20話:【壬琴視点】チョロくてすぐヤレそうな後輩ちゃん
大学の正門から徒歩三分。赤提灯の光が路地裏を仄暗く照らす大衆居酒屋の奥で、水科壬琴はグラスの氷をカランと鳴らした。
彼女は既に生ビールを二杯飲み終え、今はレモンサワーのグラスを傾けながらスマートフォンを操作している。スマートフォンの画面に映し出されているのは、アコースティックギターサークルの新歓イベントで撮影された集合写真だ。
拡大された写真の中央には、慣れない笑顔でピースサインを作るボブカットの少女——中道楓が写っていた。
「……ほんと、分かりやすい顔してるなぁ」
水科は薄い唇の端を吊り上げ、嘲笑を小さく漏らした。周囲の酔っ払いたちが上げる大声に掻き消されるその呟きには、サークルで見せる『親切で頼れるボーイッシュな女子先輩』の面影など、微塵も残っていない。
水科壬琴には、サークルの誰にも明かしていない密かな趣味があった。それは、地方から上京してきたばかりの世間知らずな女子下級生を言葉巧みに『自分のモノ』にすることだ。
特に、男に対して適度な警戒心を持ちつつも、同性の頼りがいのある先輩にはコロリと心を許してしまうような、純朴なタイプが好物だった。
ボーイッシュな外見と、少し低めの声、そして絶妙な距離感でのスキンシップ。ギターの手ほどきと称して背後に回り、指を重ねる。それだけで、相手が男なら「セクハラ」と拒絶するような真面目な女子たちが、顔を真っ赤にして脈打つ心臓を抑えきれなくなるのだ。
女の子同士だし、先輩後輩だし、という無防備な隙間にするりと入り込み、心と体を解きほぐして自分の依存下に置く。周囲の人間まで味方につけて完全に自分なしではいられない状態まで甘やかし、飽きたら適当な理由をつけて捨てる。そのゲームのようなプロセスこそが、水科にとって最高の娯楽だった。
「壬琴。あんた、また悪趣味なこと考えてるでしょ。この間なんか私の後輩まで泣かせてさ」
女の店員が空のジョッキを下げながら声をかけてくる。この店でバイトをしている友人だ。
「なんにもしてないよ。新入生の面倒を見てあげてるだけ」
水科はそう言ってスマホの画面に映った写真を見せる。
「どう? 中道楓ちゃんっていうんだ。顔、そこそこ可愛いでしょ」
女の店員は画面を見て露骨に嫌そうな顔をした。
「可哀想。良い子そうなのに。……あんた、いつか罰が当たるよ」
「バイト、何時に終わる? 待ってるよ」
「泊めないからね。明日、大学あるんだから」
「はいはい。レモンサワーおかわり。あと、ポテトサラダ」
適当に注文をして友人を追い払う。彼女はなんだかんだ文句を言いつつ最後には従ってくれるのだ。結果が分かっていることに手間をかけるのも馬鹿らしい。
水科はスマホの画面をスワイプし、今しがた楓から送られてきたLINEのメッセージを開いた。
『壬琴先輩、今日はギター教えてくださってありがとうございました! 土曜日の御茶ノ水、すごく楽しみです! よろしくお願いします!』
語尾についた可愛らしい絵文字。文面から滲み出る、先輩に対する純粋な尊敬と無邪気な親愛。それを見るたび、水科の嗜虐心がくすぐられて堪らなかった。
地方出身の常識人タイプ。真面目で、寂しがり屋で、強がり。——そういう子が水科にとっては一番チョロい相手だ。
水科は残り少なくなったレモンサワーを一気に飲み干し、冷たい液体の感覚を喉で味わう。楓のようなタイプは、自分が他人に好意を向けられていることに対して鈍感だ。それどころか、ちょっと優しくして「君は特別だから」という態度を匂わせるだけで、勝手に一人でドキドキして自滅してくれる。
今日のサークルの時に「付き合っていない相手とキスをするのはどう思うか」などと聞いてきたが、おそらく大学の男子とそんな雰囲気になりかけたのだろう。ならば、こちらはグイグイいかず、あえて誠実な対応をしておけばよい。それだけで相手の軽薄な男子と比べて遥かに魅力的に見えるはずだ。
付き合っていない相手とはキスはしたくない。裏を返せば、付き合いさえすればなんでもしてくれるということだ。
「楓ちゃん、自分がどれだけ無防備ですぐヤレそうなオーラを出してるか自覚ないでしょ」
水科のスマホの非公開フォルダには、これまで落としてきた女子たちの画像がずらりと並んでいた。去年落とした他学部の後輩、半年前まで手元に置いていた軽音部の女子——どの顔も、水科に縋りつき、狂おしげな瞳で彼女を見上げている。
画面をスワイプすると様相が一変した。先ほどの少女たちが皆、一糸纏わぬ姿で写真に映っている。一様に頬を赤らめ、ぎこちなくピースサインをしていた。
最初はどの子も水科に対して「先輩ってカッコいいです」などと言ってくる。だが、一度ベッドに押し倒して、深くまで分からせてやれば、二度と彼女から逃げられなくなるのだ。
水科は冷酷な笑みを深めた。楓については、既にカウントダウンが始まっている。
土曜日の御茶ノ水での楽器店巡り。お勧めのギターを選んでやり、オシャレなカフェで少し大人びた雰囲気を醸し出す。そして、指を絡め、じっと目を見つめて「私さ、楓ちゃんのこと、ただの可愛い後輩以上に思っちゃいそうなんだよね」と囁く。
その瞬間、楓がどんな顔をするか、想像するだけで酒が進んだ。驚き、動揺し、赤面し、けれど自分を拒絶できずに固まるだろう。そのまま「少し休もうか」と言って静かな個室へ連れ込めば、全ては完了する。
本当は本新歓コンパの時に酔わせてお持ち帰りするつもりだったのだが、さすがにそこまで上手くはいかなかった。それはそれでいい。事が簡単に進みすぎても面白くない。
「土曜日までは無垢な『いい子』でいさせてあげるね、楓ちゃん」
水科は画面上の楓の画像に指を滑らせ、わざとらしくメッセージを返信した。
『うん、私もすごく楽しみ。楓ちゃんにぴったりのギター、一緒に探そうね。二人だけの秘密のお出かけにしよう』
既読のマークがついたのを確認し、水科は満足そうにスマホをテーブルの上に置いた。
◆ ◆ ◆
水科は微塵も疑っていなかった。自分が完璧な狩人であり、楓が哀れで滑稽な獲物に過ぎないということを。
そして——自分の完璧な計画の裏で、その楓を取り巻く『常識の外側』に存在する圧倒的な異常性に、まだ何も気づいていなかった。
大学の正門前、物陰で息を潜め、水科と楓の会話を、そして楓のスマホの位置情報を完璧に監視していた、あの黒髪の美女——市之瀬美空の存在に。
水科壬琴がこれから足を踏み入れようとしているのは、甘い狩り場などではなく、狂気に満ちた『愛の縄張り』だ。彼女がそれに気づくのはもう少し先の話である。




