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1-2 花の吸血鬼

フローリア・フローフィリア。グルイス寮の一年生なの。


 彼女はリズワの知っている情報を、そうとも知らずにハキハキと告げた。にっこりした顔はなるほど可愛いし、明るい印象も別に初対面の時から変わってはいないが。


「リズワ・アイルミシク。……トゥカノエの一年」

「トゥカノエ?ああ、そうとも知らずに失礼しちゃった!ごめんなさい」

「いや、貴族みたいなことは慣れてないから……大丈夫」

「そう?……ふふ、ありがとう。私も家名があるとはいえ貴族の端くれも端くれだから、気軽に話してね」


 二人は路地裏から場所を移し、学生街の端の花屋を訪れていた。

「THE IVY」の看板にウィステリアの花が垂れていて、プランターには色とりどりの花が咲いている。白い外壁の小さなその店は御伽噺の中みたいに穏やかな空気が流れていた。種が入ったガラスのビンはカラフルなラベルが貼られ、店内に吊り下げられたランプにもピンク色の花が巻き付いて咲いていた。花の香りのするそこは、フローリアの実家の花を売っているらしい。

 店主の優しそうな老婆は「あら、フローリアちゃん」と彼女を歓迎し、ひとつしかないテーブルに二人を座らせた。本来はカフェーのように使う場所でもないだろうに、彼女を贔屓してくれたのだ。

 花の香りに邪魔されないようにと、コーヒーや紅茶ではなくレモン水が店奥から出てきた。店主はそれきり奥に引っ込んでしまったが、二人にとってはありがたいことだ。


 全力疾走で疲れた体に冷たい水が染み渡る。喉を潤したリズワを見て、フローリアは軽やかに微笑んだ。

「まずは……そう。吸血鬼について話さなきゃ」

 傾きかけた日の光が白い壁を暖色に染めている。「どこから話そうか」彼女は長い睫毛を伏せてしばらく考えると、絵本の読み聞かせのような声色で話し始めた。


「もうずっと前のことよ。昔、吸血鬼と人間は戦争をしていたの……吸血鬼は見境なく人を襲い、人間は見境なく吸血鬼を殺していた」


 その昔。吸血鬼と人間の関わり合いは密接で、そして法がなかった。しかし血で血を洗う大きな戦争の結末は、和平という最高の形で終わらせられることになる。

 吸血鬼はむやみに人間を襲わない。人間も理由なく吸血鬼狩りをしない。そんな法が、吸血鬼と人間の調停者によって結ばれた。吸血鬼の住む世界は「エテルナ」、人間界は「モルタ」と呼ばれて区分され、その境界は調停者によって保たれることとなったのだ。


 エテルナで吸血鬼を殺す人間、モルタで人間を襲う吸血鬼。そういったならず者は調停者の作った法の下で罪人となった。調停者は組織を作り、そうした罪人の処罰や管理を行う。

 吸血鬼と人間の境界を守るもの……調停者が作ったその組織の名は「青薔薇」。


「これよ」

 フローリアはその長い髪を耳にかけて、リズワに青いピアスを見せた。

「青い薔薇を象ったアクセサリーを身に着けていることが、『青薔薇』である証。私もシュナイダー先輩も『青薔薇』の一員なの」

「なる、ほど」

 まるで荒唐無稽な話だが、リズワは不思議とそれを信じ込んでしまった。彼女が嘘をついているようには見えなかったし、何より犯人の男は明らかに人ではなかった……。


「吸血鬼というのは、いったい何なんだ」

 リズワの口からこぼれたのはそんな曖昧な質問だったが、フローリアは彼の意図を的確に汲み取ってくれたらしい。少しの逡巡のあと、すぐに彼女は話し始めた。

「えっと……見た目は人間と変わらないの。お話によくあるような、陽の光に当たれないだとか、にんにくと十字架に弱いとか、そんなこともないわ。吸血鬼が人間と大きく違うのは……吸血能力の有無と、異能の有無の、ふたつ」


 吸血能力とは、文字通り「人の血を吸えるか否か」である。吸血鬼の場合はその牙で皮膚を食い破って血液を啜ることができるようだが、人間には当たり前にそんなことできない。

 もうひとつは異能。これは吸血鬼が固有に持っている能力らしい。例えば犯人の男が蝙蝠に変身できていたのも、あれは彼の異能だったということだ。


「吸血鬼はいつでも異能を使えるわけじゃない。異能を使うには他人の血液を摂取する必要があるの」

「……」

「……えっと。説明がわかりづらかったかな……」

「いや、大丈夫。……多分」


 つまり、つまりだ。吸血鬼は人の血を飲むと人知を超えた力を使える。ということは、つまり?

 リズワは正面に座るフローリアを見た。彼女のチョコレート色の瞳が真っ赤に染まるところを、リズワは先ほど目撃している。

「君も吸血鬼なのか、フローリア」

 その言葉は疑問の形をしていなかった。

 美少女は目を少し見開いて、それからテーブルへと視線を落とした。西日が強くなってきて、釣り下がった花の影が彼女の目元に影を作った。

「うん。そうだよ。私も吸血鬼なの」


 いつのまにか、無意識に息を詰めていた。フローリアはリズワが何かを口にする前に話し始める。それは彼女らしくない、やけに性急な言葉たちだった。

「吸血鬼は必ず人間の血を吸わなきゃいけないわけじゃない。人の血液は嗜好品みたいなもので、なくたって生きていけるわ。それでも……たとえば大怪我を負って極限状態の時とか、一時的に精神がおかしくなってしまったりすると、人を襲う。でも、大多数はそうじゃないわ!」

 彼女の強い意志の宿る瞳がリズワを見ていた。

「私の異能は花を操るもので、それを使うためにどうしても他者の血液が必要だった。……突然、許可も取らずにあなたを利用したことを謝らせてほしいの。ごめんなさい、本当に……」

 リズワは彼女の言葉をゆっくり咀嚼してから「いいんだ」と言った。口元には微笑さえ浮かんでいる。本当に、心から、そのことについてはどうでもいいとすら思っていた。

 少量の血液なんかと引き換えに、彼は世界の裏側を知ってしまったようなものだから!


 きっと吸血鬼のことは事実だ。だって彼女がリズワにそんな嘘をつく必要がないし、何よりこの目で見た。血を吸われた人間も、蝙蝠に変わった男も、目の前の少女が己の血を舐めとった瞬間も!

 酔ったように頭がくらくらしている。両親の死体に似た傷跡。きっと彼らを殺したのも吸血鬼だ!

 瞼の裏に刻まれた「復讐」の二文字が熱く茹だっているようだった。


「グルイス寮の生徒は……えっと、『青薔薇』?に所属しているのか?」

「全員じゃないわ。グルイス寮は基本芸術家のための寮だから。ただ……何人かは青薔薇のメンバーで、グルイス寮は代々、そういう吸血鬼に関わる人たちを受け入れてきた寮でもあるの。うちは変人が多いだなんて言われてるけれど、それもそのひとつの要因なんじゃないかって私は思ってる」

「なるほどな。グルイス寮は吸血鬼に関わる人が多い、と」

「そうよ」

 フローリアはリズワが彼女を拒絶する素振りを見せないことにほっとして、なんだかずっと張っていた気が緩んだ気分だ。

 一方のリズワはふむと何かを考えこんでいて、彼の頭が回る音が聞こえてきそうなくらい。フローリアは彼の邪魔をしないようにちょっとずつグラスの水を口に含んだ。

「フローリア」

 リズワに呼ばれて、フローリアは顔を上げた。窓から差し込む光で彼の瞳がきらりと光って、ああ、彼の瞳は青かったのねとフローリアはそこで初めて気が付いた。思慮深く孤独な青い瞳は、彼女の寮長を思い起こさせた。

「白雪事件って知ってる?」

 黒髪がさらりと揺れて、「情報屋」だというその青年がフローリアに問うた。シュナイダー先輩が言っていたセリフで気が付いたが、最近なにかと話題の優秀な同級生の噂、その正体は彼のことだったらしい。

「わからないわ……いったいなんの事件なの?」

「三年前に、ある田舎町で起きた殺人事件のことだ。小さな村の住人が軒並み殺された事件……今日の吸血鬼を見て思ったんだ。あれの犯人はきっと吸血鬼だ」

 フローリアは驚きに目を見開いて、「そう」と少し低い声で相槌を打った。残念ながら、吸血鬼の中には法を不服として思うが儘に人の血を啜ろうとするサイコパスがいる。

「吸血鬼が関わっているなら、青薔薇に情報があるかも。私も先輩に聞いてみるね」

「あぁ、ありがとう。フローリア」

 フローリアの微笑みに、リズワはぎこちなく笑みを返す。


「なんだか根腐れしちゃいそうな子」と、フローリアは思った。彼は何かを決意したような顔で己の握りしめた拳を見下ろしていて、フローリアはそんな彼が迷子の子供みたいに見えた。


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