第7話:初めての週末。ペア食器は「友達」の証?
週末の土曜日。雲一つない青空の下、私は大型家具店のシャトルバスに揺られながら、車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
「……置いていかないで、かぁ」
あの熱でうなされていた夜、美空が消え入りそうな声で呟いた言葉。
あれから私の熱はすっかり下がり、体調も万全に戻ったのだけれど、あの言葉だけが頭の芯にこびりついて離れない。
翌朝、美空に「なんか言った?」と恐る恐る聞いてみたものの、彼女には「さあ? 楓がうわ言を言っていたんじゃない?」と、いつもの涼しい顔で一蹴されてしまった。
やはり熱のせいではっきりとしない私の耳が、都合のいい幻聴でも聞いたのだろうか。
「楓、次のバス停で降りるよ。荷物、忘れないでね」
隣に座る美空に声をかけられ、私はハッと我に返った。
「あ、うん。分かってる」
今日、私たちがやってきたのは、青と黄色の看板が目印の、北欧生まれの巨大な大型家具店だ。
上京して一週間。お互いの私物は片付いたものの、リビングのゴミ箱やキッチンの収納、小皿といった『二人で使う日用品』が圧倒的に足りていないことに気づき、初めての週末を利用して買い出しに来たのだ。
バスを降りてエントランスをくぐると、そこは気が遠くなるほど広大な空間だった。
まるでお洒落なテーマパークのようなショールームを、順路に沿って歩いていく。
「うわぁ……すごい。この部屋のコーディネート、めちゃくちゃ可愛い……」
北欧風のモダンな家具で統一されたリビングのディスプレイを見つめ、私は目を輝かせた。しかし、そんなテンションとは裏腹に、周囲の客層を見て、少しだけ居心地の悪さも感じてしまう。
周りを見渡せば、家族連れや新婚らしき夫婦、これから同棲を始めるのであろう若い男女のカップルばかり。みんな「このベッドどうする?」「こっちのソファの方が部屋に合うんじゃない?」なんて、幸せオーラを隠そうともせずにイチャイチャしながらカートを押している。
(う、眩しい……。これぞ思い描いていた都会のお洒落なカップルたちの週末……!)
独り身――厳密にはルームシェアだけど――の自分としては、圧倒されすぎて直視することもできない。
必要なものだけを買ってさっさと退散しよう。そう決意して歩みを早めようとした、その時。ガラガラと大きなカートを押す美空が、私のすぐ隣にピタリと並んだ。
そして、何事もないかのように、私のカーディガンの裾をぐいっと引っ張った。
「楓、迷子になるからそんなに急がないで。……あと、ちょっとこれ見て」
「え? 何?」
美空がカートを止めて指差したのは、キッチン用品のコーナーだった。棚の一角に、色鮮やかな食器類が綺麗にディスプレイされている。その中で、美空が迷いのない手つきで二つのマグカップを手に取った。
それは、陶器製のシンプルなマグカップだった。ただ、形は全く同じで、片方は淡いピンク色。もう片方が落ち着いた色のくすんだブルー。
「これ、私たちの部屋にどうかな」
美空はピンクのカップを私に差し出し、ブルーのカップを自分の胸元に当ててみせた。
「えっ……それって、どう見ても色違いのペアマグカップじゃ……」
私は思わず一歩引いた。
お店のポップにも『新生活を始めるお二人に!』なんて、思いっきりカップル向けの商品としてアピールされている。
「ちょっと、美空。こういうのは普通、恋人同士が買うものでしょ。私たち、ただの同居人なんだから、もっと業務用みたいなシンプルなやつでいいって。あるじゃん。なんかこう、半透明のプラスチックみたいな……」
ルールその三。過去の思い出話、およびそれに類する接触は原則禁止。
こんなカップル丸出しのアイテムを日常的に使っていたら、境界線が狂うどころの騒ぎではない。私は必死に防衛線を張ろうと試みた。
しかし、美空は一ミリも表情を崩さない。むしろ、大真面目な顔をして、私をじっと見つめてきた。
「そんなの別に気にする必要ないでしょ。女の子同士だよ?」
最強の免罪符が、本日も綺麗に発動した。
「女の子の友達同士でお揃いの可愛い食器を使うなんて、今時普通だよ。それとも楓は、私とお揃いにするのがそんなに嫌?」
「い、嫌ってわけじゃないけど……」
「じゃあ、これで決まりね。お皿も、同じシリーズのピンクとブルーのやつにしよう。あ、スプーンとフォークも色違いがあったから、それも持ってくるね」
「ま、待って、待って! 食器類、全部ペアにする気!? 市之瀬さん、重いです!」
「重くない。友達同士なら別に普通」
反論する間もなく、美空の手によってカートの中がみるみるうちに『ピンクとブルーの幸せグラデーション』で埋め尽くされていく。
断ろうにも、美空の「女の子同士の友達なんだから普通」という論理の前に、私はぐうの音も出ない。カートの中のペア食器たちを見つめながら、私は遠い目をせざるを得なかった。
周りの同棲カップルたちが「これ可愛いね」と言いながらカゴに入れているものを、私たちも全く同じ流れで買い進めている。完全に美空の独断だが、傍から見れば私たちもカップルの一部に見えていることだろう。
「あれ……なんか思っていた買い物と違うな……」
思わずぎこちない笑みを浮かべる。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「大丈夫だよ、楓。予定していたものは全部買えてるから」
「そ、そっか……予定通りならいっか……」
何かが根本的におかしい気がするけれど、美空の涼しい顔を見ていると、私の気にしすぎなのだろうかという錯覚に陥りそうになる。
結局、美空の圧倒的な推進力により、私たちはペア食器一式といくつかの日用品を購入して、帰路につくことになった。
――
「ふぅ……重かったぁ。でも、これで一通り揃ったね」
帰宅後、リビングのテーブルに買ってきたものを並べる。美空はさっそく、新しく買った食器たちを洗面所で綺麗に洗ってきてくれた。
「楓、お疲れ様。少し休もう。ココア、淹れるね」
「あ、ありがと。手伝うよ」
「座ってて。楓はまだ病み上がりなんだから」
美空はそう言って私をソファに座らせると、手際よくキッチンでココアを用意し始めた。やがて、甘くて香ばしい匂いがリビングに漂ってくる。
「はい、どうぞ」
美空が私の前のテーブルに置いたのは――さっき家具店で買ったばかりの、淡いピンク色のマグカップだった。中には、ふわふわのミルクが泡立った温かいココアが入っている。
そして、美空自身は全く同じ形のくすんだ色のブルーのマグカップを両手で持ち、私の隣にすっと腰掛けた。
ソファに座る私たちの手には、ピンクとブルーのマグカップが並んでいる。お互いがリラックスした格好をして。一つのソファで隣り合い、温かい飲み物を飲んでいた。
リビングのテレビからは、のんびりとしたバラエティ番組の音が流れている。
新しく買ったゴミ箱、お揃いのお皿、そして手元にある色違いのマグカップ。
私はココアを一口飲み、その圧倒的な居心地の良さに息を漏らすと同時に――強烈な既視感に襲われて、ハッと目を見開いた。
(待って。これ、シチュエーションとして完全にアウトじゃない……!?)
大学の友人に「週末、ルームシェアの相手とIKEAで色違いのペア食器一式買って、お家で並んでココア飲んでるんだ」なんて言ったら、百パーセントの確率で『それルームシェアじゃなくて同棲じゃん』と突っ込まれる。
女の子同士だから普通。美空はそう言ったけれど、この部屋に漂っている空気感は、どう見てもただの友達のそれではない。お互いの距離は、いつの間にか肩が触れ合うほどに近くなっているし、美空はココアを飲みながら、時折愛おしそうな目で私の横顔を盗み見てきている。
「……どうしたの、楓。ココア、熱かった?」
美空が不思議そうに覗き込んできた。その唇は、今朝も私が洗面所で貸してあげた――厳密には奪われた――リップクリームのおかげか、ほんのりと艶を帯びていて。
見ているだけでどきりとしてしまう。
「な、なんでもない! ちょっと考え事してただけ!」
私は慌ててピンクのマグカップで顔を隠すようにして、一気にココアを飲み干した。
過去のことは綺麗さっぱり割り切れるだなんて、やっぱり嘘だ。
私たちは別れたはずなのに。新しい生活を始めたはずなのに。
部屋の中が美空の色に染まっていくたびに、私の心はどんどん、元カノという底なしの沼に引きずり戻されていく。
「これじゃあマジでただの同棲だよ……」
小さく頭を抱える私に、隣の美空は気づかない。いや、気づいていてわざとやっているのか。
ブルーのマグカップを傾ける彼女の口元が、心なしか満足げに歪んだのを、私は見逃さなかった。




