためらわれた。
「そんなわけで、父親が誰なのかは私も知りません」
語り終えたニレに、ダンはふぅむとあごをさすった。
「まぁなんだ、たぶん俺はおまえの母親に会ったことあるぞ」
「え、」
「つい三か月ほど前か。おまえとよく似た女だった。と、思う」
なんだか、微妙な言い方だ。
「男の格好をしていたんでな」
ついこの間、どこぞの後妻もどきが女装男子と判明したばかりで、今度は己れの母かもしれない人が男装か、とニレは苦い表情になった。
「それは、身を隠すためということでしょうか」
イーライがダンに問いかけた。
「おそらくな。レンズに少しばかり色のついた眼鏡をしていた。だから、初めは瞳の色に気づかなかったんだ。だが、俺はニレを先に知っていたからな。顔の作りが似ていると思ったんだ。それで見ていて気づいた、あ、こいつは女だと」
自分だから気づけた、それくらい見事な化けっぷりだったと、ダンは笑った。




