第47話:高校時代の「やり残し」全回収のおうち映画館
夏休みの午後。窓の外では、朝から土砂降りの雨が降り続いていた。
窓ガラスを叩く雨粒の音が規則正しく響き、薄暗い部屋の空気をいっそう静かに沈めていく。
本来ならば今日は美空と二人で新しい水着を買いに行くつもりでいた。しかし、この豪雨によってお出かけの予定はあえなく潰れてしまったのだ。
部屋で時間を持て余していた私たちは美空の提案で映画を見ることにした。
カーテンを固く閉め切り、リビングの電気を消す。暗闇の中に浮かび上がるのは、テレビの液晶画面から放たれる青白い光だけだ。これだけでもだいぶ雰囲気が出る。
「はい、ココア淹れたよ。熱いから気をつけてね」
「ありがとう、楓」
「雨じゃなかったらポップコーンも買いに行ったんだけどなぁ」
私がローテーブルに二つのマグカップを置くと、ソファに座っていた美空が横にずれてスペースを空けてくれた。
二人並んでソファに座り、膝掛けを一緒に羽織る。画面の中では、海外の恋愛映画のオープニングクレジットが流れ始めていた。アメリカ合衆国大統領の息子とイギリスの王子が恋に落ちる物語なのだそうだ。
「……なんか、こういうの懐かしいね」
温かいマグカップを両手で包み込みながら、私がぽつりと呟く。
「懐かしい……?」
「うん。高校二年の秋頃かな。美空の家で二人でDVD観たじゃん。覚えてる?」
「……うん、覚えてる」
「あの時はさ、美空のお母さんがいつ帰ってくるかヒヤヒヤしてて、テレビの音量をすごく小さくして……お互い緊張しすぎて、肩が触れ合うのも焦って、手すらろくに繋げなかったよね」
「……そうだね」
あの頃の私たちは、付き合っていたけれど、どこかで常に『誰かに見つかること』に怯えていた。大好きなのに、触れたいのに、どこか一定の境界線を越えられないまま、息を潜めて映画を観ていたのだ。
「あの時は、映画の内容なんてちっとも頭に入ってこなかったな」
「……私も。楓の横顔ばかり気になって、画面なんて全然見てなかった」
美空は静かにそう答えると、手にしたマグカップをテーブルへと戻した。
映画が始まって、ほんの数分が経った頃。画面の中で登場人物たちが会話を交わす音声を背景に、不意に隣の体温がぐっと近づいてきた。
「わっ……!? 美空!?」
驚く間もなく、美空の身体が私の上へと滑り込んでくる。
美空はソファの上で私の太ももに跨るようにしてすっぽりと乗っかると、そのまま両腕を私の首元に回し、正面から強く抱きついてきたのだ。
「ちょっと美空? 映画見ないの?」
暗闇の中、テレビ画面の光が美空の美しい横顔をぼんやりと照らし出す。
美空は私の首元に鼻先をすり寄せ、甘く熱い吐息を漏らしながら、なんでもないことのように呟いた。
「どうでもよくなっちゃった。……今は、楓のことしか見たくない」
「どうでもいいって……美空が見たいって言った映画なのに……んっ!?」
抗議しようとした私の言葉は、首筋をなぞる美空の指先によって小さく途切れた。美空の手が、私の服の裾からすっと中へ滑り込んでくる。柔らかく温かい手のひらが、私の背中や首筋の皮膚を、まるで壊れ物を確かめるかのように愛おしそうになぞっていく。
「み、美空……っ、くすぐったいし、手……っ」
「動かないで、楓。……少しだけ、このままでいさせて」
美空の掠れた声が、暗闇の中に溶けていく。いつものクールで強気な態度とは違う、どこか切なく揺れるトーン。それに気づいた私は、身体の力を抜き、美空の頭にそっと手を添えた。
「……あのね、楓」
首筋に顔を埋めたまま、美空がぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「高校の時……本当はね、毎日こうやって楓を強く抱きしめたかった」
「え……?」
「お母さんが帰ってくるのに怯えていたのも、映画に集中できなかったのも……全部嘘じゃないけど。本当は、目の前にいる楓に触れたくて、好きだって叫びたくて、胸が張り裂けそうだった」
背中に回された美空の手の力が増していく。折れそうなほどの強さで、私を逃がさないと言わんばかりに抱きしめられる。
「でも……あの頃の私は臆病で、楓ともっとこういうことをしたかったけど……触れたい気持ちを、必死で押し殺してたんだよ」
「そ、そうなの? だって、美空、高校の時、私がそういうことをしようとするといつも嫌がってたじゃん。大学生になってからにしようって。てっきりそういうことに興味ないか、私よりずっと冷静なんだとばかり思ってたんだけど……」
「ひたすら我慢してたんだよ。高校生のうちに楓とそういうことをして気持ちよさを知っちゃったら、私、頭おかしくなる。受験勉強なんて手につかなくなるに決まってるもん」
美空の顔が見たこともないほど真っ赤に染まる。
「……一人で勝手に思い詰めて楓をフるなんて馬鹿なことをするぐらいならさっさと既成事実を作っちゃえばよかったんだけどね。意地を張って、プライドばかり高くて……本当に自分で自分が嫌になるよ」
過去の自分の愚かさと、長い間一人で抱え込んできた寂しさ。その痛みを今ここで埋めるかのように、美空は全身で私に抱きついていた。
胸が締め付けられる。私をフったあの日も、離れていたあの時間も、美空はずっと私への巨大な愛と後悔に押し潰されそうになっていたのだ。
「もう……泣かないで、美空」
私は美空の背中にしっかりと両手を回し、力を込めて抱き返した。
「私はもう、どこにも行かないよ。……美空がどれだけ重く抱きついても、絶対に離れないから」
「……楓」
私の胸の中で、美空が小さく息を呑む気配がした。
やがて、美空がゆっくりと顔を上げた。
青白い光に照らされた美空の瞳には、透明な涙がうっすらと浮かんでいた。けれどその表情には、もう過去の迷いや恐れなんて微塵も残っていなかった。
宿っているのは、狂おしいほどの愛と、どこまでも深い執着だ。
美空は濡れた瞳で私をじっと見つめると、至近距離で甘く重い声で囁いた。
「……あの頃できなかったこと、我慢させられたこと……全部、今から二人で回収するから」
「え……?」
「どこにも行かないって言ったよね、楓。高校時代の『やり残し』。一つ残らず全部、一緒に上書きしよう?」
「そ、そういう話になるの……!?」
宣言と同時に、美空の顔が迫ってきた。
「ん……っ!?」
重なる、唇。テレビから聞こえる映画の音声を背景に、暗闇の中で濃厚なキスが交わされる。
一度では終わらない。触れ合うだけの優しいキスから、お互いの体温を貪り合うような、深くて甘いキスへ。美空の舌が私の唇を割り込み、逃げ場をなくすように深く絡みついてくる。
「んふ……っ、ん……み、空……っ」
「ふ……んっ……まだまだ、足りない……」
「ん……っ!」
美空の舌が私の口腔を容赦なく犯していく。唾液が混ざり合い、息をする暇もないほど激しいキスだ。
唇を絡ませながら、美空の手が私のTシャツの裾を乱暴に掴んだ。シャツを引き裂くような勢いで上へと剥がされていく。私は、美空が脱がせやすいように身体を少し浮かせた。
抵抗するはずがない。私だってもっと早く美空とこうなりたかったのだ。むしろ、この邪魔な布きれをさっさと取り払ってほしかった。
「楓……っ」
吐息と共に名を呼んだ美空の声は、焦がれるほどに熱かった。薄暗い中でも感じる彼女の視線が、肌を刺す。シャツが床へ滑り落ちる音がやけに大きく響いた。
露わになったブラジャー越しに、美空の手のひらが迷いなく覆ってきた。
「んっ……」
思わず喉から漏れる声は、我慢する間もなく美空の唇に吸い込まれていく。
「楓……綺麗だよ」
唇を離した美空が呟きながら鎖骨に舌を這わせる。美空の唇が鎖骨を這い、舌が鎖骨のくぼみをなぞる。思わず腰が震えた。
力が抜け、ソファの肘掛に体が沈んでいく。美空の手がショートパンツの内側に滑り込み、下着の布地越しに敏感な部分を押さえた。
「もうこんなに感じてくれてるんだね」
美空の目が異常な輝きを帯びている。長い間抑え込んできた欲望が爆発しているようだ。
「……私もだよ、楓」
美空は自らもショートパンツを下ろし、私の手を自身の股間に導いた。指が触れた瞬間、熱が指先にまとわりつく。
「ほら……楓としたら、すぐにこんな風になっちゃうんだ」
「美空……」
じれったい手つきで互いの下着を剥ぎ取ると、裸の肌が絡み合った。美空の手が降りてきて、私の生暖かい箇所に直に触れた。
電流が走ったような鋭い快感が下半身を貫き、思わず嬌声を漏らしてしまう。
指が深く埋め込まれていく。美空の腰が動き出し、自らの下腹部を私の脚に擦り付け始めた。
「もっと……楓も動いて」
彼女の命令に従うように脚を開くと、美空の指がさらに激しく動いた。
「んっ……あぁっ!」
視界がチカチカと明滅し、波が高まる。あと少しで頂点に辿り着ける。そんな確信めいた予感があった矢先だった。
おもむろに美空が手を離して立ち上がる。
「え……っ?」
喪失感で思わず虚空に向かって腰が浮いてしまう。
「……ちょっと待っててね、楓」
薄暗いリビングで起き上がった美空の肢体。しなやかで引き締まった曲線美。思わず見惚れてしまっていると美空がソファの下に手を伸ばし、小箱を引っ張り出した。
その中身を器用に取り出しながら美空は艶然と微笑む。
「楓と一緒に使いたくて用意してたんだ」
生々しい形状をしたその玩具を見て私は思わず唾を飲み込んだ。
「ち、ちょっと待って。何、それ……?」
「所謂、大人の玩具ってやつ。二人で入れるんだって。商品名は――」
真面目な顔で説明書きを読みながら言う美空に対し、私は盛大にツッコむ。
「そ、そういうことを聞いてるんじゃないから! いつの間にそんなの買ったの!? っていうか、いつからそこにあった!? 私、ずっとこのソファの上で普通に生活してたんだけど!」
「こういう時にそんなこと気にしなくていいでしょ」
美空が手元の玩具を丁寧に塗滑剤で湿らせる。その姿が妙に官能的で、私は文句を言いながらも目を逸らせなくなってしまう。
「せ、せめて自分の部屋で保管してよね。……で。それ、使うの?」
「うん、使いたい。……楓と一緒にもっと深くまで気持ちよくなりたいから」
期待に満ちた眼差しで見つめてくる美空。そんな風に言われるとなんでも受け入れたくなってしまう。自分で自分が恨めしい。
「……しょうがないなぁ」
小さくため息をつきながらそう言うと美空が嬉しそうに微笑む。
「よかった。……それでね、お願いがあるんだけど」
「お願い……?」
「これ、楓の手で私に入れて欲しい」
その申し出に私は目を丸くする。
「い、いいの? 美空ってたぶん入れるの初めてだよね。痛かったりするんじゃ……」
「だからだよ。だから、楓にして欲しいんだ。……ダメ、かな?」
頬を赤らめる美空の表情があまりにあどけなく見えて、私は胸が締め付けられた。
「……分かった。じゃあ、私が着けてあげるね」
「うん。お願い」
美空は裸のまま身体を横たえる。恥じらいながらも隠そうとしない姿は妖艶で、見下ろしていると興奮で喉がカラカラに乾いていくのが分かった。
玩具を持つ美空の手に自分の手を重ねる。互いの鼓動が早まっているのを感じながら、液体状の潤滑剤を塗り込めた部分を彼女の下腹部へと導いた。
「力、抜いて……?」
「うん……っ」
美空は眉を寄せて苦悶の表情を見せたものの、歯を食いしばるように耐えている。
「痛い……?」
「平気……続け……て」
彼女が小さく呻き声を漏らす。迷ったが、ここまで来たら後には引けない。ゆっくりと体重をかけるように圧を加える。
「ん゛……ッ!」
美空の目尻に涙が滲んだ。
「ごめん……痛かったよね?」
「大……丈夫……楓が一緒なら……」
健気な返答に胸が熱くなり、額に汗で貼りついた髪を払いのけてあげた。手を添えたままの姿勢でしばらく抱き合う。鼓動が徐々に落ち着いていくのを確認してから、ゆっくりと身体を離した。
「……全部入ったよ」
「うん……。けど、ごめん。私、ちょっと余裕ない……。今日は楓からしてくれると……嬉しいかも」
「ほ、本当にいいの……?」
「私の人生を……めちゃくちゃにするんでしょ……?」
彼女は微かに笑うと両手を広げて迎え入れるような仕草をする。
「来て……楓。このままじゃ、切ないよ」
甘えた声でねだる美空は、今まで見たことがないほどに脆く儚げだった。今度は、私が美空を組み敷く番だ。そう思うと背筋がぞくぞくと粟立った。
「もちろん……私にも美空のこと、愛させて」
誘われるまま美空に覆い被さる。跨がるような体勢になると、彼女の息が詰まった。
「楓……っ」
「……私が、動くから」
静かに腰を下ろしていく。
「あ……すごい……」
美空の悦びの声が部屋にこだまする。私は慎重に重心を移し、深いところに当ててからゆっくりと動き始めた。
「美空……!」
「楓っ……楓っ……!」
私という愛しい恋人の名前を呼びながら細い身体を痙攣させる美空。その姿があまりにも淫靡で美しくて。私は自分の中の加虐心が満たされていくのを感じながらも、何度も、何度も狂ったように美空を組み伏せた。
高校時代、人目を気にしながら息を潜めていたあの小さな部屋での切ない思い出が、二人の激しい愛によって、最高の甘い熱量で上書きされていく。
過去の寂しさも、すれ違いの痛みも、全てがこの甘い夜の中で溶けて消えていくようだった。
◇
やがて画面の中では映画が終わり、静かなエンドロールの音楽が流れ始めていた。
暗かった部屋に、エンドロールの白い文字がゆっくりとスクロールしていく。けれど、二人の時間が終わる気配はどこにもなかった。
繋がっている箇所を通じてお互いの絶頂感が伝わり合い、長く尾を引く快感に浸っていた。結合を解いてもなお身体は小刻みに震えている。美空の頬を伝う涙を拭いながら深いキスを贈った。
「ん……」
ようやく唇が離れた時、私と美空の息はすっかり乱れていた。美空は私の膝の上に乗ったまま、満足そうに私の首元に頬をすり寄せてきた。
「……映画、終わっちゃったね。美空」
「うん。甘くてドキドキして最高だった」
「全然観てなかったじゃん……」
呆れて笑う私に、美空はふっと美しく、そしてどこか悪戯っぽく微笑んだ。
「ねえ、楓」
「なに?」
「高校の時の心残り、少しはなくなった?」
その言葉で気付かされた。高校時代に付き合っていた頃、一線を越えようとする私を美空は拒み続けていた。そのことを彼女なりにずっと気にしていたのだろう。
それで、自然に私が主導権を握れるような雰囲気を作ってくれたのだ。あんな玩具まで用意したのもそのためなのだろうか。
不器用だけれど、なんていじらしいのだろう。私は愛おしくて堪らなくなり、彼女を強く抱きしめた。
「美空……!」
「なに、楓。急にどうしたの」
掠れた声で囁く彼女の額に自分の額を押し当てる。
「ありがと、美空。おかげでだいぶ気持ちがスッキリした。……でも、やっぱり私は美空にされる方が好きかもなぁ」
「あれだけ好き放題しておいてよく言う。私、まだちょっとお腹のあたりが痛いんだけど」
「ご、ごめん……! それは本当にごめん!」
慌てて謝る私を見て美空はおかしそうに笑った。
「楓。今までにやり残したこと、できなかったこと。これから全部していこうよ」
「いいね。じゃあさ、とりあえず雨が止んだら水着は買いに行こう。で、夏のうちに必ず海に行く!」
「賛成。……私たち、もう大学生だからきっとなんだってできるね」
「うん。私たちなら、なんでもできる」
美空は私の薬指に輝くペアリングに指輪がはまった自分の手を重ねる。そして、私の唇に嬉しそうに最後の仕上げのようなキスを落とした。
窓の外の雨音も、静かなエンドロールの音も、今の私たちには遠い世界の出来事のように思えた。
私たちは互いを強く抱きしめ合ったまま、どこまでも甘く、どこまでも深い二人だけの特別な時間を紡ぎ続けていった。




