↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/5

第3話 失敗


姉様の誕生日パーティーは、屋敷で一番大きな広間で開かれた。


朝から使用人たちは忙しなく走り回り、花瓶には白い花が挿され、銀器はいつもより念入りに磨かれていた。

廊下には甘い香が焚かれている。


その香りは少し強すぎて、喉の奥に絡んだ。

何度か咳き込みそうになって、そのたびに唇を閉じる。

咳ひとつでも、見苦しさになる気がした。


今夜、私は初めて姉様の隣に立つことを許された。


正確には、許されたのではない。父様がそう決めた。


「せめて見目だけでも使えるなら、並べておけばいい。物珍しさに惹かれる者もいるだろう」


その言葉を聞いた時、胸の奥が少しだけ軽くなった。


見目だけでも使える。

つまり今夜、私は役に立つかもしれない。


与えられたドレスは、姉様の古いものを直したものだった。

肩の辺りが少し合わず、裾も短い。けれど汚れは落とされていて、遠目には見苦しくない。


鏡の前で、額を見た。


何度見ても、そこには何もない。

出っ張りも、影も、角の芽吹きらしきものもない。


今夜は、髪を少し下ろし、額の両脇を隠すように結われている。

角がないことを隠しきれるわけではない。


それでも、少しは見栄えがするように。



「黙って微笑んでいなさい」


母様は私の髪飾りを直しながら、鏡越しに目を細めた。


「余計なことを話せば出自の悪さが出ます。聞かれたことにだけ答えなさい。いいわね」

「はい、母様」

「あと、ミーリアより目立たないこと」

「はい」


それは難しくない。


姉様の角は、灯りを受けるたび薄く輝く。

白磁に金を刷いたような角は、まだ幼いのに枝分かれの兆しを見せていた。


あの広間は、姉様の美しさを際立たせるために整えられた場所なのだから。



広間には、普段この屋敷では見ないほど多くの貴族が集まっていた。


集まった竜人たちの角は、みな美しい。

金のような角。

黒曜石のような角。

淡い青を帯びた角。

枝分かれし、磨かれ、薄い魔力の光を纏う角。


それぞれの家の血筋と誇りが、額の上に咲いているようだった。


私は給仕の邪魔にならない位置で、姉様の少し後ろに控えた。


目立たず、けれど見苦しくなく。

呼ばれれば膝を折り、尋ねられれば短く返す。


それだけでいい。

それだけなら、きっと失敗しない。


しばらくすると、年の近い貴族の子が私の前で足を止めた。


「君は、ミーリア嬢の妹?」

一瞬だけ迷い、膝を折る。

「はい。リリアと申します」


妹。

そう呼ばれるのは珍しかった。


多くの人は、拾い子か、あの角なしの娘か、と囁く。

けれどその少年は、私の額ではなく、顔を見ていた。


出席者の名簿を頭の中でめくっている間に、彼の方が先に名乗った。


エルディオ。

伯爵家の子息だった。


我が家は男爵家だが、彼の家は古い血筋を持つ。治めている領土は広くない。けれど湖と森に恵まれ、避暑地として貴族に好まれる土地だと聞いたことがある。


少し離れた場所で、父様が母様に何か耳打ちしていた。

きっと、良い家だと告げているのだろう。


エルディオ様の角は、領地の森を映したような深い翠色をしていた。

根元から先にかけて透明度が増し、灯りの中で飴細工のように光る。


大きくはない。

けれど、形がとても整っている。


「君の髪、変わった色だね」

「よく、そう言われます」

「悪い意味じゃないよ。綺麗だと思った」


綺麗。

その言葉の置き場所に困って、指先がドレスの布を掴んだ。


綺麗、と呼ばれることはある。

けれどそれは大抵、物珍しい、珍品として価値がある、という響きを伴っていた。


彼の声には、値踏みの冷たさが薄い。


だからこそ、何を考えているのか読みづらかった。

「ありがとうございます」


エルディオ様は少し笑って、私の隣に立った。


「君はあまり喋らないんだね」

「余計なことを話すと、ご迷惑になるので」

「迷惑?」

「はい。私は、まだ此処に適応している途中ですから」


彼は不思議そうに瞬きをした。

「適応って、そんなふうに使う言葉だっけ」

口を開きかけて、言葉が止まる。


その時、姉様の笑い声が近づいてきた。

「エルディオ様、その子と話していてもつまらないでしょう?」

姉様は私の腕を軽くつねり、微笑みながらエルディオ様の前へ出る。


「角もないし、魔法もろくに使えないの。変わっているだけで、何の役にも立たないんです」


目を伏せる。

その通りだ。だから怒ることではない。

けれど、エルディオ様の眉がわずかに寄った。


「役に立つかどうかで、話す相手を選ばないよ」


その言葉に、顔が上がりかける。

役に立つかどうかではない。


そんなふうに人と話していいのだろうか。

何の利益にもならない言葉を、受け取っていいのだろうか。


そう思った、次の瞬間だった。


姉様が大きな悲鳴を上げた。

楽師の音が途切れる。

硝子の杯が床で跳ね、白い花びらが水を含んで潰れた。


人々の視線が一斉に集まる。

エルディオ様が胸元を押さえ、低く呻いた。


「……ッ」


彼の額の角に、細い罅が走っていた。

最初は、灯りの反射に見えた。

けれど違う。


翠の角の内側に、黒い線がひとつ、またひとつと広がっていく。


エルディオ様が苦しそうに息を吐いた瞬間、角の先端が小さく割れた。


「……かえして」


地を這うような声が、広間の床を伝った。


「返して」


エルディオ様の声ではない。

なのに、その声は確かに、エルディオ様の角の奥から響いていた。

酷く哀しく、胸を締めつけるほど恨み深い声音。


「エルディオ様――」


手を伸ばした時、遮るように誰かが叫んだ。


「角哭病だ!」


その名が響いた途端、広間は崩れた。


客人たちは一斉に距離を取り、使用人たちは扉を開ける。

母親らしき女性がエルディオ様へ駆け寄ろうとして、周囲に止められた。


父様は泣き伏せている姉様を、急いで後ろへ下がらせる。

姉様の涙は、エルディオ様を案じているというより、自分の誕生日パーティーが壊されたことへの涙に見えた。


その目が、みるみる吊り上がる。

そして、私を捉えた。


「こっちに来なさい!」


血の気の引いた顔で、父様が怒号を上げる。


けれど、私は動けなかった。


エルディオ様の瞳が、こちらを縫い留めていたから。


さっきまで穏やかだった目は、熱に浮かされたように濡れている。

怯え、苦しみ、それでも何かを探すように、私だけを見ていた。


一歩、足が前に出る。


けれど父様の手が、腕を強く掴んだ。


「お前、何をしたんだ」

「……何もしておりません」

「嘘をつくな。じゃあ、何故…こんなことに」


周囲の視線が私へ向く。


角なし。

拾い子。

物珍しい娘。

竜かどうかも分からない子。


その視線は、言葉より先に私を責めていた。


「違います。私は、本当に何も」


頬に、父様の手が飛んだ。


床が近づく。

膝をついた瞬間、痛みより先に、失敗した、という感覚だけが胸に落ちた。


私は今夜、役に立つはずだった。


姉様の引き立て役としてでも。

貴族の興味を引く珍品としてでも。

少しはこの家の利益になるはずだった。


けれど、これではパーティーは中止だろう。


使用人たちは怯えながらも、エルディオ様を別室へ運んでいく。

私は床に手をついたまま、青ざめたエルディオ様を見つめていた。


その眼差しに気づいた使用人が、短い悲鳴を上げる。


「っ、呪われる……!」

「ばっ、滅多なことを言うもんじゃない」

「だ、だって、角哭病よ!? 思えばあの娘が屋敷に来てから流行ったじゃない!」


身に覚えのない詰りでも、否定しきれない噂は、きっと瞬く間に広まっていく。


私が何もしていなくても。私が何も知らなくても。


角がない私なら、何かをしたことにされるのだろう。


「部屋に戻れ」


父様の声が、頭上から落ちる。

「二度と客人の前へ出るな」

私は床へ額が触れるほど頭を下げた。

「……申し訳ありません」


それ以外に、差し出せるものはなかった。

「早く出ていけ!」


ああ。

私は、損になってしまった。


扉に向かって駆け出すと、皆がぎょっとしたように道を開けた。

けれど通り過ぎた後、誰も私を見なかった。


開け放たれた大扉の向こうで、父様と母様が姉様を宥めている。

その光景だけが、なぜかやけに目に焼き付いた。



離れの部屋に戻り、扉を閉める。


頬が熱い。額も熱い。

窓辺に座り、膝を抱えた。


外では、客人たちの馬車が慌ただしく屋敷を出ていく。

誕生日の飾りはまだ残っているのに、広間の灯りはひとつずつ消えていった。


どうして、あの時エルディオ様は私を見ていたのだろう。


――返して。


あれは誰の声だったのだろう。


「……大丈夫かな、エルディオ様」


膝に額を押しつける。


鉄を熱したように、頭の芯まで熱い。

するとまた、あの暖かな声が遠くで響いた気がした。


けれど今夜は、その声音に沈んではいけない。


眠ってしまえば、何もかも本当に私のせいだったことになる気がした。


冷えた窓に額を押しつける。

熱が少しだけ硝子へ逃げた、その時。


外から物音がした。


怒られないように、咄嗟にカーテンを閉める。

けれど隙間から、そっと窓の外を覗いた。


月明かりの中、銀灰色の髪が淡く光っていた。


白い手袋。黒い薬箱。

憂いを帯びた端正な顔立ちは、黙っていても言葉を持っているように見える。


医者……だろうか。


ならば、屋敷の者たちに呼ばれて来たのだろう。

角哭病を発したエルディオ様を診るために。


「……どうして、立ち止まってこっちを見て」


胸が揺れた瞬間、月光を沈めたような銀の瞳と目が合った。


彼の動きが止まる。


風に揺れていた外套も。薬箱を持つ手も。

その場で凍りついたように。


窓の内側で、息を呑んだ。

私を見たまま、彼は瞬きすらしなかった。


それは、病に倒れたエルディオ様と同じように見えた。

けれど彼の目にあったのは、怯えではない。


ずっと探していたものを見つけてしまったような、深い沈黙。


窓の鍵に手をかける。


開けていいのか、分からない。

医者ならば、話しかけてもいいのだろうか。

でも私が話しかければ、また誰かの迷惑になるのではないか。


逡巡している間に、医者の唇がわずかに動いた。

声は届かない。

それでも、唇の形だけは追えた。


――見つけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。